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国際結婚により、これまでダントツ興味のなかった国オーストラリアのメルボルンにやってきて人生ごと座礁中。

こんぬづは、みなさん。

無味無臭なメルボルンにやってきて、人生が五里霧中なパナッタレです。

インド単身在住4年の日々を終え、無事に日本に帰還して落ち着いた人生を歩もうとしていたのですが・・・、おっとどっこい、その後にうっかり出会った現夫の住むオーストラリアのメルボルンに移住することになってしまいました。

やっと2012年7月、配偶者ビザが下りました。早くPRが欲しいです。


番外編としてインド時代の写真をたまにランダムに紹介しています。

ブログを通じた出会いを楽しみにしていますっ。

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----*-----*----- ※インド時代にせっせと書いていたブログもオンライン空間のどこかに放置してあります。また、メルボルンに来た去年にもブログを立ち上げたんですが挫折したあげく、IDもパスワードも忘れてしまったまま放置・・。何が言いたいのかというと、「似た内容、どっかで読んだな。。」と思ったら、それ、たぶん私のインド時代ブログか、挫折したメルボルンブログです・・・・。あしからず~。

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----「結婚式顛末1 まずは、紙切れのため」のつづき----

では、なぜ私は日本での神社式がやりたいと思っていたのか。
それには私なりに明確な理由が2つあった。

理由① ドラ娘の宣言>


私は若い頃にグレていたとか非行に走ったとかいうワケでは全然ないのだが、たぐいで言えば、ドラ娘であった。

「最初の彼」を皮切りに、父親の世代感覚とか、特にうちの父親の性格とかから見ると、くっついたり離れたり。もうこのままついにケッコンか?と思わせたかと思えば、また別れたとかいう。みたいな。

「まぁ、でも今の世代はこういうものなのかな」と柱の影からハラハラ見守る父親がやっと慣れてきた頃に

今度は「インドに住む」とか言い出しちゃって、その長女の次元を超えたワケのわからなさはエスカレート


そのうち、「娘の彼氏」に毛深いインド人男までが登場。父親、のけぞる。青い目の好青年ならまだしも、インド人て・・(父親、欧米に憧れた世代)。

父親は、「オレの母親はこの子の年頃に4人の子を産んだあげく、もう死んでいたのに」なんて思って、娘の落ち着かなさに空を仰ぎ見る。

しかし、「意味不明な長女」は、まさかに重なるまさかを実行。

インド人男と別れたし、日本に帰ってきてやっとこれでマトモな道を歩むのか?やっと平静の世がやってくるのか?と思わせるやいなや、しばらくして今度は「メルボルンに行くことになったくさい」とか言い出す。

父親は「え?メルボルン・・・・?」と一瞬とまどうも、「でもでもでも、インドよりはいいじゃないか。あのめちゃくちゃなインドよりいいじゃないかーっ?そこで、妥協しろ、オレ」と内心で葛藤に励む。しかしそんな矢先、

「でも相手はインド人」と娘はのたまわったのであった。


・・・・・・(オレの心の)波乱は永遠につづくのか・・?
チロリーン


とまぁ、こんな感じ? (私の想像するに)。


(あ、言っときますけど、私はね、別に男をとっかえひっかえとか、してませんからね。でも、一人につき2年とか3年とか付き合ったって、私の歳にもなりゃぁ、何人いるわけでありまして~。普通ですよ、フツー、やだわーもう)。


だから、私としてはここで、「皆様、これはホンモノの節目でございます。今度こそ、とりあえず落ち着くんでございますよ」ということを形にして見せる必要があった。

合弁するするとウワサばかりがたっていた会社の、合弁決定公式プレスリリースみたいなやつ?

さもなければ、

「とかいって、またメルボルンやめたとかいい出すんじゃないだろうね?」
「とかいって、また別れたとかいい出すんじゃないだろうね?」
「とかいって、またいきなりヘンな国に行くとかいい出すんじゃないだろうね」

という感じで、父親からも妹からも「とかいって不信」が止みそうもなかった。


「オマエは今までを見ても、本当にコッチがわけがわからないことばっかりだからブツッブツブツ、今度こそ本当にメルボルンに行くというのならボソボソボソ。。。人にオマエのことを聞かれても最近はなにを言ったらいいのか困っちゃうしさぁ・・ブツブツブツ」というようなことも、父親からちらりと言われてたし(笑)。

だから、ドラ娘の糸の切れた凧のようなながーいながーい独身時代の節目を、周りにも見せる必要があったのであった。

ある意味、親を安心させる親孝行のためってこと?

そのためにも、ちゃんと日本で「見せる」必要があると思っていた。

父だって、もともとは「儀式」とか「世間体」とか、そういうものに対して反抗的なタイプなんだけれど、親子ともども、ずっとそういうものを気にせずに生きてきてしまったため、逆に、儀式などが持つ本当の意味や力が見えてきた感じもあった。

今こそここで、人々がすなるといふ「式」というものの肩を借りるべし的に、うち一家が始めて儀式というものを真面目に目指した。


で、思ったけど、

儀式って詰まるところは、自分に対する宣言
というか、腹のくくりなのだね。
 
だから実は、親に見せるためというのは、ちょっと違うのかも。

神社の奥には必ず丸い鏡がある。神社の奥にいるのは、神様の銅像とかじゃない。
鏡。あれは、本当の自分=神様なのだ、ということだと言う。

だから、鏡に向かって何かを宣言するのは、自分に向かって公式に何かを宣言することなのだ。

「もう、何があっても逃げませんやめません。これで行きます」と。

こうでもしないと、人間弱いから、すぐにくじけちゃうのかも。そこで、儀式の力を借りて、公式宣言を自分にセットするのだ。

そして、自分に対して公式に宣言をする姿を親にも見せる、という2段階式。

だから回りまわれば親孝行でもあるけれど、本当のところは自分のためなのかもしれないね。 そう考えると根無し草的な私(家族にはフーテンと言われている)には、特に重要だわ・・。


次回は、理由②です。

つづく ~



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2012.07.10 / Top↑
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