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国際結婚により、これまでダントツ興味のなかった国オーストラリアのメルボルンにやってきて人生ごと座礁中。

こんぬづは、みなさん。

無味無臭なメルボルンにやってきて、人生が五里霧中なパナッタレです。

インド単身在住4年の日々を終え、無事に日本に帰還して落ち着いた人生を歩もうとしていたのですが・・・、おっとどっこい、その後にうっかり出会った現夫の住むオーストラリアのメルボルンに移住することになってしまいました。

やっと2012年7月、配偶者ビザが下りました。早くPRが欲しいです。


番外編としてインド時代の写真をたまにランダムに紹介しています。

ブログを通じた出会いを楽しみにしていますっ。

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----*-----*----- ※インド時代にせっせと書いていたブログもオンライン空間のどこかに放置してあります。また、メルボルンに来た去年にもブログを立ち上げたんですが挫折したあげく、IDもパスワードも忘れてしまったまま放置・・。何が言いたいのかというと、「似た内容、どっかで読んだな。。」と思ったら、それ、たぶん私のインド時代ブログか、挫折したメルボルンブログです・・・・。あしからず~。

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そういえば、私たちも年始に話題な「レ・ミゼラブル」を見てきました。

「これはきっと、映画館でちゃんと見たほうがいい系(DVDではなく)の映画だろう」ということで、せっかくわざわざHoytsに見に行ったのに、すごい画面の小さい小さめの部屋だったので、けっこう意気消沈。

話題なんじゃないの?なぜこの部屋?って思ったんですが、なんでしょうね。しかも、観客もまばらだった・・・。


さて、で「レ・ミゼラブル」はどうだったかというと。

まず、ヒュー・ジャックマンの「人生、虐げられたことしかなく、世界の底辺で3K(←汚い、危険、きつい)な重労働しかしたことがなく、尊厳なんか踏みにじられまくって生きてきた人」役すばらしくうまかったので、感心した。

私、インドで「人生、虐げられたことしかなく、世界の底辺で3K(←汚い、危険、きつい)な重労働しかしたことがなく、尊厳なんか踏みにじられまくって生きてきた人」をイヤというほど見たのです。 だから言える。

というのも、こういうのってヘタするとすごい陳腐になっちゃうじゃないですか。

極端な例でいうと、映画の中の「日本人」が、日本人からするとまったくもっておかしい。一般西洋人の頭の中の日本人と実際の日本人のいろいろなギャップによる違和感が気になって、映画に集中できない、っていうようなやつです。現実と所詮ヨソ者による作り物であることのギャップが限界としてどうしても出っちゃうっていう。

だけど、

あの最初の30分くらい?のヒュー・ジャックマンの「人生、虐げられたことしかなく、世界の底辺で3K(←汚い、危険、きつい)な重労働しかしたことがなく、尊厳なんか踏みにじられまくって生きてきた人」な感じは、目つきや目の血走り方、眉間のシワ、肌感、筋肉や筋の感じまで、本当にそのものな感じでした。

ま、メイクさんの技量もけっこうあるよね(笑)。


あと、

映画ではその後、数年話が飛んで、ヒュー・ジャックマンはいきなり普通の紳士風になるんですが、そうなった途端、面長だったはずのヒューの顔が、むしろ短い顔(贅肉がついているわけではないので、丸顔とはいえない・・)になっていたので、一瞬戸惑いました。

労働者時代の長いあごひげがなくなったからだとは思うんですが。そういえば改めて考えると、長いあごひげがある人って、みんな「面長」に見える。

でも、もしかしたら彼らもあごひげをなくしちゃうと、けっこう短い顔の人だったりするのか?などと、くだらんことを考えてしまいました(「つい気が散ってしまった」というやつです)。


しかもそこで、私の頭の中に現れたのが、なぜかドラゴンボールの「亀仙人」。なぜ、そんなものが頭に浮かぶのか、我ながらいかがなものかと思いつつ、亀仙人もあごひげなくすと、意外に顔が短かったりして?なんて一瞬思ったり。


ま、そんな風にへんな気の散り方をしてしまったんですが、とにかくヒュー・ジャックマンはたしかにすばらしかったです。
 
今まではヒューと言えばどちらかというと、ヒュー・グラントだったんですが、ヒュー・グラントもさすがにオッサンになってきたことだし、今後は「ヒューと言えばジャックマン」という風に、ヒュー転換の予感です。


しかし・・・・。

実は私、アン・ハザウェイが以前からどうしても好きじゃない。

ということで、それが災いしてしまい、感情移入をすべきところ(「ここで是非、感情移入してくれ」と製作者が仕掛けてあるポイント)で、どうにもこうにもなんとなく居心地が悪くなってしまい・・・・。

少しは感情移入するんだけど、一抹の「なんか私、やっぱりダメだなぁ・・・アンハザウェイ・・」という思いにジャマされてしまい、イカンでした。特に、髪の毛切っちゃったあと。


フェイスブックなどで、友人知人がこの作品について「涙がとまらなかった」とか「今年一番の感動」とか「震えた」とか口々に言っている手前だから、「ここで感動して涙が出なければ私は冷血人間なのでは?だめだぞ、私!」とか、そういうへんな心理までがチラチラ顔を出したりまでして、私ってばどこまで素直な心をなくしてしまったことでしょうか。みたいな。


と、同時にこんなことについてまで、思いを馳せた。


それは、「今まで嫌いだった俳優が、ある作品を見て一転、好きになることってけっこうよくあるのになぁ」というやつ。

というか、「すごく感動する映画」と聞いていたので、つい必要以上に構えてしまっていたのか、見る前から「アン・ハザウェイで大丈夫だろうか、私」という懸念を抱いていたので、実はこの効果をひそかに期待していたのである)。

でも、この効果は残念ながら起きなかった。そこで、なぜだろうと思ったんですがね・・・・・、


なんと!この効果って、「男優に対してだけ起きる気がする」って気づいてしまったんであります。

もしかしてこれって、レンアイ系話でよく言われる「嫌い嫌いも好きのうち」っていうやつと同じたぐいの何か?

とにかく、この発見はかなりの大発見でした。ああ、男女関係ってなんだかオソロシイ。
 
ほら、実際ヒューだって、いままではどちらかというとあのクセのある顔とか、Xマンのイメージのせいであまり好きではなかったんだけど、この度、普通に好きになれたし。



と、話が脱線しがちでスンマセンが、そんな感じでした。


それから、フグと私で意見が合った感想があります。

それは、歌いすぎ という感想。


この映画、いくらなんでも歌いすぎなんです。と、私が決めるあれはないですけど、私たちはそう思った。


というのも、そこは普通の会話でよくないか?ってところまで、しつこくすべて歌にする

ミュージカルっていうのは、「ポイントポイントだけ歌にして、あとは会話ってのがちょうどいいな」ってつくづく分かりました。

魅力的じゃな俳優とかどうも存在感が希薄な役までがいちいち歌うし、シーンとシーンのつなぎでしかないような部分まで歌にして、いちいち映画の進行を遅めるので、おまえまで歌わんでいい!とか、そんなことまで歌ってたら日が暮れらぁ!と叫びそうになるというか、

ものすごく遅いエスカレーター(たまにありますよね、普通よりなぜか遅いエスカレーター)に乗ってる時に似たもどかしさを覚えました。

やっぱり、「歌詞もメロディーもすばらしい看板歌を要所要所に散りばめるかわりに、そのシーンのためのつなぎの部分は普通の会話にする」のほうが、歌も引き立つもんだと思うんです。例えば、この映画の場合、娼婦の仕事のあとにコインを投げられたアン・ハザウェイが歌出だすあの定番の歌とかが看板歌。
 
歌われすぎて疲れたし、アンハザウェイのシーンの定番歌と最後のシーンの歌以外は、印象に残ったメロディーなどが何も残らなかった。これはなかなか残念なことではなかろーか。


あと、

もうひとつ全体的な感想としては、主役的な2人(ヒューと、アンハザウェイ)以外の俳優陣の存在感のバランスが悪い。


ヒューに存在感マックス、アンハザウェイにも存在感重量級を与えて、それからラッセルクロウ役にも存在感ミドルクラスくらいを与えてあるまではいい。

しかしだ、その他がいきなり存在感計算を怠りすぎではないか?と。

だいたいからして後半は、コゼットのボーイフレンドに存在感ミドルクラスくらいを与えないと、バランスが悪くてしょうがないんだけど、この俳優ときたら、なに?エキストラの一人ですか?ってくらいに薄い。なんであんなに魅力がない人がいきなりこの役をやったんだろうね。といっても、役柄はたしかに「いまいち深みがない人」役なので、そういう意味で深みがなさそうな人にしたのかもしれないけれど、きっとそれが安易すぎたのでは。

コゼットも、小さい頃のコゼット役はとってもよかったと思ったのに、大きくなったコゼットがやはりなんとも、よくない意味で軽い。あのバセドー病っぽい感じの女優は有名なんだっけ?

エポニーヌも「コゼットと対照的」という考えでああいう見た目の人が選ばれたのかもしれないけど、やはり安易すぎたんじゃないでしょうか。ぜんぜん引き込まれなかった。死んじゃう時は、けっこう女の観客としてはジンときていいはずの死に方したのにさ、画面で死に損してたよ、エポニーヌが。


と・・・・なんかあまりいい感想が書けなかったんだけど、

・ヒューはよろしい、ヒューをとても見直した
・これは私の個人的なものだが、アンハザウェイのせいでちょっとムリだった
・絶対、歌いすぎ。欲張りすぎたね。
・主役的俳優陣以外のキャスティングもしくは演出がイマイチだったのでバランスがよくない

みたいな感じでした。

でも、最後のシーンは大変感動しました!

ヒューが死んじゃうところと、その後、ヒューが外に出たところ。

死ということの神聖さがすごいよく出てたし、人間の持つ良心の気高さがひしひしと伝わってきて・・・・そして、それに続くあの最後のみんなのお迎え。あれはよかったですーーー。

ということで、やっぱり総合的には「感動しました」と言える映画だな、うん。

他の人も、「途中ちょっと、たるんだけど、なんか最後はすっごい感動した」って感じの感想が多いんじゃないだろうかね。


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2013.01.11 / Top↑
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