国際結婚により、これまでダントツ興味のなかった国オーストラリアのメルボルンにやってきて人生ごと座礁中。

こんぬづは、みなさん。

無味無臭なメルボルンにやってきて、人生が五里霧中なパナッタレです。

インド単身在住4年の日々を終え、無事に日本に帰還して落ち着いた人生を歩もうとしていたのですが・・・、おっとどっこい、その後にうっかり出会った現夫の住むオーストラリアのメルボルンに移住することになってしまいました。

やっと2012年7月、配偶者ビザが下りました。早くPRが欲しいです。


番外編としてインド時代の写真をたまにランダムに紹介しています。

ブログを通じた出会いを楽しみにしていますっ。

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----*-----*----- ※インド時代にせっせと書いていたブログもオンライン空間のどこかに放置してあります。また、メルボルンに来た去年にもブログを立ち上げたんですが挫折したあげく、IDもパスワードも忘れてしまったまま放置・・。何が言いたいのかというと、「似た内容、どっかで読んだな。。」と思ったら、それ、たぶん私のインド時代ブログか、挫折したメルボルンブログです・・・・。あしからず~。

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この間、鼻息荒く「フランシス・ヴェベールのコメディが好きなんす!」と勝手に記事でコーフンした私ですが・・・。

今日はこの間DVDで見たデンマーク映画について。

なんかこう書くとね、「パナッタレさんって、単館系映画だけ見るタイプ?」とか思われそうだけど、別にそういうわけじゃーございませんのよ。けっこうまんべんなく見る。

しかし私たちのような、いい歳したカップルってね、こういう事情があるわけです。
↓   ↓ 
   
だいたいのメジャーな映画や有名な映画は、お互い出会う前までに、それぞれ見ちゃってる

っていう事情。


うちはQuickflixっていうオンラインレンタルショップでDVDを定期的にレンタルしてるんだけど、次に見る映画選んでても、

「これは?」「あ、オレ見た」
「オレ、これ見たい」「あ、私それ見た」

ていうのばっか!!!!私たち2人とも、かなり映画見てるの。

それで2人ともまだ見てない映画から選ぶとなると、ずいぶん限られちゃうのね・・・・。しかもお互い趣味違うから、さらに選択肢は限られちゃう。

私はアクション、スリラー、ホラー、戦争物、だいたい嫌いなわけです。だいたい、ピストルがやたら出てくる映画は全部イヤ。だけどフグは戦争物大好きだし、女が主人公のものとか、人間ドラマとか嫌いなわけで。

それで今日は、この間見たDVDがデンマークの「Adam's Apples」っていう映画の話なんだけど。

AdamsA.jpg


これが、実はかなりへんな風に私のツボにはまりまして。

一応コメディカテゴリーなんだけど、そうとうブラック。アハハハハッなんてそんなおめでたい笑いは一切ない。口の端っこで、かなりニヒルにフっと笑っちゃうようなセンスでね。

見ている間からドカンとくるタイプじゃないんですけれど、後からジワジワ効いてくるというか。

イヴァンという神父が出てくるんですが、その彼が思う存分にブラックジョークなキャラでね。最初はやたら前向きな神父さんなんだけど、その前向き過ぎな加減が、映画が進むに従ってブラック味を帯び始める。
 
あと、キリスト教のちょっとした前知識とか、特にヨブ(JOB)記についてちょっとでも知っていると、より楽しめます。一応ヨブ記がテーマらしい。

映画の話はここにいろいろ書くと、ネタバレってやつになっちゃうので書けないけれど、地味かつ後からジワジワ効くようなツネリが欲しい方、かなりオススメです。

この映画、最後はとてもこれまたよかった。

ヘンな風に、妙にハマりました。



ところで、見ている間は気づかなかったんだけど、この神父役やってる俳優がデンマークではかなりの人気のイケメンだという。

マッツ・ミケルセンという俳優(Mads Mikkelsen)。

mads.jpg 

この映画では、そもそも「カッコイイ」って役柄ではないし、途中から鼻が曲がったままになっちゃって(なぜかは映画見てくらさい)、かっこいいことに気づかなかった。

んだけど、後から知って思いました。

あらやだ、ほんとに超イケメン!(しかもそういえば、他の映画でも見たことある顔だな・・)。

見れば見るほどイケメンでね(顔のつくりとかだけでなく、イケメン臭漂いまくり)、しかもアメリカとかオーストラリアなんかにはいない、なんともヨーロッパ的というか貴公子的な。

ウィキペディアによると1987年からずっと結婚したままだけど、こんなイケメンで結婚生活守れるなんてエラいな、とか余計なお世話なことまで思う始末。

それで思ったのであります。

あのブラックジョークキャラな神父も、こういうカッコイイ人がやったからいいんだろうな、と。まったく同じ役でも、そこらへんの庶民的なファーマー臭のする男がやったなら、見るに耐えられんなと。

ということで、映画の話なのか、マッツ・ミケルセンの話なのか分からなくなってきたので、ここらへんで、おいとま致します・・・。


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2012.09.27 / Top↑
■■ PHOTO で India ■■-------------------------------------------------------------------


えーと、途中でパソコンが壊れたりとか、日本に帰っていたりとかしているうちに、ずいぶん長いこと、インド時代記事書いてなかったことに気づいた。

なのでかなり突然ですが、あの時「そのうちラチュン村紹介」なんて書いたので(つづく、とか書いて続いてない記事だらけでスンマセン)、じゃぁ、今日はラチュン村の紹介。つまり、記事「ユムタン渓谷」(クリック)のつづきです。


hi57.jpg 

シッキム州というのは一応インド領ですが、文化も住む人々も、「いわゆるインド」味はほとんどないエリア。

シッキムの人々は日本人にかなりそっくりです。

文化はほとんどチベット文化。インド、ネパール、中国と州境というか国境を接していて、話されている言葉はネパール語。

ヒマラヤの奥深い場所です。

ヒマラヤって広いのでいろいろで、たとえばラダックのほうへ行くとひたすら乾燥してるんですが、シッキムのあたりは湿度たっぷりで深い緑です。比較的お肌と喉にやさしいヒマラヤエリア。

中国と国境を接しているので政治的に何かと微妙な地帯(中国が絡むと必ずコトは面倒になる)でもあり、インド本土からシッキム州に入るにはパスポートにスタンプが必要。

さすが、日本人と同じ顔の人々が住むエリア、さすがチベット仏教エリアだけあって、いちいちが濃くしつこく暑苦しいインド本土から来ると、そののどかさにホッと一安心。

宿で深~い眠りに陥っちゃうっていうか。

人種による違いってあると思うんですよね、私。つまり、気質を決める要素って後天的なものだけじゃない気がする。DNAとか血が決めるものって、あると思う。

シッキムの人々のしつこくなさ、リラックス、気ままさ、そういうのは「いわゆるインド人」にはない。インドではのどかな田舎に行ってもない。

インドの濃さはそれはそれで面白いんですが、シッキム州みたいな場所に来ると、「あー、私、インドにかなり疲れてたんだなぁ・・・」なんてしみじみ。

夜露に癒され、そこかしこから聞こえる不思議なカエルの声に癒される場所です。


さて、ラチュン村(Lachung)は北シッキム地方の深い谷間にある、のどかな村。先日の記事に書いたユムタン渓谷に行く途中に寄る村です。


hi43.jpg 

ラチュン村自体の標高は2800メートルほどですが、シッキム州には、世界で3番目に高い山であるカンチェンジュンガもあるので、周囲の山は高いです。

hi58.jpg 

このとき、私はあるインド人(彼氏ではない・出家者)と旅行してたんですが、彼が「雲を動かすマントラを唱える」とか言い出して、唱えたんです。

その後、「フーってやって雲飛ばしてみな」とか言われたので、フーっとやったら本当に雲がみるみる動いて、山が見えちゃったりとかしまして。

ああいうのは、インドみたいなワケのわからない国にいると、たまにありましたねぇ、ああいうへんな体験。


hi49.jpg 

これは、ラチュン村から少し離れた場所でおばちゃんたちと撮影。みんな、チベットの衣装を普通に着てます。

私もこの衣装、記念に1セット買ったんですが、一度も着ることなく、そのまま宿の棚に置き忘れたという苦い思い出が・・・。

くぅ・・・口惜しい。なんか、いかにも日本人の私に似合いそうじゃないですか、この衣装。

hi50.jpg 

hi60.jpg 

シッキム州周っていると、いろいろな場所で、白い旗を見かけます。

白い旗は「喪」の意味があるんだそうです。つまり白い旗が立っているということは、その村で最近誰かが死んだとか、そういうこと。詳しくは知らないんだけれど、しばらく立てるみたいです。

時にはこうやって、ずらーっと列になって立っている。

たぶんこれは、結界の意味があるんじゃないでしょうかね。白って夜でも見えるでしょ。でね、死んだ人に、「ここからこっちにはもう戻ってくるな」と。「成仏しろ」と。そういう意味があるんじゃないでしょうかね・・・。勝手な憶測だけど。


hi53.jpg 


次は、ラチュン村のおばちゃんや子供たちの写真でーす。

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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。


2012.09.26 / Top↑
先日に引き続き、今日は高校生の頃、聴きに聴いていた曲。

なぜ、いきなりイタリアの曲がどうのとか言い出したかって経緯については、先日の記事(クリック)でも参照してくらさい。

さて、大学の頃はけっこうおフランスかぶれだった私なんですが、それよりちょっと前、高校生の頃は自分の部屋にこもってイタリアのカンツォーネなんて聴いていた私。

なぜどこからイタリアのカンツォーネが舞い込んだかは不明(笑)。出会いは不明もしくは記憶を喪失したんですが(なにしろそれってかなり昔)、聴いていましたねぇ。イタリア語のちっさい辞書なんか買っちゃってね。でも、文法とか分かるわけじゃないから、当然のように買い損で、何もわからないんだけど、一応買ったみたいな。

特に好きだった一人は、Iva Zanicchi(イヴァ・ザニッキ)という人。

彼女も、日本がカンツォーネブームだった頃(70年代とか??)には、日本でも有名だったらしい。 彼女のCDは、その後、社会人になった頃に一枚買い、今でも持ってます。たまーに聴くと、とても元気が出る。

例えばフランスってささやき系が多いけど、イタリアの昔の歌(なにぶん私、情報的に詳しいとかでは全然ないので「イタリアの昔の歌」とかいう非常に大雑把かつシロウトな言い方で失礼・・)の女性歌手の、叫び系の感じがけっこう好きなのです。

腹の底からというか、感情の底から、ちょっとドス効き気味の声で全部出す感じ。全部出す、この感じがたまらない。女性的なもの全部。

やっぱり1000%くらい、女!!!なのですよ、Iva Zanicchiの歌も。

どうでしょう、この愛なんて理屈じゃないのよ感。 あと、力強さ。


ちなみにイタリア語なので、やはり歌詞の意味はあまり分からず。なんとなくしか。(イタリア語しゃべってる読者のみなさん、というか、ナビちんとかユミさん、分かるんでしょ?んまー、ス・テ・キ)。


つべこべ言っててもしょうがないので、特に好きだった曲を単なるおせっかいで、以下に貼り付けます。
ね、なんか元気出るでしょ??


1.Testarda Io

これは、一番有名な曲のひとつなのではないかと。 というか本国イタリアではもはやクラシックなのかすら? いろんな人が歌ってるけど、最初に歌ったのはIva Zanicchiの様子。

最初はマイナー調で始まるんだけどね、途中のサビでメジャー調になるところとか、最高。なんて力強いんだろう。




2.Mi ha stregato il viso tuo





3.Zingara




4.Non pensare a me






5.Dall'amore in poi

この曲は大好きなんだけど、どうもいい動画が見つからず、音の質が悪いですが・・。
 
この動画の3分34秒あたりからです。






あ、おせっかいついでに言うけど、こういうのは大音量(できれば低音もガっと出して)聴くべし。チマチマ聴きなさんじゃないよっ。


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2012.09.24 / Top↑
さて、先日、フランス映画コメディについて書いたんですが。

今日は歌の話。

そういえば、私、27歳あたりから急激に人生がへんな方面(主にインド方面というのかしらぁ?)に方向転換し、今に至るわけですが、

昔は、むかーしむかしは、ちゃんとおフランスとか、そっち方面にかぶれていた時代がありました。何が「ちゃんと」なのか、よくわかんないんですが、ちゃんとそっち方面に心を奪われておった時代が。

それは主に、17歳から24歳くらいまでかな。その頃は、妙にフランスとかイタリアの昔の歌なんか聴いちゃっててね。大学の第二外国語もフランス語とってて。

その頃は当然、ネットなんかなかった。何の情報もなかった。ちょうど私が中学終えた頃が、世の中がレコードからCDに転換した頃でした。

レンタルレコード屋が急激にレンタルCD屋に変わっていってねぇ。高校生になると同時くらいに、自分でレコードを貸りることを覚えたんですが、あれよあれよとCDになっていったのを覚えている。

でも当時の高校生なんてCDなんて自分で買えなかった。誰もそんなもんをポイポイ買っていなかった。

だからレンタルCDショップでCD借りてきて、カセットテープにダビングして、って時代。ちょうど、カセットケースに「薄型」ってやつが出回ったころだった。んで、高校生とか大学生って時間あるんだなーって思うんだけど、その自分で作ったカセットテープケースのカバーにいちいち凝ってさ。レタリングなんてしちゃって。

って、あ、話が反れた。

それでネットもないから、好きだと思う歌手がいたって、その人物や歌について何も知らないままなのね。で、ひたすらに、ただただ、何百回もテープを聴く。ダビングテープを聴きまくる。それだけだった。

こういう「質素でシンプルだった時代のよさ」なんかを懐かしんでるのってオバサンくさくてかなーり嫌だけど、それはそれでいい時代だったね。

あの頃は好きな歌や歌手も、ある意味、縁に左右されたもの。たっくさんある中から吟味して、「これが好き」って言える環境ではないからね。たまたま巡り合ったものにハマる。そういう感じだったよなー。

それで、特に私が好きだった歌のひとつに、DALIDA(ダリダ)の「Il venait d'avoir 18 ans(イルブネ ダヴォワール ディズュイタン)」がある。 



これは1973年頃(私が生まれる前)の歌で、当時は日本でもヒットしたらしい。

この歌、大学一年生の時に見た「ミナ Mina Tannenbaum」って映画で使われててね。その映画自体は女の子の友情もので、当時話題になった映画「野生の夜に」に出て一躍注目浴びたロマーヌ・ボーランジェが出てて。これらの映画は当時、姉妹のように仲がよかった女友達と一緒に見に行って、そりゃ、私たちもはまっていたさ。若者らしく。

でも、映画については、「当時、若者らしく私もハマっていた」という事実だけ覚えていて、あとはあまり覚えていない。今見るとどうなんだろう。

でも、この歌「Il venait d'avoir 18 ans(イルブネ ダヴォワール ディズュイタン)」は当時からずっと私のお気に入りのひとつで、半年に一度くらいはふと思い出しては聴いている。

なんというのか、今どきの世の中って、やさぐれきっているでしょ?世界中なんですか、この渇ききった物騒な状況。

そんな中、この歌聴くと、ものすごい自分が女だということを思い出させる。自分のやさぐれや渇きに気づかされる。理屈じゃなく。なんか、情感たっぷり、子宮感バッチシ、湿度ムンムン。歌詞はフランス語だから、ところどころしか分からないし、直接頭に入ってこないので、あくまでも歌い方とメロディーがそうさせるという意味で。それから、時代の雰囲気が伝わってくる。

ニュースなんか見てると、最近、情感なんて枯渇しそうな気分になりませんかね?暴動やら戦争やら破壊ばっかでさ。だから私は、部屋にこもってこうやってね、古き良き時代に癒されるわけであります。



ちなみに、「歌詞がどうのっていうんではなく、歌い方や歌手の思いやメロディーが情感たっぷりでいいんです」とか言っておきながら、ここで歌詞の話するのもナンだけど、この歌のタイトルの直訳は「彼は18歳」。

そう、登場人物の彼は18歳なの。でね、主人公の女性・・・・・なんと、彼の倍の年齢なの。彼女は彼の美しさに恋焦がれるんだけどね、たぶん私の妄想だと、若い男の持つ良くも悪くもいろいろなものってあるじゃん?おっさんが良くも悪くも失ってしまったものよ、言い換えると。そういうものに恋焦がれてるわけだ。

だけど、彼にとっては自分はオバサン。彼の若さゆえの残酷さが、彼の美しさと表裏一体であるということも理解できる年齢になっちゃってね・・・っていう女の悲哀の歌でもあります。

いまはネットがあるから、何でも調べられて便利。ってことで、日本語訳(
クリック)も見っけたよ。


でさぁ・・・・また話のポイントがズレるけれど、私は打ち震えたのであります。この、彼にとってはオバサンな年齢のこの女性だけどね、36歳なわけです。歌の最初で自分のことを「人生の秋を迎えた」などと言ってます。

あのさぁ、私、もっと年齢いってんだけど!!???

私、人生の秋を迎えちゃってるの???もう秋なの?わたしは、打ち震え、そしてヒザをガクンと落としましたさ、この事実に。若い頃からあれほど聴いていた大好きなこの歌の主人公より歳食ってしまったという事実に。

ところでダリダに関して言えば、彼女の歌う「Parlez D'amour」も大好き。この歌は他にもたくさん歌っている人がいるけれど、彼女のやつがけっこう好きだな。

ダリダは、自殺して54歳で死んじゃった。恋多き女だったって。この映像見ると、若くて綺麗だよね。
 





次回は、私が高校生の頃に聴きに聴いたイタリアのあの人の曲について~。

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2012.09.21 / Top↑
私、好きでたまらない脚本家兼監督がいる。

それはFrancis Veber(フランシス・ヴェベール)

フランス人。

主にコメディ映画の脚本を書いて、監督をする人。

コメディ映画では、私はダントツでフランス映画が好きなんだけど、その根拠の95%はこの人にある。つまり、フランスのコメディ映画が好きというよりは、この人のコメディ映画が好きということ。

コメディって、人によって最もツボがいろいろだと思う。自分のツボとズレたコメディ映画って、目もあてられないほど退屈じゃないですか。でもその代わり、ツボがはまるコメディ映画は見ている間中、ずっとニヤニヤしちゃうくらい楽しい。

フランスのコメディセンスって、私のツボにドンピシャなことが多い。イギリスの笑いのツボとかは、どうも毎回イマイチはまらないし、ハリウッド映画の笑いのツボに至っては、わたし、時間を無駄にした怒りがこみ上げるほどなんだけどさ。

というか、やっぱりFrancis Veberのセンスが、あまりに私にドンピシャなので、私、この人の映画の特に好きなものを永久保存版として、家に置いておきたいくらい。

人によっては、ブラックなイギリス系ユーモアが一番来るという人もいるだろうし、こればっかりは、「別に好きじゃない」と言われればそれまでだけど、でも、ヒマがあったらちょっと何本か見てみてほしい。

Francis Veberの映画はね、必ず誰か、ちょっとバカにされてる人物が一人出てくるの。その人の名前は、Francis Veberの全作品通して、かなりの確立で「フランソワ・ピニョン」って名前なの。ここがもう、すでに秀逸。ピニョンだよ?このフランソワ・ピニョンっていう名前にこだわる点でもう、秀逸(かなり古い作品だと、フランソワ・ピニョンじゃなかったりするが、でも似たような名前)。

毎度の脚本のうまさも本当に、毎度、しみじみうまいなぁと思う。

それでね、毎度、ちょっとバカにされてる人物がさんざんバカにされるわけだけれど、それでいて、全然いやな気分になるような映画じゃなく、むしろ、最後にはなんかやたら愛に満ちた気分になる。

でもそれが、安っぽいセンチメンタルさじゃなくてね。うまくいえないけど、たいがいのおセンチものには拒否反応が出るこの私が、素直に「なんだかいいなぁ」なんて、しみじみと思っちゃうんだから。

さて、彼の作品の中でも私が特に好きな3本を勝手に紹介させてもらおう。


①La Chèvre


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出演:ジェラール・ドパルデュー(Gerard Depardieu)&ピエール・リシャール(Pierre Richard)。

これは、一番好き

1981年の作品なので、かなり古いけど、だからいい。

評論家様たちはよく、いい映画といえば、かならず古い映画を挙げたがる。あの現象にいまひとつ反抗したくなることがある私だが、やはり古い映画のシンプルな良さってのは、実際あるのかも。

これはたぶん、Francis Veberがフランソワ・ピニョンという絶妙にアホな響きの名前を発見する前の作品らしく、登場する人物の名はフランソワ・ペランなんだけど。

この作品では、「フランソワ・ペラン」は、恐るべき運の悪い男

そのフランソワ・ペランの感じと、ジェラール・ドパルデュー演じるカンパナとのやりとりが、っもう好きで好きで好きで好きで。この映画は最後の終わり方も好きで好きで。

大好き。



②Le Diner de Cons


d2.jpg d1.png d3.png  

1998年の作品。

これは、Francis Veberの映画の中では、一番有名な作品。日本でも公開されて、邦題は「奇人達の晩餐会」。ほら、聞いたことある人いると思う。

この映画は豪でもレンタルショップでよく見かける。英語の題名は「The Dinner game」。

※ハリウッドで「Dinner for Schmucks」の名でリメイクもされたけれど、当然だけど、
リメイクなんか死んでも見ないように!

この映画は、ちょっと意地悪な男仲間が毎月開いている「バカを呼んできて、みんなでそのバカさ加減のすごさをせせら笑う(もちろんバカ本人はバカだから笑われていることに気づかない)」っていう夕食会にあるとき呼ばれることになった「フランソワ・ピニョン」の話。ピニョンはマッチ棒でいろんなものを作るのが大好きな男。

これは、私は途中途中で、涙が出るほど笑った。実際、腹を抱えて笑った。

大好き。


③Le Placard


p1.jpg p2.png 

出演:ダニエル・オートゥイユ、ジェラール・ドパルデューなど。

これは2001年の作品。

日本公開時の邦題はなぜか「メルシィ!人生」(なんじゃ、この邦題)。
この映画も豪でもレンタルショップでよく見かける。英語の題名は「The closet」。

この映画のフランソワ・ピニョンは、コンドーム会社に勤める冴えない男が、リストラ対抗として、ゲイを装う話。

ピニョンの冴えなさの絶妙加減、周りの女子のちょっとした意地悪視線の感じなどがたまらない。

大好き。


★上記3本のほか、「La Chèvre」と同じ時代の同じような雰囲気の作品である「Les Comperes」「Les Fugitifs」実はかなりいいです。絶妙な笑いセンスと、おセンチじゃないのに愛に満ち満ち満ち溢れている。この2本は、出演も「Le Chevre」の名コンビであるジェラール・ドパルデュー&ピエール・リシャール。「La Chèvre」「Les Comperes」「Les Fugitifs」の3本は、やさぐれた私にとっては、薬のよう。


Francis Veberの作品は、コメディじゃなくても、ジャン・レノ出演の「Tais Tois!`」など、なかなかいいんですが、やっぱりコメディが一番。

★吹き替えなんかで見るべからず。フランス語がわからなくたって、あの響きなくしては面白くないと思う。



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2012.09.18 / Top↑
最近、布ナプキンが気になる。

以前のこれら記事でも書いたとおり、化学物質に関しては、ある程度気にしている。

布ナプキンにすると、生理のときの生理痛やダルさがかなり軽減するっていうのは、たぶん本当だと思う。

だって、あそこらへんって粘膜だし、あんな状態でずっと石油系なんとかで作られているナプキンあてがってちゃぁ、そりゃぁ、さぞ、いろいろ吸収しちゃうでしょうよ。

でも、これまではなんとなく気になってはいたものの、結局、布ナプキンは試していなかった。

だって、毎回洗うってのが、かなり面倒そうに思われるし、漬け置き洗いが基本らしいけど、その光景を想像して、どうもいまひとつ躊躇。

でも、この場にきて、タイムリミット目前妊娠問題も浮上したことだし、ついに試してみるかとネットでちょっと見たところ(もちろん日本のサイトでございます)、なんだ、想像していたよりも、かなりよさそうではないですか。

ということで生理だった先週は、「今度、布ナプ買ってみちゃおうかにゃ」というのが私の頭にあった。

と、これが今日の記事の前置き。

そう、前置きなの、これは。


んで、そんなことが頭にありながらの、先週のある夕食時。

生理ナプキンを切らしていたので、その日は夕食が終わったら近くのスーパーに買いに行くことになっていた。

だから、夕食時に生理ナプキンの話になった。


なにも夕食時に生理ナプキンの話なんかしなくてもいいじゃないか、と人は思うかもしれないけれど、これがまた偶然にもそんな会話になってしまったのにはワケがある。

というのも、その時になにげなくついていたテレビで、どこかのとてつもない田舎に住むおばさんが「うちは牛乳買いに行くのも100キロ先の町へ行くのよ」と言っていたのだ。

それを聞いて「ねぇ、今からバララト(うちから100キロくらい行ったところにある街)にナプキン買いに行かなきゃいけなかったら、どう?」という感じで、ナプキンの話が始まってしまったのである。

その会話をしたあと、私はふと、布ナプキン今度試してみようかなって思ってることを思い出したので、続けてフグに「そうだ、今度、布ナプキンてやつ、買うかも」と話した。

女および女にまつわる物事全般的に興味ナッシングのフグであるからして、だいたいこういう会話も私が勝手にしゃべってるだけなんだけれど、

それでもフグが顔をしかめてボソっと「なにそれ?」と言った。「買う」という単語には、比較的反応があるフグ。ヤツのサイフのヒモを緩めるのは、毎度タイヘンなのであるね。

だから私は「エコなの。身体にもいいの。それに最初ちょっと高いけど、その代わり毎回買わなくていいから、結果的には経済的なの。妊娠計画にもたぶんいいの」などと、利点を述べてみた。

するとフグは顔をしかめたまま「毎回買わなくていいってなに?意味わかんない」みたいなことを言う。つまりフグは、あれを洗ってまた使う、などということは発想にもない模様。まぁ、無理もない。

だから私は「あ、つまりね、洗ってまた使うってこと」と説明。

するとフグは「うっへぇー・・」というような顔をした。失礼な男だよ、まったく。


と、それとともに私たちは夕食を食べ終わった。ここがポイント。


しかし、私の頭の中ではまだ布ナプの会話が続いている認識でいたので、フグのうへぇー顔に対して、私は「心配後無用。ノープロブレム。私が洗うんだから。あなたが洗うわけじゃないんだから」みたいなことを言った。


とフグが「え?洗うよ。オレが洗うって」と言う。

え?ぇぇぇぇぇえええええ?
私、耳を疑った。ちょっと、この人、なに?


私「え?いいってば、私が洗うってば」

フグ「いいよ、君はほら、体調が悪いんだから」(その日は生理2日目で、体調が重く、ダルイダルイとぼやいていた)

私「え、でも、さすがに私が洗うってば」

フグ「あっという間だから、大丈夫」

私「いや、漬け置きしないとダメなんだって」

フグ「いや、今日は油ものとかないし、鍋もないでしょ?(漬け置きするようなものないでしょ?)」



え?油もの?鍋??

・・・・・・・・・・・。

ここでやっと気づいたんである。会話のスレ違いに。

私はナプキンの話をしていて、フグはこの日の皿洗いの話をしてたんであった・・・・。


あー、驚いた。


いや、うちは確かに皿はかなりフグが洗ってくれる率が高いんだけどさ、にしても、ナプキンまで洗うと申すか?ヘ、ヘンタイ?と、ビビったビビった。ビビり損こいたわ!

そんな気持ち悪いことしてくんなくていいし!とか、勝手に思っちゃったわよ、私。



「君は体調悪いんだから」とかいうセリフも絶妙に、お互い誤解して解釈してさ。

私は「たしかに、生理んときは体調悪いけどさぁ」って気持ちで聞いてたけど、フグにしてみれば、この時に、たまたま私が生理で体調が悪かったから言っただけだったわけで。

漬け置きの話もね、確かにうちって、皿についている固形物な汚れをささっと流したあとに、まずは一度、洗剤液の中に皿を沈めてから洗うの(そうすると洗い上げが簡単。ちなみに、うちには食器洗浄機はあるけど、使ったためしがない。あんなでかい洗浄機、2人暮らしの皿量で使う気にならない)。

だから、漬け置きの話も、お互い誤解したまま、奇跡的に会話のスレ違いが続行した。



だいたいこういうスレ違いは、ヒンディー語の特徴もけっこう原因だと思う(わたしたち、基本会話はヒンディー語)。

ヒンディー語ってね、「誰が」「何を」みたいな単語、全部省いてもしゃべれる系の言葉なわけ。動詞が人称にあわせて全部活用するのでね、わざわざフルセンテンス言わなくてもいいのです。

だから、最低限の単語で済んじゃうことが多い。

「私が洗います」って言いたいときもね、「ドーティーフン(洗います)」で言いワケ。誰がって単語も、何をって単語も省略可能。でも英語だとどうしても、「I will wash them」とか、「I m gonna wash them」とか言って、themとか言うでしょ?

漬け置きもね、「ビゴーナーヘ(漬け置きしなきゃいけない)」でいいの。何を、とか毎度言わなくてもよい。



会話がスレ違っていたことが分かった途端、フグは「げ!そんなもん洗わねぇって・・・」と、またうへーっという顔をした。うへーっ、ってのは失礼だが、まぁいい。許してやろう。 ヘンタイよりはマシだ。


あー、よかった。ヘンタイじゃなくて。



ところでですね、オーストラリアのショッピング事情がいかにクソのようであるかについては、これまでも何度も書いていますが(ろくなものがない、日本だったらシマムラ以下のようなものがバカ高い、消費者がバカすぎる等)、

ネットショッピング事情にいたっては、日本より50年遅れてる。10年足らずの歴史しかないはずのネットショッピングが50年遅れるわけないんだけどさ、でも、感覚としてそれくらい遅れてる。

んで、布ナプキンひとつとっても、どこでも見かけないし、ネットで探してもろくな情報が出てきやしない。こういうのはね、もう思い知ったけど、郵送費かかっても日本からお取りよせしたほうが、結果的に満足します(質もさることながら値段もね)。

普段は悲しくなるので、日本のショッピングサイトはなるべく見ないようにしてるんだけど、布ナプキン調査でひさびさに日本のショッピング事情の「常軌を逸したすばらしさ(豪比較)」を見せ付けられ、また、悲しくなった。ほんとになんなんだ、オーストラリアって・・。



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2012.09.17 / Top↑
高齢。

この、世にもババくさい単語。

とても、自分に関係のある言葉とは思えない。

ってことについて、ここ数日間、デリー時代のマブダチ(もちろん日本人)とメールでブツクサとクダ巻いていた。


え?高齢って、杖とか、尻のほっぺの下にたるむシワとか、大人用オムツとか、入れ歯とか、眉毛も白髪とか、陰毛も白髪とか、湯呑みを持つ手が思い切り震えてるとか、ラクダ色のパッチとか、「かぁさん、夕飯まだかぁ?何言ってるの、もう食べましたよ、おとうさん」とかそういうことでしょ?

それが何か?どうなすって?


と言いたいところなんだけれど、既に私たち、思い切り「高齢」関係者であるらしい。

うっそ・・?。聞いてねぇーちゅうの。寝耳に水。

そーいう話をしてました、友達と。




何のことかってね、子宮だよね、子宮。
 
もう、充分に高齢妊娠・出産」な子宮なんだね。

子宮の時計がチクタク秒読み始めちゃってね、「バイオロジカル・リミット」という厚かましいヤツが、まるで向こうから駆け足でこちらに向かってきているかのよう。

これまでも何度か、このブログでほのめかしているように(え?ほのめかす程度じゃんくハッキリ言ってる?)、

私、けっこういい歳なので、あまり子宮的に時間がないんですよ。

なーんでこんな年齢になっちゃったのか、自分でも不思議でしょうがないんだけど。

この場でズバリな年齢言っちゃうのはやはり控えておこうなんて思うので、一応控えさせていただくわ。

でも「早くしないと、手遅れになりますよ。知りませんよ、後悔することになっても」って歌を、脳内の小人たちが大合唱してる年齢なんです、産む的に。



そこで、じゃぁなんで自分が「産む的にとても、ご高齢」であることに対し「聞いてねぇっちゅうの」などと発言してるかと言いますと、

まさにそう感じているからとしか、言いようがありません。


ほんとにね、ついこの間です、ついこの間まで「まぁ、まだ大丈夫だろう」って年齢だったんです。

もうちょっと先送りにしていいかなって、おととしくらいまでは思ってた感じ。ボンヤリとだけれど。

それが、たった2年足らずくらいで、突然「ヤバいかも、慌てないと!」という事態だって始末。そういうもんじゃないですか?

女の30代って、そんな感じ。

結婚だってね、「まぁ、まだなんとかなるかーぁ?」って思ってノラリ気ままに生きてたある日、たった2年くらいの間に、

「えーと、私、実はヤバイのかも?つーかもう、乗り遅れたかも?一生お一人様か、問題アリの余ってる男しか残ってない?あれあれ?いつからこんな状況に!私、いつからそんな年齢に!!?」って日が突然訪れる感じじゃないっすか?


結婚問題も妊娠問題も、

「まだいける」と「慌てろ!」の間の流れが超急流!

30代の中盤前後でまず、結婚問題が突如、深刻味を帯びるんだよね。それでなんとか結婚したとしても、それからすぐに、ついこの間まであんなにノン気な気分で構えてた「産む問題」がこれまた突如、深刻味を帯びるんだよね。

それもこれも結局は、子宮のバイオロジカルリミットが思いのほか早いという動かせぬ現実によるものなんだけど。(さもなければ、永遠に結婚に踏み切れない女が続出して、人類滅びると思う)。



なんか、ここらへんに、女であることの損加減を感じずにはいられません。でも、やっぱりどっちかっていうと、女でよかったなぁ、なんて思うので、この損気分は気のせいってことにしてますけれど。クフフ。

ちなみにさ、こういうこと言うと、必ずや「子供産むために結婚したいのか?」みたいな逆説発言(←別名:つまらない理屈)をするヤカラが必ず出現するんだけど、ぜんっぜん違うわけ。

そーいうことじゃ、ぜーんぜんないんですが、それでも尚、30代ともなると結婚と子宮時計には、くんずほぐれつの深い縁があるんです。そーいうもんなんです。よね?


で、私の人生も、ほっんのついこの間ぽっちまで、「まだ大丈夫でしょ」だったはずなんですが、トンネルを抜けるとそこは雪国だったくらいの急変貌ぶりで、「ピーピーピー!慌てはじめるべし~!」という子宮警報の鳴るお年頃に。



でもね、これまではそこに「ビザ下りてない」って問題が立ちはだかってたわけ。

私は、朱肉が見当たらないので印鑑に口紅グリグリ塗って捺印し、ちょっとピンクっぽいなとか思いながらも何かの書類を提出をしたことが3回くらいあるような女なので、

ビザなんてなんとかなるんじゃないの?別にビザ狙いで妊娠するわけじゃないんだけどさぁ、妊娠しちゃえば、ビザはどうにかなるんじゃーん? 急いだほうがいいんだよ、私たち。

と、散々に渡ってフグを説得


だってね、ビザが下りていない期間の空虚さ。

なんの権利もなくてさ、事故ったらビザが更にゴタゴタする恐れもあるし医療の権利もないってことで、車の運転も最小限しかできなくてね、毎日家に閉じこもってさ。

それって、「自分の時間ゼロだよ。なーーんにもできないよ」と各方面から伝え聞いているウワサの「乳飲み子を抱えている状況」に、一番ふさわしいじゃないですか?

その、「自分の時間ゼロだよ。なんにもできないよ」とまことしやかにウワサされている日々を、ビザ待ち時間に少しでも済ましちゃおうって案、もんのすごく素晴らしいアイデアじゃないですか?



そのうえ、高齢であれば高齢であるほど、

・子作り計画をはじめたからと言って、すぐに妊娠できるわけじゃない。私たちの年齢だと、「平均2年かかる」とかいうデータすらある。

・年齢が進めば進むほど母体への負担も雪だるま式に増倍し、かつ、健康な子が生まれる確率が雪だるま式に減る。

という、切羽詰った事情も、フグに力説。


動物的事情を、紙切れうんぬんの事情に合わせてられっかと。



でもね、そこらへんが私と正反対の性格で、私を「公的機関を舐めている女」と判断しているフグが、

NO としか言わず。ビザ下りるまでそれはやらんと。



ワタクシ、この時ほど、子供は一人では作れない、と思い知ったことはございませんでした。

子供作りというものは、かくも共同作業なのでありますね。

それを、こんなカタチで超・実・感。



それで、「ああ、この中途半端なビザ待ち時間、どうせ中途半端なのなら、この時間をさっさと妊娠出産一大プロジェクト(工期10ヶ月、竣工後、24時間体制で管理にあたる必要がある期間およそ3年といったところですか?)にちょっとでもあてがいたいのに」とイライラしつつ、過ごしたワケです。

フグがどうしても、仕込んでくれないっていうからよぅ。(あー、公開の場でこんなこと言っちゃって)。



フグ、ほんとにね、頭が堅いしヘンクツ系。

だいたい世の男ってのは、分かっていつつも「その時」になると、ついガマンできなくて、ちょっと漏らしたり、勢いあまったりしてですね、まさかの妊娠をさせてしまう、みたいなのが多かったりするわけですよ。

しかしフグの場合、「仕込まない」と決めたら、意思的にも肉体機能的にも、絶対にそこ厳守しちゃうから。褒めるとすれば「責任感がとてもありなさる」ってことなんだけどさ、


なにかね?アンタのアソコには、強力なゴムパッキンのいいやつが搭載されているのかね?自由自在操作可能で、かつ絶対水漏れしないゴムパッキンが。

なので、事故で妊娠をひそかに期待、ってのも、うち的にはありえませんでした。



でも、これまでにも書いたように、先日、とうとうビザが下りたわけであります。

だから、早急にメディケア(豪の国民健康保険みたいなもん)にも登録してきましてですね、

「約束でしょ?」とばかりに、先月、初の仕込を致しました。
(私はいったい何の義務があってこのようなことまでを、人々に大報告しているのでしょうか)。


どうせ子作り開始するのであれば、もうギリギリのお年頃なんだから、適当にやらずに正確に狙おうということで、かなり正確に、ダーツとかアーチェリーばりに正確に狙いを定めました。


で、結果はと申しますとぉ!

妊娠せず。

おととい、初めて使う妊娠チェッカーなるもので調べたところ、ウズベキスタン人のつながり眉よりもクッキリとした「陰性」のラインが浮き出ておりました。



そこで思い余って、とうとう私は筆をとり、ここにまたもや、いろいろと書きなぐっているっていうわけ。



私ね、上記にタラタラとまくし立てたとおりの事情により、焦ってはいるももの、実を言ってしまうと「子供」ってもんが好きではない。

実を言うと、むしろ嫌いだ。かわいくないし、うるさいし。

去年、妹に子供生まれ、私はとうとう「おば」ってものにもなったんだけれど、その妹の子供でさえ、今ひとつ、しっくり来ない。かわいくないとは言わないが、まぁこんなもんですかね・・・と。

でもそれ、けっこう普通でしょ。「産むまでは子供なんて嫌いだった」という人のなんと多いことか。だから、自分の現時点での子供嫌いに関しては心配してないの。

ホルモンのせいで、女性は子供を産むと、子供がかわいくてたまらなくなり、子供のことで頭がいっぱいになるんでしょ?聞くところによると。そして、観察するところによると。

むしろ私は「生んだ途端に、私まで世の母親みたいになってしまうのか?フェイスブックに載っける写真はひたすら子供の写真で、つぶやくツイートがすべて子供のことで、ブログの話題もすべて子供が何をしましたってことしか書かなくなってしまうのか?」

ということのほうが、不安でね。


こればっかりは未知数で、私でさえ、自分が予測不可能なところが、ちょっと怖い。「私はそうはなりません!」とキッパリ言うには、あまりにもたくさんの、そう言っていた友達たちが変わっていくのを見てきた。

私を上回る冷めっぷりで、子供も大嫌いだった仲のよい友達が妊娠したときに、彼女から「妊娠しました」ではなく、「私、今度ママになるの」っていうセリフで妊娠を告げられたあの頃から、私は、ホルモンが為すという、女性の変化(ヘンゲ)に少なからず、恐れをいだいているのであります。


であるから、今回、結果妊娠してなかったことは、
 

残念が70%、でもホっとしてしまったのも30%くらいはあった。というところ。

やぱり、心のどこかがいまだに猶予を求めている。それは否定できませんにゃ。どうしても結婚に踏み切る気になれないタイプの男みたいにね。

でも、もちろんよくよく考えると、「人生長い目で見れば子供がいたほうがいいだろう、そのほうが豊かだろう」って思うから、欲しいんだけどね。

だから「本当に私、妊娠できるのか?」って不安により、残念のほうが一応多くて70%。



さて、「いくら狙ったからって、一度目失敗くらいあたりまえ。普通その歳だと、2年くらいかかる場合あるっていうよ」とみなさん言うでしょう。

まして、不妊治療中の人なんか、「一発目で妊娠しなかったからって、ゴチャゴチャ言ってるなんざぁ、チャンチャラおかしいわ。ヘソが茶ぁ沸かしちゃうわ」と思うことでしょうね。

いやいや、私もそう思いまーす。

しょうがないわ、地道に行くわ。


だけど、わたし、生理が乱れたことがいまだかつてなくてね、見事なまでに時計のように生理が来る女でね、生理痛もないとは言わないけれど、一般的には軽い方だし、卵巣や子宮系の不具合に落ちいったことは、いままの人生で一度もないので、

とりあえず今回、こういうふうに思ったのです。


あ、私、本当に「ご高齢」なんだな、って。

やっぱり、自分は実感がなくても、自分は若いつもりでも、刻一刻と、肉体は歳をとっているのだなぁと。

毎日毎日、時間というのは前にだけ進んでいくのみで、一秒たりとも止まることなく、絶対に待ってくれない。ハッキリと気づかないだけで、気づきたくないだけで、実際の私は毎日少しづつ、明らかに歳をとっていると。

いくら今まで一度も問題を起こしたことのない卵巣や子宮だからって、年月による弱体化は避けられないんだなぁと。


つまり、今回は「節目」になりました。

ワタクシ、我が「ご高齢」を腹の底から認め、次回からはちゃんと「精神面でも」猶予なんか求めず、真面目に家族計画に励みまーーす。


それで1年たっても妊娠しなかったら、青ざめることにしよう。

ところでさぁ、こんなにベラベラあーだこーだとクダを巻いたあげくのまさかとは思うけど、フグ、あんたの種の問題じゃなかろうね?(笑)。


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2012.09.07 / Top↑
おぱようござりますです。

先日、メルボルンの気候や暖房事情に関し、怒りをブチまけまくったところ、一ヶ月前に日本から帰って以来初めて!今週末、つまり昨日&今日、素晴らしい天気れす。

メルボルン君、君は言えばわかる子なんじゃないか。先生、今日はちょっとだけ、嬉しいぞ。しかし、油断は禁物だ。引き続き、気をゆるめることがないよう。
それに君の暖房事情は最悪だ。そこは先生、妥協できない。

つーか、今、スマフォで打ってんです。スマフォで文字打つの、世界一嫌いなんです。


先々記事に書いたとおり、昨日、パソコンを修理センターに持って行ったところ、そのままお預けとなってしまいました。入院、手術ってことじゃ。

だから、パソコンが退院するまで、コメント返信など、すんませんがお待ちくださいまし。

では。
2012.09.02 / Top↑
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