国際結婚により、これまでダントツ興味のなかった国オーストラリアのメルボルンにやってきて人生ごと座礁中。

こんぬづは、みなさん。

無味無臭なメルボルンにやってきて、人生が五里霧中なパナッタレです。

インド単身在住4年の日々を終え、無事に日本に帰還して落ち着いた人生を歩もうとしていたのですが・・・、おっとどっこい、その後にうっかり出会った現夫の住むオーストラリアのメルボルンに移住することになってしまいました。

やっと2012年7月、配偶者ビザが下りました。早くPRが欲しいです。


番外編としてインド時代の写真をたまにランダムに紹介しています。

ブログを通じた出会いを楽しみにしていますっ。

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----*-----*----- ※インド時代にせっせと書いていたブログもオンライン空間のどこかに放置してあります。また、メルボルンに来た去年にもブログを立ち上げたんですが挫折したあげく、IDもパスワードも忘れてしまったまま放置・・。何が言いたいのかというと、「似た内容、どっかで読んだな。。」と思ったら、それ、たぶん私のインド時代ブログか、挫折したメルボルンブログです・・・・。あしからず~。

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■■ PHOTO で India ■■-------------------------------------------------------------------


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この記事(クリック)で書いたように、インドの中でも、ベンガル地方では毎日のように魚を食べます。

フグのお魚食への熱い思い(笑)を見ても、ベンガル人にとって、魚は本当に重要な食材。

今日の写真は、ベンガル地方(インド、西ベンガル州)のとある田舎町のマーケットの中の、魚売りエリアの様子。

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↑ 上の写真も下の写真も、Chitol(チトール)という魚 ↓

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ベンガル人、魚をよく食べるといっても、すべて淡水魚です。

海の魚は基本的に、縁遠い。
日本人の私たちが、淡水魚にかなり縁遠いのとおなじ。

日本では淡水魚というと、「マスや岩魚」などなら食べますね。

でも、それらはせせらぎというか、清く流れる水にすむ魚たち。

でも、ベンガルで食べられている魚たちは、沼というか、もっと濁ったような場所に住む魚たちです。

きよらかな清水の魚たちではない。

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↑ これは「ローフー(Rohu)」という魚。これでも小さいほう。

ローフーは鯉の仲間。一番ポピュラーな魚のひとつだそう。

私は苦手です。以前、どこか中華料理屋で食べたことがある鯉と似たような味がしましたわ。

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↑ これもローフー。

日本人のように魚をきれいにさばくということは、まずありません。三枚おろしなんて、まさか。

胴体、ぶった切です。

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ベンガル人は、「海の魚は臭い。生臭くて食べられない。オゥ、Fishy ! 」と言います。

いやいや、私たち日本人にとっては、淡水魚こそが「生臭くて、泥っぽい味でやだ」です。

お互い、生臭いと思いあっているというわけ。

慣れない臭いを「くさい」と思うんでしょうねぇ。

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ローフーみたいな大きい魚だけではなく、こういった小さな魚もたくさん。

ベンガルでは、貝類やイカ、タコは食べません。 淡水にいないし。

あんなに、あんなに、あんなにおいしいブイヤベースだって「くさい。ムリ」と言われました(泣)。

ムール貝だって、激ウマなホタテだって、あんなにおいしい牡蠣だって、あーーーんなにおいしいシジミ汁だって、フグに「やだ」と言われてしまいます(大泣)。

でも、淡水にもエビはいるようで(川エビ)、エビなら食べます(上の写真の左上あたりにちょっと映ってる)。

とにもかくにも、食に関して保守的で、排他的なインド人。

食べ慣れたもの=正しい  食べ慣れないもの=野蛮
  という図式は更新不可能。


でも、フグは海の魚でも、好きなものはありますよ(貝やイカは許してもらえないけれど・・)。

フグの好きな海魚は、「サンマ、サバ、イワシ、アジ、ほっけ、鮭」です。

素人にはなかなかマネの出来ない、大人な好みでしょ?

そこはやはり、お魚食文化の素養があるからでしょうかね?(笑)。

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 ↑ この魚は、フグが「名前が思い出せない」と・・。
  

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↑ これは、「マグル(Magur)」という、ナマズっぽい魚。

日本でも「マグロ」って魚があるよ。という話をしたのは、言うまでもありません。


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↑ なぜこんなビシャビチャな地面で・・・・こんな風に・・・・売るの・・・?汚そう・・・と思わずにはいられませんが、そこはガマン。

魚市場は、やっぱり、かなりくさいです:(

暑いので、魚屋の人はひたすら魚に水をかけたりしながら売ります。


ベンガルお魚マーケット、まだまだたくさん写真がありますが、ひとまずはこれにて~。

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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。
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2012.06.30 / Top↑

メルボルンのシティは狭い。

パースからメルボルンに来た友達は「なに言ってんのよ。パースに比べりゃ大都会よ。パースなんて、ひとたび外に出りゃ、知り合いに出くわしちゃう確立50%くらいなんだから」と言うけれど。

メルボルンは、人口380万人。

そう聞くと確かに、それなりの人口があるんだ、と頭では分かる。

しかし同時に「人口380万人」という響きと、この小さいシティが、全然頭の中でかみ合わない。

アジアのように都市が縦方向に成長するのではなく、どんどん郊外にひらったーく伸びていくということを差し置いても、「380万人にこんな小さなシティで、事足りるのかな?」とよく分からない。


ちなみに東京はウィキペディアによると、

「東京都区部(23区)の人口は883万人(2010年6月現在)であるが、昼夜人口変動を考慮すると、オフィス街の多い都区部における昼間人口ははるかに高い。

東京都では約1,300万人、東京都市圏では定義にもよるが約3,400 - 3,700万人である。東京都市圏は世界のどの都市圏よりも人口が多く、東京は世界最大の都市を形成しているといえる」

だそうだ。

東京はウィキペディアにもあるように「昼間人口」が膨れ上がる都市なので、比べずらいけれど、あえて比べてみる。

とりあえず東京の核部分である東京都区部(883万人)とメルボルンの人口を比べると・・・・

一応は、メルボルンは東京都区部の約45%の人口があると言える。のだ。


しかしだ。

メルボルンのシティにいると、とてもじゃないけれど、そんな人口がいる都市とは思えない。

CBD(City Business District)という、「ビルとかがあって、都市な部分」は本当に小さい。

新宿の新南口エリア+東口エリアより小さいと思う。

端から端まで普通に歩けてしまうし、歩いているとすぐに、「端っこ」あたりに来てしまう。

一応380万人いる都市が、なぜこんな小さなCBDで済むのか、どうにもよくわからないんだけれど、とにかくそれでなんということはなく済んでいるらしい。だから私も、そんなもんなのかなぁ・・と思って暮らしている。

やはり東京があまりにもデカすぎるというか、東京の「昼間人口」というやつがスゴすぎるだけなのであろうか。


なぜこんなことを書いているのかというと、

「その狭さ」にたまに、いろいろな風に驚くからである。

どう驚くかと言うと、こういうこと。


①<フグと同僚>

オーストラリアのサラリーマンの仕事文化はやはり、「ひたすら転職を繰り返しながら、だんだん上に登っていく」というもの。

ひとつの会社にずっといるという考えは皆無といっていいくらいの様子。

業界や職種によると思うけれど、フグの職業の場合、だいたい2-3年で次の会社に転職するのが平均のよう。


そうすると、東京に暮らしていた私の感覚だと、「転職したら、それまでの同僚とまた職場で出会うなんて、ありえない。それどころか、オフィスの場所が同じ界隈ってことすら、けっこう稀」というイメージがある。あった。


だけどフグやその同僚界隈の様子ときたら、こんな感じなのである。

・以前の会社で同僚だったAも、今月からうちの会社に転職してきた。
・Bも同じようにして、前の会社からうちの会社にやってきた。
・そういえば、前の前の会社で同僚だったCも来月からうちの会社に来る予定。
・Dはナントカ社に転職だから、今月で会社をやめる。
・そのナントカ社には、Eもいる。Eは前の前の前の会社で一緒だったんだ。
・ナントカ社ではFという男が今働いているんだけど、そのFは、メルボルンに来て最初に働いてた会社で一緒だったやつなんだ。

etc........

というような感じで、同じ業界の中を、同じようなメンバーがぐるぐるぐるぐる、席替えみたいにして回っているだけのようなのである。

・転職で自分が去ったり同僚が去ったりして、一度同僚じゃなくなっても、数年以内にまたどこかで同僚になる。
・新しい会社に転職しても、そこにいる人が全員知らない人ということはありえない。決まって、誰かしら元同僚などが混じっている。
・新しい人が今の会社に転職してきても、その人がまったく知らない人だという確立はそれほど高くない。元同僚だったりするからだ。
・ましてや、彼らがたとえ元同僚じゃなくても、「同僚の元同僚」とか、ワンクッション置いて繋がっている可能性はすごく高い

みたいな情況。

実際フグが現在、会社でお昼などを一緒に食べている数人の仲のよい同僚は、もうかれこれ7年くらいの間に、合計して3年くらいづつ同僚だった人たちである。

どこかで一緒に働いていて、また、今の会社で今のところ同僚なのである。

彼らは「そろそろ転職しよっかなー」てなことになると、いろいろ情報交換もしてて、なかなか具合がよさそうである。

例えば「この会社、オフィスが寒いからセーター着るといい」みたいなことまで(笑)、初出勤日前に知ってたり。

それに、そんなくだらんことよりも、男にとっちゃ当然、「待遇、仕事の内容、社風」などが大事なのだろうけど、そこらへんだって、探れる範囲で探りを入れあっている。

企業秘密とかあるだろうに、そこらへんは大丈夫なんでしょうかね(笑)。

実際、答えにくい(ちょっと企業秘密に関わるようなこと)を姑息に聞いてくるイラン人のファリという男がいるらしく、今までに何度かフグと町を歩いていたときに、「うわ、ファリだ。めんどくせー。会いたくねぇ」と言いながら、フグが隠れたことが何度かある。

私はフグの業界のこととかあまり知らないので、よく分からないんだけれど、別に珍しい業界とかスキル持ってる人がすごく少ない職業とかではぜんぜんないんだけれど。 こんな情況なのである。

業界全体で見れば人数が多くても、あるとき同僚だった人は、その後の昇進が同じように進んでいくので(つまり、日本と違って転職で昇進していくから)、次の会社でもやはり、同じような部署の同じようなレベルにいることが多いかららしい。

出張などでシドニーに行くときにさえ、「シドニーオフィスには、以前どこどこで一緒だったGがいて・・」みたいな話になったりしている。


そして、オフィス同士がこれまたすごく近い。

東京だったら、「前の会社と次の会社がおなじエリアなら、通勤も楽なんだけどなぁ」と思いつつ、その希望がかなうことはめったにない、みたいな情況だろう。乗り換え一個増えちゃったよ・・・あー、みたいな。

仲がよかった同僚とだって、本当に離れ離れになってしまう。

しかしフグなんて転職したところで、以前の会社も全部今の会社から徒歩圏内にあって、以前の同僚も徒歩圏内のどこかにいる。シティが狭いから。

実際、ランチを外で食べると、必ずや誰かしら元同僚に出くわすらしい。

気楽じゃないといえばそうだけど、なんとなく寂しくなくていいじゃないですか、なんて思ったり。



②<私とフグ>

私はたまに用があってシティに出かけると、ついでにフグとランチタイムに待ち会わせて、一緒にランチを食べる(といっても、せいぜい40分くらいで早メシ)。

それとかシティに出たなら、フグの帰社時間(17:00)までそこらへんをブラブラして、フグと一緒に家に帰る。


てなことを日本の友達に話すと

ラブラブじゃーん

という反応が、必ずや返ってくる。

いやー、冷やかしたいのはけっこうですが別にフツーですよ、フツー。

だって、シティせまいんだもん。


私がシティに行くのなら、トラム一本で行こうが、トラムと電車で行こうが、絶対にフグが働くビルの真下「メルボルン・セントラル駅」に着いてしまうのである。

他に方法ないんである。

それにシティのどこをほっつき歩いていようと、それがたまたま「一番端から、もっとも遠い一番端」だったとしたって徒歩15-20分。

それにね、帰りだって家に帰るには、フグが働くビルの真下「メルボルン・セントラル駅」からしか帰る方法ないんだから(笑)。

東京だったら、どこか都内をほっつき歩いていて、夫と一緒に帰る場合、

「えーとえーと、夫の会社がある半蔵門に行くには、ここから大江戸線に乗って青山一丁目で半蔵門線に乗り換えて・・・、そして二人で半蔵門から渋谷に出て、そんでそんで・・・・。あー、そんなことすんだったら、このまま一人で帰ったほうが楽~」

みたいなことになるだろうけどさ。


ラブラブだろうが、ケンカしてようが、ルート一個しかないんですってばー。



2012.06.29 / Top↑
今週は、月曜の夕食にサンマを焼いて味噌汁と一緒に久々の健康和食ディナーにし、火曜の午前中は家のインスペクションのためにバスルームのタイルをゴシゴシ磨いて、すみずみまで掃除をした。

まではよかった。

が、火曜夜から突然、ものすごくダラけた。

火曜の夜は、フグがチャパティを作った日。あの日は、チャパティの他に、フグは豆カレーやカボチャのカレーも作った。

ので、フグが作っている間、私はタラーンと風呂に入るなどしてダラダラし、チャパティとカレーを食べて、DVDを見て寝た。

フグが夕食を作った日は私が皿洗いのハズなのだが、フグが洗うっていうので、おまかせした。

この日、生理も始まったので、ヨガにも行かなかった。

生理だとヨガしちゃいけませんってことはないどころか、生理のときこそヨガをすると代謝が促進されて、出血もスムーズに行き、あのダルさも解消されるのだけれど、

ナプキンなんかつけながらまで、私はヨガのやる気がどうしてもしない。



水曜もヨガにも行かずに、あまりの寒さに朝からひたすら部屋にこもり、コーヒーばっかり飲みながらPC前で息吸ってたら、それだけで夜になった。

フグが何かを作ると、必ず大量になる。たくさん作りすぎないでと毎回お願いしても大量になる。

だから、前日に作った豆カレーとカボチャも大量に残ってた。

だから、それがそのまま夕食になった。
ごはんを炊くのも面倒な気がしてきて、冷凍庫の冷凍ご飯をチンして済ませた。

フグが皿を洗ってくれるっていうので、またもやおまかせして、チョコ食べながらソファーで寝そべり、テレビを眺めながら(英語がよく聞き取れないので、テレビを見るというよりは、「眺める」なのである・・・)、ひたすらダラダラした。

掃除も料理もヨガもなにも、なーんにもしないで2日が過ぎた。


こうなってくると、やばい。

ダラけると、そのまま雪だるま式にどんどんダルくなり、更にダラけるもんである。

木曜。

生理も落ち着き、ヨガに行くべきなのだが、行かなかった。寒すぎてムリ。。。とか思って。

「行けー、行けー、パナッタレ。行くのじゃ。行くなら今用意を始めないと遅いぞー。そら、用意をするのじゃー。働いてもいなくて、好きにヨガにも行かせてもらっているのに、それすらサボるのかー。働いてる人は、私も時間があればヨガに行きたいって言いながら行けずに働いているんだぞー。行けー、用意しろー」

と、ずっともう一人の私の声がするのだが、葛藤もむなしく「ぐうたら愚かバージョン」の私が勝ってしまう・・・(ぐうたらバージョンの私はとても強い。だいたい8割がた勝つ)。

結局、木曜も昼間、本当に何もせずに過ぎた。
この日は予定があったはずなのだが、キャンセルになったのだ。それがダラけを加速させた。

部屋にこもり、たまった洗濯物も無視し、トイレットペーパーの芯も替えず、あくまでもダラダラしていた。昼寝までしてしまい、そのまま夜になった。

豆カレーがいまだに残っている・・・。カボチャカレーの方はなくなっていたけれど。

そして、「カレーに合うのはカレーのみ。私が何か作ってもカレーと一緒だと味が負けるから、カレーと私の料理を一緒に食べるのはダメです」という、うちの掟により、

またフグが一品こしらえた。

ので、この日も私は料理すらしなかった。皿も洗わずに、またソファーでコロコロしてウトウトして、クッキー食べて寝た。


そして今日。金曜。


もうこの、ダラけモードを修正するのは不可能。

斜面を急滑降中のダラけは、行くところまで行かないと、どうにも止まりません。

そして、今朝も前日と同じように「心の葛藤」をひととおりしつつも、ヨガにも行かずに、「来週からがんばります」というお決まりの「問題先送り」コースを選択してしまった。

「来週からがんばります」が本当だったためしは、ほとんどない。

ああ・・・・。そして今。コーヒー片手に、部屋ごもり開始。すでにとてもダルい・・。

腰も背中も首も凝っていて、代謝もにぶっているから手足がなおさらに冷たい。

やばいです。

少なくとも今日の夕食から、「夕食作る」ってのだけは、立てなおせるのだろうか。私。
それすら不安・・・。


2012.06.29 / Top↑
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先日の記事、「天国キーロン」で紹介したキーロンですが、キーロンに行くまでの道中について書いてなかった。

順番が逆ですんませんですね~。


あの記事にも書きましたが、キーロン村を中心とするラホールエリアに入るには、インド本土との間に横たわるロータン峠(Rohtang La、標高3978メートル)という峠を超えていきます。

この峠が文化的にも地勢的にもインド本土と「峠の向こうから始まる世界」を隔ててきたわけです。
 
デリーから行く場合は、まずマナリーという山間の町までバスで20時間ほど。マナリーは、クル渓谷の奥にある谷間の町で、標高1950メートル。インドのヒマラヤエリア奥地への旅の起点となる街のひとつです。

そして前述のロータン峠は、乗り合いジープなどで、このマナリーを奥にどんどん山を登って行くとあります。

しかし昨今、マナリーはすっかり人気の避暑地となっており、ロータン峠見物のインド人客が押し寄せるので、マナリーもロータン峠も、「なんでこんな山奥にまできて、渋滞や排気ガスに見舞われなければならんのじゃ」と思わずにはいわれない状況となっております。

ロータン峠たるや、ゴミを平気でポイ捨てして撒き散らしまくるインド人家族連れ観光客のツナミで、大変な惨状。「乗っかって写真を撮る」ためにいる馬たちも、かわいそうなくらいしなびてて・・。あたりは馬の糞や、ゴミだらけ。一応、富士山よりも高い場所なのに。

でも、家族連れなどのギャーギャー騒ぐ観光客が訪れるのは、このだいたいロータン峠までなのです。いわるゆインド文化も、このロータン峠まで。

この峠を超えたとたんに、ウソのような別世界がいきなり始まるわけですが。



今日はその、マナリーからロータン峠までの景色です。

山道で予想もしなかった渋滞に巻き込まれ、何時間も車に閉じ込められることになるので、ロータン峠をスムーズに超えたければ、マナリーをかなり早い早朝に出るべし。これポイント!


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すると・・・これから山肌の草場へ向かうお決まりのヤギや羊の群れに出くわしたりします。

目が光っているのは、カメラのフラッシュのせいと分かっていても、この写真、ロボットの大群みたいでこわいーーー。

 
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私も、群れに加わってみたりとか。

さて、このあたりから、だんだん道は峠に向かって上り坂になります。

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それとともに、朝日に照らされる山が見え始めます。
これは、ジープの中から撮った写真。

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私はこの瞬間が好きで好きで好きで、好きで好きで好きで好きでたまりません。

「下界はまだ暗いけれど山は高いので、私たちの俗っぽい下界なんかお話にならないくらい高いので、一番最初に光に照らされるのです」

という瞬間。

高ければ、光はあたるのです、みなさん!!!
光があたらないのは、低いからなのです。 

なんて、崇高なんだろう。

こういう景色見ちゃうと、自分なんて虫ケラ。


この逆バージョンで、「下界はもう暗いけれど山は高いので、私たちの俗っぽい下界なんかお話にならないくらい高いので、一番最後まで光に照らされているのです」

という、夕暮れ時に輝く山も好きです。

最後の最後まで、てっぺんが金色に輝いているでしょ?山って。自分がいる下界はとっくにとっぷり暮れているのに。

私は、高校時代、山岳部でした。
山合宿の帰り道、電車の中から、山だけがまだ光ってるのを見ながら帰ったものよ。


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さらに登っていくと、雪が残る山も出てきます。

そんな道を、物資を運ぶトラックが行くのですねぇー。

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ダーバ(Dhaba)で、ちょっと休憩。

ダーバって、「食堂」って意味。
レストランとかカフェじゃなくて、あくまでも食堂とか茶屋みたいなのをダーバと言います。

そして、更にしばらく登って行くと、標高3978メートルのロータン峠に到着。

ロータン峠の適当な写真がなくて、スンマセン。


ちなみに、ロータン峠(Rohtang Pass)は、チベット方面の言葉ではロータン・ラ(Rohtang La)です。

このラ(La)ってのが、峠って意味なんですが、あの「シャングリラ」のラも、そのラなんですよ。

シャングリ・ラ。

シャングリラは、シャングリ峠なのです。


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これが、猥雑なロータン峠を超えてすぐくらいの場所からの景色です。

ここから先、別世界の始まり~。


※次は、ロータン峠を超えたところから、キーロン村までの道中を紹介しまーす。

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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。

2012.06.28 / Top↑

フグが昨日、「なぜか急にチャパティが食べたくなった!今日、作ってみる」とか言い出した(フグ、基本的に料理が好きで、台所にいるのが苦ではないタイプ)。

普段から食べ物のことについて考えていることが多いフグだが、「なぜか急に」チャパティが食べたくなった背景に気づいているのであろうか(笑)。

おとといこんな記事(←クリック)を書いたばっかりだったので、私の頭の中にナーンやチャパティのことがあり、なんとなく私の会話にナーンやチャパティのことが登場したんだと思う、この数日のどこかで。

だから、フグは「なぜか急に食べたくなった」とか言っているけれど、実はひそかにサブリミナル効果が作用し、食べたくなったんじゃないのかと思うよ、アナタ・・・。ほんと、ウケるわ。


といっても、あの記事で書いたとおり、チャパティはフグ的にもけっこう非日常。数回だけ作ってみたことがあるらしいが、あとは見よう見真似だという。


会社から帰ると、さっそくアタ(Whole Wheat)と水でこねはじめ・・・、くるくる丸めはじめた。

私もインド人の妻たちがチャパティを作るところは何度も見たことあるけれど、実際に作ってみたことがあるのは1回だけ。

「水と粉をこねて、まるめて、焼く」だけなのに、これが全然うまくできなかった。見ていると簡単そうなんだけど、実際やると、けっこうコツが必要なことがわかった。

さて、フグはうまく作れるのであろうか。

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↑ 買って以来、ほとんど使ったことがなかったコロコロ(棒)も登場。

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コロコロで丸型に伸ばす。

インド人のおばちゃんたちのあざやかな手際とは裏腹に、フグは何度もやり直していた(笑)。

丸くならないとか、やぶれたとか、ここだけ薄いとか、そういう感じで。

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そして、焼く。

うち、ガスコンロないの。

3ヶ月に及ぶ部屋探しののち、出会う部屋出会う部屋、希望条件のうち必ず何かがひとつ欠けており(←人生ってそういうもんよねー)、結局、決まった部屋には「ガス」が欠けていたのである。

だから、特に「火」が必要な場合は、この携帯ガスコンロが登場する。

チャパティは、フライパンで焼き、最後の最後に、直接火の上にかざすのが一般的な家庭でのやり方。

この、最後の行程である「直接、火にかざす」の時に、インドの手馴れたおばちゃんたちがやると、あら不思議!チャパティが一度、フ~ッっと膨らむ。

ナーンやパンのように、生地自体がフワフワ膨らむのではなく、チャパティが風船のような感じになって、中に空気が入り、一度膨らむ。

これはけっこう不思議。というのも、チャパティ生地を作っているときに、「2枚作って、それを重ねてくっつける」みたいなことなんてしないのに、火にあてると、あのペラペラの丸型にした生地の中にきれいに空洞ができて、膨らむのである(説明分かるでしょうか・・・?)。

そして膨らんだら、てっぺんをチョンっとつまんで皿に移し(膨らむのは数秒なので、皿に移せばペッタンコになる)、次のチャパティを焼く・・・。これが、おばちゃんたちの手際。


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↑ ネットで探したら画像があったので拝借。これが正しいチャパティの膨らみ。


だけど、やっぱりフグのチャパティは膨らまなかった・・・(笑)。

なんでしょうねぇ。私が昔試したときにも、もちろん膨らまなかった。

生地が均等にこねられていて、丸型に伸ばすときにも、厚さが均等で、ムラがあっちゃいけないとか、そういうことかしらー?


chap2.jpg 
↑ ついでにネットのどこかにあった画像を拝借。出来上がったたくさんのチャパティ完成図。


さて、フグのチャパティだけれど、漂ってきた匂いと味は、普通にチャパティだった。

これこれ、この素朴な味。


だけど、硬い!!! アゴが疲れるくらい硬かった。


そうなのです。

チャパティって、うまくできるとあまり硬くならないんだけれど、ヘタしちゃうとすっごい硬くなる。

とくに差が出るのが冷めたあと。

水と粉をこねているだけなので、フワフワナーンのような色気がないチャパティは、冷めた後はちょっと硬くなってしまうのが宿命なのだけれど、

それでも正しいチャパティの場合は、クルクルクルっとロール状にまるめられる。

でも、正しくないチャパティは冷めると板のようになり、まるめようとすると割れる。


フグチャパティは、もちろん、板タイプだった。


冷めてもまるめられるチャパティのコツってなんだろう。

粉と水こねてるだけなのに、いろいろと差が出るのってほんと不思議。



2012.06.27 / Top↑

なぜ私ったら、昨日に限ってサンマなんて焼いちゃったんだろう。


いつも行くマーケットには、サンマを数匹だけ置いてる店がある(夏にはサンマは見かけなくなる)。

でも、たいていはそのサンマ達は目が血で濁っていて、ボディもダランとしていて、いかにも「新鮮じゃありません」風なサンマなので、買うことはあまりない。

これは買ってもよさそうかな?という、マシなサンマに会えるのは3週間に1回くらいかな。でも、マシそうなサンマに出会えば必ず買うわけでもないので、結果的には一ヵ月半に1回くらいである、サンマを買うのは。

で、この間の週末が、久しぶりにサンマを買った週末だったわけだ。

そして昨日はうちは、おいしくサンマを食べた。
サンマを焦げ目に焼いて、そしてタマネギとパプリカと一緒にマリネにしたの。ウフ。


しかし・・・・朝起きたら、部屋中が魚臭い・・・・!

なぜ、昨日に限ってサンマなんか焼いちまったんだ、私・・・・。


というのも、明日うちは、半年に一度の家のインスペクションなのに。

忘れてたよー。

メルボルンでは賃貸の家だと、定期的に家のチェックがあるのだ。

ちゃんときれいに使っているか、禁止されていることをしていないか(ペットとか、壁に穴を開けるとか)、なにか壊したりしていないかなどなど。

そういうことをチェックしに、担当不動産エージェントの人がやってくるのである。

自分は家にいてもいなくてもよい。

家にいれない場合は、合鍵で勝手に入って勝手に見ていく。


日本ではこんなシステムは聞いたこともなかったので、最初はびっくりした。

やっぱり日本じゃない国では、こうでもしないと、家がひどいことになるのかもねぇ。メルボルンでは、ベトナム人エリアなどで、家の中でマリファナ栽培発覚とかいうニュースもよくあるし(笑)。

例えばアメリカやヨーロッパなど、他の国々ではどうなのだろう。こういうシステムあるのかすら。


チェックはけっこう細かい。

といっても、今回の家では初めてだけれど、前の家で2回経験した。

「エージェントが私がいない間にチェックに来て、メモを置いていく」というパターンだった。

2回とも「バスルームのタイルの目地が黄ばんでます。洗浄液を買って、磨きましょう」と書かれていた。

前の家はかなり古い家だったので、「目地なんて最初から黄ばんでいるんじゃ!!と思った。実際そうだったし。ゴシゴシやってもとれない黄ばみだったのである。

それに、「洗浄液を買って・・・」というくだりが、ヘンに指示が具体的すぎておかしい。そんなの、私の勝手でしょうに、何で磨くかなんてさー(うちは重曹で磨きます)。

でも、2回とも同じように「洗浄液を買って磨け」というアドバイスだったので、きっとこの人はおせっかいな性格のおばさんエージェントなんだろうと思っていたら、後日、きれいなおねぇさんだと発覚した(笑)。

が、とにかく、

「普段、あんなにいい加減なくせに、チェックだけ無駄に細かくてやがる」と私が思ったのは、言うまでもない(笑)。

いろいろいい加減なくせして、店の弊店時間だけは何が何でもキッカリ守る!閉店30分前からシャッター半分下ろして、閉店時間絶対死守!っていう、オーストラリアの16時半~17時の街の光景と、香りが似ている・・・。


さて、

わたしゃ、今日はこれから、キッチンの台などを磨かなくてはならない。

バスタブも久々にキュキュっと磨こうかな・・。
シャワーの横のガラス度も、水垢で曇り放題だから、あれも磨かねば。

全面的に掃除機もかけねば。


家中がサンマ臭いのは・・・・しょうがないよねー。

ほほー。ごめんあそばして~。

「やっぱ、ジャパニーズって魚臭いわ。さすが、魚ばっかり食べてるだけあるわ」って思われるだろうか。

お香でも焚くかな・・。



2012.06.26 / Top↑
----「不幸中の幸い的なうちの食卓 前編」の続き---


というのも、

「じゃぁ、パナッタレさんところは、フグさんがインド人だから、毎日チャパティ食べてるんでしょうね」って人は思うだろう。

だけど、これがまた違うのだよ。


さっき、肉の話の「ベジタリアンなんか稀」で登場した
ベンガル地方だけど、うちのフグはこれに属していまして。 フグはベンガル人。

だからフグは肉をよく食べるし、それに、主食は米なのである。

そう、ベンガル地方は日本と同じように、米食文化なのである。

もちろん、チャパティだってたまには食べるらしいけれど、「朝ごはんにたまに」程度だそうだ。

主食はあくまでも、炊いた米。


また、これもインド的には常識だけれど、
ベンガル人の第二の主食は魚。

一日のうちに一度も魚を食べないベンガル人はいない、と言われるほど、ベンガル地方では魚を食べる。

(魚といっても、淡水魚のみ。貝類やイカやタコも食べない。それから、魚といっても焼き魚とかではなく、やはりひたすらカレーにする。そこが日本とは大きな違いだけれど。ベンガル地方のお魚食については、また別途書きます)。


だから、うちの食卓には、チャパティなんてまず並ばず、「米と魚」が基本形。

といってもメルボルンでは、新鮮で活きがよくて清潔な魚が日本ほどうまく手に入らないので、魚は週1くらいだけれど、米は本当に毎日食べている。

インド食は、たいがい日本人の胃にとってヘビーだし、日本食はインド人にとっては「味がなさすぎる」。

そういった点で、
インド人×日本人カップルの食卓は、常に問題をはらんでおり(笑)、なかなかお互いが満足する食生活を送れないもの。うちも基本的にはそう。

フグは基本的に味的に慢性欲求不満気味で、私は基本的に慢性胃もたれ気味。


だけど、そんな中でも、うちのような「ベンガル系インド人&日本人のカップル」は
不幸中の幸い的に、比較的マシだと思う。


うち、昨日もサンマ3匹と米25キロ買いましたぞ。



補足:


※と、ここまで読んで、「ふーん、フグはインドでも珍しい地域の出身なんだね」って思われるかもしれません。でも、これまた違うのですよ。

ベンガル地方って、中心都市はコルカタ(カルカッタ)です。イギリス統治時代の前半は、インドの首都だったところ。大英帝国が最盛期だったころには、インド文化の中心だったのです。

だから第二次世界大戦前~戦中までは、日本でもインドといえばベンガルのことだった模様。中村屋にカレーを伝えたのもベンガル人のボース、スピーカーのブランドBOSEもベンガル人、ちょっと文学に興味ある人なら知ってるタゴール(ラビンドラナート・タゴール)もベンガル人。マザー・テレサが活躍したのも、コルカタ。

でも、その後コルカタは落ちぶれて、いまでは、インドの大都市の中で一番後れた感のある街となっていますが(笑)。


それに、現在は外国に出ているインド人の大半が、ビジネスならパンジャーブ人かグジャラート人、IT系なら南インド人です。
だから、ベンガル人は外国ではたしかに少数派インド人かもしれません。


でも、ベンガル人ってパンジャーブ人などに比べて国外に出ていないので、外国にいると珍しく聞こえるだけで、インドではドカっと存在してる大量にいるメジャー系です。


私はフグがたまたまベンガル人だっただけなので、ベンガル人の肩持つ気とか、特別な思い入れとか、ぜんっぜん、ぜんっぜんないんですがね(笑)。 説明すると、そういうこと。


自他共にベンガル人が認めているベンガル人の特徴は、「怠け者、あまりビジネスとかに熱心でない、南インド人などのように真面目にせっせと寺に通ったりとかしない、どっちかというと文芸&芸術肌」だそうです。


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2012.06.25 / Top↑

インドってものすごく広いので、地域によって言葉も、顔つきも、文化も、食文化も、習慣も本当にさまざま。

例えば食文化にしたって、

インド人は肉食べない
インド人はいつもナンを食べている

とか、思われてるでしょう、普通。

しかし、そうでもないんだな。


<肉>について

肉はね、たしかにヒンドゥー教にはいろいろな決まりがあるので、それをどれくらい厳格に守るか守らないかは家庭差/個人差があるけれど、肉食に関するタブーはけっこうある。

でも、ヒンドゥー教徒だって例えばベンガル地方の人でベジタリアンなんて本当に稀。すごく肉食べます。
それからスィーク教徒だって、肉をよく食べる。

逆にラジャスターン州やグジャラート州は、ピュア・ベジタリアンが圧倒的に多い。グジャラート州にいたっては、酒も禁止。また、南インド人もベジタリアンが多い。

とか、いろいろなのだ。

ヒンドゥーに限った範囲で共通するのは、ビーフは食べないことくらいだろうか。
これは、ヒンドゥー教では牛を聖なるものとして大切にするから、というのがある。

だけど、そういった教義をどれくらい厳格に守るか守らないか、どう解釈するかは、やはり個人差がある。

だから、教義なんてあまり気にしてないという人も時々いたりはする(特に外国に長く住んでいるインド人など)。でも、彼らはやはりビーフはあまり食べなかったりする。

それは、インドにビーフ食文化自体がほとんどないので、食べ慣れていないからだ。食べ慣れないから食べないという場合だってあるのである。私だって、食べなれない肉をわざわざ食べたい気はしない。この飽食の時代、飢えているわけでもあるまいに。(カンガルー・バーガーとか、試す気にもならん)。

また、こういう場合も、インド人はとても多い。
  ↓    ↓

ケース① 「僕、火曜日は肉は食べませんので」とかいう人

ヒンドゥーでは曜日によって、~曜日は~神様の日、とかいうのがある。この人は、火曜は~神の日だから肉を控えてるんだ、と言っているのである。~神を特に信望してる人なのだ。

ケース② 「家ではベジタリアンだけど、外では肉オーケーです」

これも多い。家が穢れるのはいやだけど外ならまぁいいという理由もあれば、親がベジタリアンだから家では肉は食べれないという場合もある。後者の場合、息子や娘が外で肉に食らいついているなんて知らない人も多い。

ケース②の場合は、子供が大きくなってもこの習慣は変らない。つまり、家族親族の中で、自分より目上の人にベジタリアンがいる限り、その人の前では肉は食べないのであーる。(余談だけど私はこの、インド文化の二重構造がとても、とても、とっても、ものすごく嫌いです)。

このほか、「タマゴだけOKなベジタリアン」とかもいる。

ややこしいのだ、とにかく。

イスラム教徒の場合は、ポーク食べないしね。「肉やタマゴどころか、土の下に埋まったもの(にんにくやタマネギを含む)も一切食べない」というジャイナ教徒もいるし。土掘ってる間に虫殺すかもしれないってことで。


次に、

<ナン(ナーン)>について。


インド人はいつもナーン食べてんでしょ?とかってアナナタチ、思ってなくない?

答えは、ぜんぜん食べてませーん

ナーンは、基本、タンドゥーリ(焼ガマ)で焼くもの。
でも、そんなものが家庭にある家って、大富豪を除いて、まずない。

それに、ナーンは精製小麦粉(全粒粉ではなく)を使ってるし、パンを作るとき同様に生地を発酵させてある(だから膨らむ)。

つまり、

・家庭にはないタンドゥーリが必要で、
・発酵という手間もかかり、
・全粒粉ではないので栄養価はあまりない

というもの。

日常食には向かず、どちらかというとちょっとぜいたく品。
だから、「食べるとしたら外食で食べるもの」なのだ。その点、ちょっと立ち位置が、にぎり寿司に似ている。よそゆきっぽいもの。

じゃぁ、ナーンの替わりに普段何を食べているかと言えば、

チャパティ(Chapati)。

チャパティというのは、アタ(全粒粉、Whole Wheat)と水をこねて、フライパンで焼くだけ。

発酵もさせないので、フワフワなんてしておらず、実に素朴質素な噛み心地と味。


なのです。


米に直すと「インド人は家で毎日、せいろ蒸しおこわを食べているわけではありません。普段はふつうの鍋で炊いた玄米食べてます」てなもんかな。


ちなみにだけど・・・、

日本のインドレストランではナーンて必ず、巨大でしずく型でしょ?あれ、私、インドで一度も見たことありません。

インドでは、もっと普通に小さくて、そして普通の丸型そして、あそこまでフワフワモチモチはしていない。

しいて言えば、ムガール料理(宮廷料理)のレストランとか、その流れをくむイスラム教徒エリアの食堂のナーンは、比較的フワフワしているけれど、でも、やっぱり日本のあれほどではない。

(イスラム系のナーンは、生地にほんのりカルダモン風味が練りこんであったりして、発酵させる過程にもなにかヒミツがあるらしく、とてもおいしい)

インド系移民が5万人いて、インドレストランだらけのメルボルンでも、日本のあのすばらしいナーンは見たことないねぇ。



とまぁ、肉とかロティ(ナーンやチャパティを代表とする、インド風パン類の総称)を見ても実にいろいろなわけです。

ロティには他にも、チャパティ生地を揚げたプリー、ナーン生地を揚げたバトゥーラ、ハンカチみたいにペラペラのルマーリーロティ、生地に野菜などを練りこんで油で焼いたパランタなどなど、いろいろある。

また南インドでは、小麦粉よりは米粉がメインで、米粉を発酵させてクレープみたいに焼いたドーサや、米粉をふかしたイドリーなどなどある。

とか。


でも、話はまだ終わらない。


つづく

2012.06.25 / Top↑
■■ PHOTO で India ■■-------------------------------------------------------------------

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これは、キーロン(Keylong)という村。

インドには、ヒマラヤがあります。
インドの北~北東には、ヒマラヤ山脈が横たわっているのです。

デリーに住んでいた時代は、ストレスたまってボロボロな気分になっていても、北に行けばヒマラヤがある・・・と思えばガマンできました。

そして毎年夏になると2~3週間くらい、ヒマラヤ地方に通っては、癒されていました。

6千~8千メートル級の山々だから、まさかアイゼンとか駆使して本格な「登山」とかしませんよ。でも、こういった小さな町だって、すでに標高は3千メートル超している。ちょっとハイキングするだけで、富士山登山くらいの運動量だったりします。


インドを引き上げて日本に帰ったあとも、美しい思い出として思い出すのは、やっぱりヒマラヤ。

飛行機でデリーに飛ぶと、デリー到着2時間位前から飛行機の右手前方にずーっとヒマラヤ山脈が見える。

日本に帰って1年ぶりにインドに行ったときには、運よく天気がよくて、運よく右側の窓席に座っていた私は、遠くに見えるヒマラヤを見ながら、涙涙涙、鼻水ビー。自分でも驚きました。


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インドのヒマラヤエリアといっても、実際はすごく横幅が広い。

カシミール地方、そしてラダック地方、ラホール地方&スピティ地方、キノール地方があり、それからヒンドゥーの四大聖地(チャールダーム)があるウッタランチャル州エリア、クマオン地方、標高世界第3位のカンチェンジュンガやダージリンのあたり、シッキム州あたりのエリア、間にはネパール・・・・・などなど、多彩。

私は旅行時代をふくめ、せっせせっせと6回の夏をまたいで山に通いつめ、紛争地域カシミール地方以外は全部回りました。

このキーロンはラホール(Lahaul)というエリアの中心となる町(村)です。村の標高は3080メートル。小走りで息がきれちゃいますよ。

ラホールエリアはインド本土側から見て、ラホール地方&スピティ地方というエリアへ入る際の玄関口となるエリアです。インド本土との間にロータン峠(Rohtang La、標高3978メートル)という峠があり、この峠が文化的にも地勢的にもインド本土と「峠の向こうから始まる世界」を隔ててきました。

ロータン峠の先は90年代までは外国人の立ち入りが禁じられていたため、ラホール地方とスピティ地方は観光的にはほぼ手付かずのままです(すくなくとも2006年当時)。

このエリアの特徴は、文化的にはインドのヒンドゥー文化とチベット文化圏の中間どころ。
人々の顔も、いわゆるインド人な濃い系顔と、チベット系の日本人的顔の中間。

自然は、インド本土側から見てロータン峠ひとつ手前のマナリーエリアに比べるとかなり乾いているけれど、しかし、ここよりさら奥のスピティ地方に比べると、まだ全然緑がある、といったところです。

人家やチベット僧院の建物などが見えないと、ヨーロッパアルプスのような景色に出会う場所でしたよ。

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村周囲を散策。

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ヒマラヤ地方では、こういうトラックによく出会います。
物資を運ぶトラック。

冬になれば雪で道も封鎖され、物資を運ぶトラックの行き来もなくなり、完全な閉ざされた世界となります。

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村のマーケット。

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あんず(クルマーニ)を買って、宿までの歩きがてら、食べ歩き。

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村の娘っこたち。
これは、6年前の写真だから、もう、ムスメさんになってるかなー??

ほら、顔だちがどっちつかずでしょ?濃くもなく、薄くもなく。

キーロンの村には、周囲の山の中腹にチベット・ゴンパ(僧院)があります。
これらゴンパまでは、けっこうハードなハイキング。

今度はそれらゴンパを紹介しまーす。


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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。
2012.06.25 / Top↑

プ~ン・・・・(←匂いの音)


フフン・・・フフフン・・・フフフフフフン・・・(鼻の音)。

とうとう、とうとう、とうとう!

とうとーーーーーーーーう!(←しつこい)


香ってまいりました。

ビザが下りそうな気配が香ってまいりました。

ソウル方面から!

(日本から申請した豪ビザ、最近の管轄はソウルなのれす。日本人申請者は少ないからか、わざわざ日本には日本人専用の豪移民局は置いていないらしい。で、お隣ソウルの豪移民局が替わりにやっている模様・・・)。

ただでさえアホ遠いのに、日本→ソウル→オーストラリア という流れのおかげで、さらに時間かかるシステムなわけだ。


去年(2011年)10月に、私は日本から配偶者ビザ309を申請した。
(Spouse Visa Subclass 309)

配偶者ビザには、「豪国内から申請」と「豪国外から申請」の2種類あって、私のケースは後者のみ可能だった。

それまで持っていたビザとか、出身国とか、とにかく人によってケースバイケースなのだが(詳細説明省く)、残念なことに私の場合、豪国外からのみ申請可能なケースだったのだ。

豪国内からだと、ヘタすると数日で下りるらしい。

だけど、国外からの申請は本当にやっかい。

やっとこさ厚さ10センチくらいになったビザ申請書類を整え、10月に麻布の豪大使館で申請をした時に、


どんなにスムーズにいっても6ヶ月、今は平均10ヶ月かかっています。

と、むげに言われた。

だからジタバタせずに辛抱強く待つように、そこヨロシク。みたいな顔で言われた。



時間がかかるってウワサには聞いていたけど、大使館の人に直接そう言われて、かなりグワーンと来た。

でも、「とか言って、2ヶ月くらいで下りんじゃないの?」と心のどこかでは思ったりもしていたんだけれど、 あれは本当だったらしい(笑)。


ビザがないことには、何もできない。

働く権利、学校へ行く権利、医療の権利などなど・・・・なにも権利がない。(働く権利に関しては、そんな権利いただいたところで、働ける技能など何ももっていないんだけどさっ)

ビザが下りるまでは、とにかく大人しくしていたほうがいいということで、車の運転も最小限にしている。決まった場所数ヶ所以外は、車では「フラフラどこか行くな」とフグに禁止されている。

事故ったら、医療的にもたいへん困ることになるだろうし、事故の規模によっては、ビザの判断にひびきかねないんだろうから、私も大人しくしている。



申請してから8が月が経つ。

この8ヶ月、ただ待っていたわけではない。

3月にも一度、ビザ的事情で日本に帰ったし、「あれが足りてない」だのなんだのでソウルと何度もやりとりしてきた。

私の場合、いや~な予感通り、「インドな過去」に足を引っ張られて、そこでビザ手続きが停滞した。

インド時代のPCC(Police Clearance Certificate,無犯罪証明書)が必要だったのだ。

だけど、そんなもん入手不可能に近かった。私には、PCC発行申請にあたって必要な書類が用意できない事情があった。

そのためにいろいろ調べたし、何度も九段下のインド大使館に足を運んだけれど、「必要書類がないのならお手伝いしかねます」の一点張り。しかも、「お手伝いできません」というレターも発行しないと言う。

    (このインドPCCについては、あとで別の機会に詳しく書こうと思う)


だから、「インド時代のPCCが取得できなそうです」という旨と、「すべての手を尽くしました」という経緯を、正式なレターで宣誓し、麻布の豪大使館に行ってStatutory Declarationとして認めてもらい、それをソウルに送り・・・などしていた。

だけど今度は、そのStatutory Declarationの内容について、ソウルから不備を指摘され(これまた「あら捜ししてんですか?」っていうくらいの細かいこと)、

またもや、今度は「その内容の不備は決して故意のものではなかったこと、なぜその不備が生じたかについての詳しい説明、補足となる情報」を書いたStatutory Declarationを書き、また麻布の豪大使館に足を運び、認印をもらった。


それと同時に


3度目の正直で、また九段下のインド大使館に行ってねばりにねばって、「とにかく、私が用意できるだけの申請書類で、ダメもとでいいので、PCC発行の申請を受け付けてもらえませんかね?それでインドの警察のほうでダメだというなら、それでいいです。でも、申請はさせてください」とケンカばりに頼み倒した。

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(大使館の仕事はPCCの発行ではなく、その国のPCCが必要な人とその国の警察の間の橋渡しなのである)


そしてやっと「きっとダメだと思いますけど、わかりました。一ヶ月以内に警察から発行されなければNOということですので」と言わせた。

でも、いいのである。インド大使館の申請受付のレシートを手にさえすればすくなくとも「インドのPCCに関して、できることはすべてやった」という証明にはなるわけだから。


それで、先に述べた2度目のStatutory Declarationと、インド大使館のレシートをまたソウルに送った。 そして、私はまたメルボルンに戻った。


インドPCCの結果がでるまでの一ヶ月、ビザの進捗はさらに停滞。



そして、まもなく一ヶ月経つというころ、今度は「PCCが下りた」という。

ほらごらんよ、言わんこっちゃない。これがインドのお役所仕事。そんなことだと思ってた。

やたらめったらお役所的に融通が利かなくて大苦労するかと思えば、いきなりどこかでユルかったりする。


それで「すみまへんが」と実家に頼んで、その降りたというPCCをレジスターポストでこちらに送ってもらい、それをまた、ソウルに送った。


こんな感じで、この8ヶ月もほーんと、苦労した。


だけど、つい先日やっとソウルから

「インドのPCCが届きました。これで必要な書類は全部そろいました。ビザの受け取りは申請した場所(日本)のみですので、日本に帰らないとビザが下ろせません。日本に帰る予定をお知らせください」という連絡が来たのだ。

私は、今のビザの滞在期限が7月中旬で切れるので、もともと7月中旬に一度帰国の予定だった。

だから「7月中旬帰国予定です。チケットも買ってあります」と返信した。


どうやら、来月の帰国中にビザが下りるらしい。

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待ったよ・・・・待ってたよ!



ビザを持って、メルボルンに戻ったら、とりあえず英語のクラスに通おうと検討中。

移民大国オーストラリア、AMES(Adult Migrant English Service 成人移住者英語プログラム) というのがあって、私の配偶者ビザもこれを受けられる。

520時間の英語教育が無料で受けられるのだ。

とにかくまずは英語をなんとかしないと、どうにもなんなそうなことが身にしみているので、これだな。

(フグよ、妻は引き続き稼がない様子なので、よろしく頼んだぞ。というか、引き続き私の節約生活にかかってんのね:泣。暖房費もケチって湯たんぽ抱く日々はつづく・・・)。


あー、やっと引きこもり すぎ 生活から抜け出せそうな、希望の光が差してきたわー。


2012.06.22 / Top↑
-----「グランピアンズ5 ピナクルの巻」のつづき------


<Brambuk the National park & Cultural Center>


屈辱のマウント・ウィリアムから降りてきたあと、ちょっとダム湖により(つまらん湖)、帰り際にHalls Gapの街にある、カルチャーセンター(Brambuk the National park & Cultural Center)に寄った。

ここは、ちょっとしたアボリジニー関係のささやかな展示、体験コーナー(日本によくある、素のコケシに色やデザインを施していく体験クラスみたいな感覚で、ブーメランにデザインを施すクラスがまったりと行われていた)、カフェなどがある。

ブーメランのデザイン、すっごいしてみたかったけど、閉館(17時)の30分前だったので断念。

ここはオーストラリアだから、カフェは4時半で閉まった・・・。すべり込みセーフで、なんとかテイクアウトで買えたホットチョコレートを手にしながら、アボリジニー展示をざっと見る。

主に、このグランピアンズ地帯にいたアボリジニー達の生活などが紹介されていて、あとはかいつまんだ歴史。

アボリジニーというと、どうしても赤茶けた灼熱の大地にいるイメージが浮ぶけれど、ここはどちらかというと森だし、冬の冷え込みが厳しい。オポッサムの毛皮をまとうアボリジニーの写真などがあった。


アボリジニーが大切にした自然の中に来て、そこに身を置きながら、アボリジニーについての展示を見て初めて、ほんのちょっとアボリジニーの存在を心が実感した、というような気がした。
ヘンな言い方だけど。


普段、都会や街でアボリジニーアボリジニーといわれても、雑音が多すぎるからか、彼らが大切にした自然が冒涜されきっているからか、私たちの脳もドップリ猥雑だからか、正直言っていまひとつピンとこない。

「土地を追われて、文化も根こそぎ奪われて、丸裸状態で、いきなり西洋人価値観の真っ只中に放り投げだされた人々。大変だっただろうね。でも、いかになんでも、すさみすぎ・・・」というような、すっごい勝手な漠然としたイメージを持っていただけだった。 (彼らは本当にすさんでおり、「大人は全員アル中のヨタ者」みたいなイメージすら定着してしまっている)。

でも、
この自然の中で初めて、彼らが魂まで奪われたから、ああなってしまったんだと分かった。

そして、わずかに残る表面的な「名残」くらいは残せるけど、アボジリニーの魂を取り返すことは二度と出来ず、
このまま消え去るんだろうな、ということがよーーーーく分かった。

だから、いまさらになって、「アボリジニーアート」とか言っちゃってそこだけちやほやしたり、人権運動家が街で叫び声あげたりしてて、だから何?というような、シラケ脱力感すら逆に覚えた。

取り返しのつかないことしちゃったあとに、菓子折りとか持って表面的に反省姿勢だけ示してる人っぽい。「あってはならない事故」で息子を失った母親にとりあえず頭をさげる、「でも今後もずっと社長」な社長とか。


アボリジニーの人権運動家だっているけど、そもそもからして、彼らは「人権」とやらを求めて、プラカードとか掲げて叫んだりとか抗議とかするような発想の文明とは、根っから違った文化の人々のはず。

もうとっくに手遅れなんだよ。

そこからして、
すでにどれだけ皮肉なんだろうね、アボリジニーの人権運動家とかって・・・。 


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洋服を着せられたアボリジニー。

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インドのトライバルアートと驚くほどよく似ている。
大地とともに生きる民には、同じような世界観があるのかな?
現代文明に脳が汚染されないと、世界はこういうふうに見えるのかな?

インドのミティラー画(Mithila Art)→
クリック  インドのワルリー画(Warli Art) →クリック



アボリジニーとかアメリカのインディアンのような人々ことを考えるにつけ、オツム先行の西洋人が作った社会だと、なぜかどうしても、彼らの人権を叫ぶだとかなんだとか、そういうアグレッシブな方向に行くんだよなー。と、ハタからではあるけれど、思わずにはいられない。

私たち、今では西洋文化の恩恵も思い切り受けてしまい、いろいろ失ったけど失ったあとの新世代は失ったものが何なのかはあまり知らず、なんだかよくわからないけれどアボリジニーなどと比べればもっと狡猾に全然うまくやってきたような感じになってる。

でも実は、歴史の中である日「西洋」が突然来たという経験を持っている。

アボリジニーのためにもしも何かをするのであれば、人権とかなんとかという方向に同調するではなく、もっと、彼らの本当の悲哀とか、後姿とか、アジアンならそういう方向に焦点を合わしたい(センチメンタルになろう、という意味ではなく)。

ちょっと想像してみるに、何かにつけていきなりプラカード持って叫ぶってのは無理してそのやり方に同調しなければできないな、といつも思う。何か違うな、と思う。そうじゃないですかね?ゆえに、私たち日本人はやっぱり、ひそかに確かに日本人なのですねー。


17時きっかりくらいに、Halls Gapをでた。

帰りは、一度も休憩せず、そのままメルボルンに直行。

3時間で、家についた。

疲れたわ。でも平気。だって、次の日も休みだもん

(そうなのですっ、3連休だから泊りがけ旅行に行ったわけだけれど、泊まったのは一泊。だから、やる気がある人は普通の週末に行っている。だけど、うちのフグってね、旅行とかに行くなら、帰ってきた次の日も休日というワンクッションがないと動かないんですよ。プッ)


2012.06.21 / Top↑
----- 「グランピアンズ4 や・ら・れ・たの巻」 のつづき------


2日目。

今日もできるだけ日が出ている間を有効に使わなければならない。そして夕方には、メルボルン向けて発たなければならない。

ということでがんばって早起きし、8時にはホテルを出た。

前夜の屈辱のディナーにおおいに反省。

だからホテルを出ると、すみやかにマックへ移動(ホテルからわずか2分・・・)。

おもしろいことに、偶然同じ時間にホテルを出たお隣の部屋のグループも、まったく同じようにすみやかにマック駐車場にとまった。 だよね、やっぱり結局マックになっちゃうよね。よね。

朝マックマフィンを食べ、ついでに、マックカフェでランチ用に「スピナッチ&フェタチーズ・マフィン」2個も購入。

さて、2日目行動開始じゃ。

またもや、あの25キロの一直線の道をひたすらHalls Gapへ向かう。
この道、ほんとにすがすがしくて、ガラガラでまっすぐ。

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Halls Gap 入り口でカンガルーに触れ合ってみる。

今日は、まずピナクルというところへハイキングの予定。


<ピナクル The Pinnacle>

ここは、その名そのまんまに、「てっぺん」ぽい場所。
崖から岩が突き出ているような場所があり、そこにいけるらしい。

行きかたは2コースある。

・中級向け(Sundial Car Park から登る。往復4.2キロ、勾配差110メートル)
・中級~上級向け(Wonderland Car Park から登る。往復5.5キロ、勾配差280メートル)

私たちはWonderland Car Parkから登るほうを選んだ。

説明には「strenuous walk」とあったけれど、それほどなワケがないと思ったし(だって、岩山っていったって標高がぜんっぜん高くないというか平地レベルなんだもん。だから空気ふつうに濃いし。勾配がちょっとばかしキツくたって、それほどのハズがない。

それに、このコースは途中で「グランド・キャニオン」という名(笑)の岩場を見れるっていうから。

朝は晴れていたのに、さて登ろうかね、という段になってやっぱり曇ってきた。

しょうがないさ~、雨男と結婚したんだもん・・・。

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「グランド・キャニオン」エリアは、ワンダーランドカーパークの裏手、ハイキングが始まった途端に始まる。

言うまでもなく、あのホンモノのグランド・キャニオンに比べれば、比べ物にするなってくらいのささやかな岩場よ。

道が実によく整備されていて、まったく問題なし。

 
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オージーは「お二人の写真、撮りましょうか?」と、わざわざ向こうからすすんで言ってきてくれる人がすごく多くて助かる。

特に今回はいつもにまして多く、けっこうたくさんのツーショットが撮れた。

しばらく、この岩っぽい場所を登っていく。

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晴れていて青空なら、ずいぶんいい写真も撮れただろうに、けだるい曇り空で・・・。
岩の色もなんだか、すごく鉛色・・・。ブーっ。

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キャニオンエリアが終わったあたり。

どこもかしこも道が本当に整備されていて、思ったとおりに普通に平気。

冬だから暑くないっていうのもあるだろうけれど、汗もそれほどかかず、息もそれほどきれず、いつstrenuousになるのかわからないまま、スイスイとすすむ。

私たち、とくに普段すっごいアスリートってわけじゃなくてもですよ。

もちろん、それなりに2時間くらいかかったし、そこらへんの道歩くように、ってわけには行かないけれど、かなり拍子抜け。(例えば、高尾山なんかよりもかなり楽)。

オーストラリアって、肥満率世界3位以内に入るくらいの国でしょ?だから、パンフレットもかなりおおおげさに書いてるんじゃないのかなぁ?と思う。


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着いた!

これがピナクル。

この先っちょの部分、高所恐怖症のフグは「オーマイガ」というつぶやきとともに、コンマ一秒行っただけ・・・。

せっかく来たのにもったえない。


でも実際けっこう、こわい。本当に崖から飛び出てて、私もさすがに一番先っちょでは、足がすくんだ。
 
でも見てるとさ、ガイジンは平気で手すりに後ろ向きに寄りかかったりしちゃうの。さすがガイジン。


ガケの真下のHalls Gapの街との標高差は686メートル。

浅草にできたスカイツリー(634メートル)がここにいきなり立ってても、それより高いんだねー。実感ないけど。

でも、ブルジュ・ドバイ(フルジュ・ハリファ。828メートル)はこれより高いんかと思うと、ますますいろいろな実感が涌かない。

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「スカイツリーより高く、ブルジュ・ハリファよりは低い」。なかなかいい説明じゃないかね?これ。

鳥の眺め。鳥瞰図。すごい眺めだ。

この場所、手すりもなくてこわかった・・・。 

足がすくみながら写真撮った。

 
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付近にいた日本人観光客に撮ってもらった写真。
彼らはおにぎりと、きゅうりのおしんこを食べていて、それが心底うらやましかった。
奪いそうになるのを、必死にこらえつつ、カメラに笑顔(笑)。

まさに、「おにぎりくれ!」っていうコンディションだったの。米と塩分。
山とか登ると、おにぎり欲しくなりません?

このピナクルでは、写真を撮ったり、なんやかんやで1時間くらいを過ごした。

下りは、あっという間だったけれど、私たち2人ともけっこう膝にきた(笑)。トシ?


<Mt. Williams マウント・ウィリアム>


ピナクル・ハイキングから戻ると、12時半になっていた。

とりあえず、買っておいたマックマフィンをほうばる。Halls Gapにあった小さなパン屋でアップルシナモンロールを買い、それも食べて腹ごしらえ。

そして、次の目的地、マウント・ウィリアムに向かった。

このグランピアンズ国立公園の中で一番高いという山である(それでもたったの1167メートル・・・)。

何も情報を得ずに車を走らすこと20分くらい、駐車場についた。

駐車場に着いたときには、既に車でかなり登っていたが、やはりここからは歩かなければならない。

頂上まで1.8キロ。

g23.jpg 
私のイヤマフをはめさせてみたフグ。

1.8キロといっても、↑ こういう道なので(つまり、一般客以外の車は走れる)たいしたことはないんだけれど、勾配は意外に急。

だんだん登っていったが、写真でも分かるとおり、曇りすぎてなーーーーんぬも見えない。

途中からは霧雨まで降り始め、景色はただの真っ白となってしまった。

「どうする?」
「せっかく来たんだしもうちょっと」

を3回くらい繰り返しながらトボトボ歩いたあげく、

「いくらなんでも、こんなに天気悪いんじゃ、無駄だね」ってことで、頂上200メートル手前で引き返すことにした。

mtwilliam.jpg 
↑ (晴れていたら、こういう景色が見れたらしい。どっかのサイトにあった写真です)


途中ですれ違ったおじさんも、「オレはまた明日くるんだ。きみたちも明日くれば?」と言いながら、肩をすくめて去っていった。

ま、今度は夏にでも来るかね~。


つづく

2012.06.21 / Top↑
人様の顔について、物申すなんてちょっとどうかと思う。

せっかくがんばってる人の顔について何か言うなんて、さらにどうかと思う。

まして、人様の顔みて物申すだけでなく、思わず笑う(クスっと、じゃなくて、ウワハハハハッ的に)なんて、ほんとにどうかと思う。

のだが。

最近、どうしても素通りできない顔があるの:笑。

海外ブログってさ、ほら、やっぱ、「その国では知られているけれど、他の国での認知度は微妙」っていうようなオモシロイものを紹介するという使命があるじゃないですか(勝手に使命感)。

だから、やっぱり、この人も紹介するといいんじゃないかな、って。(←すごいこじつけ方)。


そのオーストラリア人は・・・・ 

Cadel Evans(カデル・エバンス)。

といっても、今、調べてやっと「そういう名前の人だったのね」って分かっただけなのだけど。

この人、どうやら自転車競技の選手らしい。
ツール・ド・フランスとかに出るような、ああいう自転車競技。

しかも、けっこう有名?というか、強い選手らしく、だいたい上位に入るらしい。あ、世界チャンピオンにもなったらしい。

自転車競技なんて、マイナス百ミクロンの興味もないから、よくわからないんだけどさ~。

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何が気になるって、とにかく、眉間のシワ!

シワなんて域はとっくに超して、クレバスになってるよ。カデル。 

垢たまりそう。
 

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cadel8.jpg

眉間のクレバスもすごいんだけど、同じライン上(顔のセンターライン)のアゴにも割れ目があるんだ。

この上の写真は眉間クレバス浅めだけど、自転車で走っている最中は、果てしなくクレバスが深くなる。

cadel2.jpg

もはや、何かを挟むためにあるかのような眉間のクレバス。

ツマヨウジくらいだったら、埋まって見えなくなるくらい深い1本線。
 

いつもいつも眉間にシワよせて自転車こぐのがんばりすぎて、こうなっちゃったのかしら・・・。
 
がんばりすぎは体に毒よ。

というか、もともと顔全体が、ちょっとブカブカしてるよね。
だから、たるんだ部分がヨレてしまうのだろーか。
シャーペイみたいに。

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(シャーペイ犬→
クリック

 
cadel10.jpg
お、おもしろい・・。

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眉間の苦渋オーラが、こんな場面に深みを与えておられる。。。

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cadel6.png 

そもそも、この人、今までは何度かテレビで見かけただけだったんだけど(たぶん、ツール・ド・フランスなどのニュースで)、

最近なぜか、テレビのCMに出るんだよね。

オーストラリアって、CMの数もほんと少なくて、すでに嫌というほど見たCMがひたっすら流れるの。

だから、この人を最近、やたら見かけちゃうわけ。

それで、いてもたってもいられなくなって、ついに記事にしてしまったってわけなの。

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cadel9.jpg
顔ブカブカ。

友人知人や妻は、絶対「ポストカード挟ませて」とかやってそう。

やらずにいはいられないでしょ。

カッ(クレバスに差し込む音)って。

cadel5.jpg 

というか・・・・顔のブカブカ加減とか眉間のクレバスやアゴの割れを抜きにしても、依然として面白い顔なのかも。

ヘンな眉毛のせいかなぁ?

なんか、この犬をホーフツとさせる。
   ↓    ↓
kel2.jpg

 
kel3.jpg

この犬たち、オーストラリアン・ケルピー(Australian kelpie)っていう、オーストラリアの犬なんだけど。

オーストラリアって、こういう顔になりやすい土地柄なのか???笑


この人、自転車競技に興味がある人にとっては「有名だよ!」なのかもね。と思って、一応名前検索してみたら、あら~、日本語のウィキペディアにもあるじゃないのっ。ってことは、けっこう有名ね。

でも、やっぱり、オーストラリアか自転車競技のどちらにも縁がない人には、新情報のハズ。

ちなみに・・・ウィキペディアには「何かしらのアクシデントや勝負所での負けにより1位が取れないという、レイモン・プリドールに並ぶミスター2位みたいなことが書いてあった。

レイモン・プリドールが何者なのかなんて知らないけれど、なんやかんやでいつも、あとちょっとのところで2位らしい。

がはははははーっ!それ、ちょっと・・・・・顔に似合ってる・・・・。


スミマセン、ほんと、失礼で。
ごめん、カデル。
有名になるって、タイヘンね。


はっ。さらっと書くつもりが、こんなに書いちゃったわー。
2012.06.20 / Top↑
昨日の夜。

夕食を食べ終わって、フグが皿を洗っているときだった。

急にフグが、皿を洗うのをやめて「めまいがする」とか言いながら、立ちすくんだ。

え?めまい?・・私、よく、めまいするよ。なんか、脳の一番真中の部分が突然グワーンとしびれて回る感じでしょ?」と言うと(私、本当にたまにこういうめまいがすることがあって、ちょっと心配・・)

「いや、こんなの初めて」と言う。

それからほんの2分か3分後・・・・、

グラグラグラっときた。


じ、じ、地震っ!

結果からいうと、この地震はヴィクトリア州(メルボルンがある州)でこの100年で一番大きかった模様(マグニチュード5.5)。

といっても、震源地はうちから150キロくらい離れた場所だったので、日本人としてみればろくでもない揺れだったのだけれど。

たぶん、うちのあたりではせいぜいM2とかM3だったんじゃなかろうか。

だから、日本にいれば「あ、揺れてんね。というか、醤油とって」くらいで済む揺れだったけれど、けっこう怖かった!


だって、ここはメルボルンだもん。


街を歩いていると「ちょっとした地震がくれば、イッパツじゃな」っていう古いレンガの建物に満ちている。

古い建物だけでなく、建設中のマンションなどを眺めても「え・・?それでいいんですか?」というくらい、地震に弱そうなものを作っている。(うちの父、趣味の範囲を超えた大工趣味があって、私は小さい頃から家を増築するところをよく見ていたし、何かと建物関係の知識を自然と身に着けた)。

それに・・・・去年のニュージーランドのクライストチャーチ地震(正式にはカンタベリー地震というらしい)で、日本みたいな地震頻発国じゃない国の都市が、いかに地震に弱いかが証明されたじゃないですか。

クライストチャーチという街の名前ゆえんのあのチャーチだって、壊滅したでしょ?(今となっては、あの教会なくしてただの田舎町だよね・・・。小さな町って、「シンボル」的存在がとても重要なのね)。

メルボルンって、あれ系の建物がいっぱいあるの。

ウィキペディアにも「今日ではヴィクトリア女王時代の建築物がロンドンを除く世界中の都市で最も多く残っている」と書いてあるくらい。

それに、クライストチャーチ地震では、ほら、古い建物だけじゃなくて、テレビ局のビルが見事なまでに倒壊して、日本人の語学留学していた犠牲者がたくさん出たでしょ。

あの記憶が新しいし、最近もイタリア北部で地震が起きては、いとも簡単に建物が崩れている。


だから怖かった。
うちの建物、レンガ造りで古いし、すでにヒビがいっぱい入っているからね。


フグも怖かったらしいよ。

フグ、もともとかなりのビビり屋ではあるんだけど(笑)。しかも、インドでは珍しく地震地帯で育っているので、日本と同じくらい「揺れるなんて、子供の頃は普通だった」と言っていた。

だけど、ここがメルボルンだからか、それとも、やはりビビリ屋だからか、皿洗いの水出したまま「出ろ出ろ!」とか言っていた。

出ろ!ってどこへ・・・・(笑)。

うち、3階だし、そう簡単に出れませんわよ。しかも、ここは日本じゃないんだから、出ようとして階下に下りていく間に建物が崩れたら、たぶんそっちのほうが危ない。

とにかく。

いやです、メルボルンで地震っていうのは。


ところでね、

フグのめまいは、地震で揺れていたからじゃないの。

地震はその数分後に来た。

あれはたしかに、めまいだったらしい。


だから・・・、

もしかして、アナタ、ナマズ?

と思ったね(笑)。


でも、ありえると思う。

動物は地震感知するし、人間でも大きな地震がある前には頭痛がしたり、体調が悪くなるって人、よくいるもんね。私の友達にも、去年の東日本大震災が起きる数時間前から、「なぜか吐き気がして寝込んでた」って人がいる。

フグって、見るからに健康そう。

私、ヨガ歴が長いから、人様の「骨格の歪み」にけっこう目が行くというか、そういう目線を比較的持っているんだけど

(「この人、顔の左右が違うのは骨盤が傾いてるからだなー」とか。誰でも多少の歪みは持っているもので、私も自分の骨盤の傾き、それに由来する背骨の歪みなどがとても悩み。腰痛、便秘・・・etc)

フグときたら、ほんとうに歪みが少なくって、なかなかよろしい骨格をしておられますな、って思ってた(腹はでてるけど)。

そうするとたぶん、へんな神経が圧迫されていない分、動物的肉体感覚が働くのかも(笑)。


フグじゃなくて、ナマズでしたか。

と思った夜だった。

最後に余談だけど、

こういう、地震が一般的じゃない国って、地震速報とかないのね・・・。
地震が来てから1時間経ったって、ニュースにも出ないし。
それが一番、カルチャーショックだわ。


2012.06.20 / Top↑
---------「グランピアンズ3 マッケンジー滝の巻」のつづき------


思ったとおり、実にさびれたモーテル。

でも、緊張しちゃうくらい田舎なこの町も、こういうモーテルもこの国ではごく標準。

オーストラリアで宿を期待するほど無駄なことってないのよ(笑)。 


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しかし・・・・・外は霜が降りる寒さ(夜中は2度とかだった)で、これかい・・・。 この暖房。
1泊120ドルっすよ、これでも。 
 
ほーんと、やんなっちゃうわよねぇ、オクサン。

ディスカウントストアの代名詞Kマートとかで15ドルくらいで売ってるプラスチックのヒーター。
これで、冷え切った(レンガむき出しだし、地面の冷気が立ち込めてて、本当に冷え切っている)部屋を暖めろと。

この記事(
クリック)でも書いたけれど、この国の暖房事情は驚くべき遅れぶりなのであーる(もしくは、人々が寒さにきわめて鈍い)。

フッ。

しかし、私たちはもう驚かないにょ。

フィリップアイランドで、いっっちょまえに1泊160ドルした部屋にだって暖房がなくて、凍えて寝たし(窓に取り付けタイプの暖房がついてたけど、風が出るだけで扇風機と同じだった・・・)。鳥肌で唇ムラサキになってシャワー浴びたし。

グレートオーシャンロードのオトウェイって場所でも、宿で毛布体に巻きつけて過ごしたし(16時以降、宿の管理人なし。客だけが建物に寝てるって有様だったわよっ)。

たぶん5スターホテルはもちろんだけど、最低でも「ホリデーイン」みたいな、とにかく国際資本なクラスのホテルに泊まらない限り、オーストラリアってこんななのだ。

どんなに裏ぶれた町にあって、どんなにみすぼらしくても、室温が暖められていることくらいは一応ちゃんとしている日本の「民宿」のほうが、冷え性のわたし的にはぜんぜんマシ。 
 

でも、私たち、今回は用意万端よ。

湯たんぽ2個、フリース毛布持参だもーん。もーん。もーん。
私なんて、いつも家で履いてる毛糸の靴下、腹巻、内側起毛トレパンまで持参だもーん。

防寒グッズをすみやかに身につけ、湯たんぽにお湯を入れて、プラスチックのクソヒーターをこれでもかとばかりに超フル回転させて、そそくさとベッドにもぐりこみ、とりあえず、まぁいいか。

お腹が空いていたけど、フグがうわの空。

テレビで、始まったばかりのサッカーのヨーロッパカップ中継見ている。 それで、やたら急いでホテルにチェックインしたのかっ。フグめ。



ようやく、サッカー中継が終わり、食事をするかね、となった。

豪在住者は御存知だろうけど、この国の田舎で食事にヘンな金を払うことほどアホなことはない。

「ろくでもない、まずい、バカ高い」が際立っている。あとは、油っぽい、パサついている、胃がもたれる、などの形容が必ずオマケにつくのだね。

オーストラリアでは、キッチンつきの宿が多い。それはこの事情も、大いに関係していると思う。 人々が食を楽しんで生きてはいないのだ。

だから、私たちは「サブウェイとかマックでいいね」と最初から言っていた。


ご当地なんとか料理なんて求めちゃいけないし(そんなものないのだ)、日本などから来た身としてはガクゼンとするほどの食文化の貧しさを、まざまざと感じてしまう。 

あらゆる国からの移民のおかげで、メルボルンは各国料理が楽しめる「グルメシティ」などと言われている。でも、それがメルボルンという都市部分に限った局地的なものなだけで、ひたすらに移民のおかげなだけであることがよくわかる。

この国って、草の根レベルの文化の根付きがまるでない・・・。 引っこ抜こうとすると、根っこが浅くてあまりにも簡単に抜けて、こっちが尻もちつきそうになる草ってあるでしょ?あれみたい。

家庭料理とかご当地料理なくしては、旅行の楽しみって80%減じゃないですか・・・?  だから、私も来たばかりの当初は「旅行のときくらい、外食がしたい」などと思っていた。

でも、あれはもう過去の話よ。わたくし、成長したの。オーストラリアでは都市を離れた場合、外食するとバカを見る。
 
「いいもの食べれんなら、今日はちょっとお財布ゆるめちゃうよ」とかいうウフフなグルメ心は出番すらなく、

ファーストフードが勝つ!
 それがオーストラリアの田舎である。
(ちょっとお金を出す気もあって舌も肥えたような外国人旅行者にさえ選ばれる強さだと思う)


だから今ではわたし、キッチンついてる宿に賛成派。

でも、今回はキッチンがついていない宿なのだ・・。
だから、「ファーストフードでいいっしょ」と決めていた。


なのに・・・・・・私たちはやっちまったのである。 ナゼだーーー!?


なぜかこのモーテル、レストランが併設されていた。
フグが、「モーテルでレストランついてるのって、あまりないよ。行ってみちゃったりして?」とか言う。

寒かった。外は日が暮れた途端、めっさ寒かった。
つい、黄色い光が暖かそうに見えたレストランの中を覗きながら「メニュー見れますか?」と言ってしまった。

そして、メニューを見たら、メルボルンのカフェ食とそんなに変らない様子&値段に感じた。

つまり、カフェ系ディナープレートひとり人分がだいたい、24ドル~30ドルくらいの。

で・・・・・なんとなく・・・私たちは悪魔に操られるように(笑)、このレストランに入ってしまったのであった・・・。

料理が出てきて、おでれぇたよ!

や・ら・れ・た!!

koro.jpg 

ちょっと・・・・。
アンタ・・・・・このプレートが25ドルって信じられまっか?

これ、名前ばっかり「チキン・キエフ(Chicken Kiev)」とか言うんだけど。

鶏ささみの中に、なにかほ~んのちょっと詰め物がしてあって、それに衣くっつけてコロッケ風にしてあるんだけど。

一個だよ、一個!
フォークの大きさからして、分かるでしょ?この小さい一個。


それに、このスーパー貧弱なサラダとイモの質と量・・・・。

このサラダ、日本のカラオケボックスとかでエダマメ頼んだら小皿に6本くらいのエダマメが乗っかってくるけど、あれくらいショボい。

3本指で軽くひとつかみくらいの葉っぱの量って、これ、サラダパックの最後のカス?
そこに、マヨネーズをペロっとかけただけで、ドレッシングすらないし。

言い訳風に端っこに置いてある極小サイズのパセリなんて、お笑いの域よ。

もちろん、これだけよ。他にパンとかご飯とかスープとか、ないざますよ。

すっごい、目を疑った。
吸った息がしばらく吐けなかったくらい、このケチさに驚いた。


メルボルンでも「チキン・キエフ」プレートはたぶん25ドル前後だけれど、その代わり、このチキンが2個か場合によっては3個、イモが3~4倍、サラダはもっと質もパリッパリで新鮮なものが4倍つくね。おいしいドレッシングとともに。

だいたいからして、皿からあふれそうになってるのが基準のはずってなもんよ。


フグはフグで「バラムンディ(オーストラリアでポピュラーな白身の魚)・テンプラスタイル」ってやつ頼んだんだけど。

料理が来てから可笑しくなった。

白身魚のテンプラスタイルって、よく考えたら・・・・ただのフィッシュ・アンド・チップスじゃんよ!!!
 
名前に騙されまでしてしまった。

皿には、この国でコカ・コーラくらいどこにでもある「フィッシュ・アンド・チップス」が普通に乗っかっていた。

もちろん、メルボルン基準の3分の一の貧相なチップスの量と、魚の大きさだったけど・・・。


私たちは無言で・・・・しかし、一瞬にして食べ終わり・・・・屈辱気分で部屋に帰った。

そして、車の中で食べるように買ってあったポテトチップスやクッキーをバリバリ食べたのであった。


つづく



2012.06.19 / Top↑
------「グランピアンズ 1日目前半の巻」のつづき--------


Reed Balconyから、車でマッケンジー滝(Mackenzie Falls)へ向かう。

駐車場までは、Reed Lookoutからすぐ。
そしてそこから、歩くということだ。

「けっこう階段があって大変」とか聞いていたけれど、やっぱり聞いていたほどではなかった(笑)。

いきなり例えがすっごい飛ぶけど、東急ハンズって階段ない場合多いじゃん?だから、例えば5階のステーショナリー売り場に用があったら5階まで階段登り降りするじゃん?

あれの7割くらいしか、大変じゃない。

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階段を降りていく。急なのは、ここに映っている部分くらい。

あっけなく下に着いた。

でも、前回の記事で景色のまっ平らさに驚いたとおり、例えば標高700メートルで「山」って言っちゃうくらいとっても平らなオーストラリア。だから、このくらいの高低差を歩くって、たしかにオーストラリアに来てからは初めてだったけれど。

オーストラリアが深刻な水不足なのも、砂漠だらけというよりは、あまりに平らだかららしい。
最初に砂漠があったというよりは、平らすぎて砂漠になってしまったと聞いた。
なんか、分かるね。

オーストラリアは去年は、洪水にとても悩まされた。日本は震災とツナミ報道で埋め尽くされていたようだけれど、オーストラリアはけっこう、自分んところの洪水で大忙しだったのである。

洪水の水がいつまでたっても引かないでいる映像ばかりがテレビに流された。
あれも、平らすぎるからだ。

だから、このくらいの滝でも、「けっこう滝」なのである、オーストラリアでは。


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------豪基準では、まぁまぁな滝、マッケンジー滝-------


今まで、この一年半いろいろな場所で、「滝」と呼ばれているものを見た。

でもそれらは「川にしてはたしかにちょっと急だけど、でも・・・・どう転んでも川」って感じの小さな小川か、もしくは「小川の中にちょっと段差があるね」みたいなものだった(笑)。

だからそれらに比べれば、マッケンンジーは「あぁ、滝だね」と言えるかも。

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暑い中に階段を下ってきたら、さぞかしこの場所がすがすがしいだろうな。
しかし、今は冬。さびかった・・・・。さびかったっす・・・。水もちべたそう。

20分くらいここで過ごした後、また階段を登って、周辺にある散策コースをのらりお散歩。

ひとつは、マッケンジー滝のちょっと上流部分を眺められる場所で、これは数百メートル歩けば着いた。 もうひとつは、マッケンジー滝をちょっと遠めに眺められる場所で、これは・・・覚えていないけれど行って帰って40分くらいだったかな・・。

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滝を遠くから眺める場所。

ここでボーっと眺めている頃に、ちょっと小雨風なものもパラつき、時間も16時前になっていたので、すぐに引き上げる。

マッケンジー滝の駐車場に小さな売店があったので、そこでコーヒーを飲んで一息。ふぅ。

そして、私たちはホテルへ向かった。


グランピアンズ観光はHalls Gapに宿をとるのが一番なんだけれど、3連休とあって全部満室。空き室のところはすべて「最低3泊滞在が条件」(←連休になると必ずこうなる)みたいな感じで、私たちは宿がとれなかった。

だから、次に近い町スティウェル(Stawell)に、モーテルを予約していた。
この町には、さびれたモーテルがけっこうある。

みるみる暗くなる中、スティウェルに向かう。
最初の記事で書いたとおり、25キロの道を一直線に走れば着く。


つづく
2012.06.19 / Top↑
■■ PHOTO で India ■■-------------------------------------------------------------------


オールドデリーは、大問屋街。
そして、おびただしい庶民がひしめき合って暮らすスーパー下町。
そしてそして、肉体労働をするおっちゃんたちの汗でむせ返る街。
ムガール帝国時代からずっと続く古い街。

明らかに人口密度をはじめとしたいろいろな密度が飽和量を超えている。

ごった返しの様子は、すごいです。

何度行っても、おもしろくておもしろくて。飽きない。
どれだけ写真を撮っても、撮り足りない気分が残る。

旅行するなら、本当に楽しい場所。

「息せき切って汗を吹き出しながら、思いっきり生きている街」という感じ。


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荷物も人も、何がなんだか。
気温が40度超してくると、もうほんとうに、なにがなんだか。

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なにもかもが、いろいろ飽和(笑)。

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ほら、こういう昔ながらの荷台(まんなかに並んでるやつ)も、年期入ってて、なんともいえない。

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あまりに入り組んでいるので、移動手段はもっぱら、サイクルリキシャ。
(自転車タクシーのようなものです)

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大荷物運ぶ人、睨む女、携帯で話すおとこ、バイク、自転車、おっさん、にぃさんなどなど、全員集合。

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この手前にある機械みたいなやつ、停電したときに使うジェネレーター。

しょっちゅう停電するんですが、停電すると、ブルンブルンブルルン・・・・・っと、そこかしこでこれを始動させる。

ブルルルルルルルルルルルr・・・・・・と、停電中、この音がうるさい。

そして、ガソリンのにおい。

この同じにおい、今でもたまにふっとどこかで嗅ぐことがあります。

すると、私は懐かしさに襲われたりするんです。

あまりに身近だったの(笑)。あの頃がよみがえる。

ガソリンと機械油が焼けたような、あのにおいは、インドのにおいです。



※たくさんあるオールドデリーの写真、今後も随時紹介しまーすっ。

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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。
2012.06.17 / Top↑
---「グランピアンズ 道中の巻」のつづき------


車ですぐに行ける展望ポイントひとつ目は

<Boroka Lookout >

Halls Gapから車で10分くらい?15分だったかしらぁ?(測ってない・・・)

とにかく、けっこうすぐです。
どんどん車で登るので、晴れていれば途中の景色もよさそう。

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Boroka Lookoutからの眺め


あっという間に、こんな眺めの展望ポイントに到着してびっくり。

はるか向こうまで、まる見え!!

すごい景色だなぁ~。感動。

しっかし、平らだなーーーー。
このグランピアンズ地帯以外の、平らさにびっくりこいた。

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フラーーーーーット!たいら!まったいら!フグ、お気に入りの双眼鏡を覗く。


でも、ここに来てすぐに思った。

「やっと、オーストラリア内で来る甲斐のある場所に出会ったわ」

だって、いままでメルボルン郊外、ダンデノンだのオリンダだの、パッフィンビリーだの、マウント・バウバウだの、ヤラ・バレーだの、モーニング半島だのバラライン半島だの行ったけど、

いまひとつ、「なんだかなぁ・・・」「ふぅん・・・」「まぁねぇ・・・」「オージー的には本気ですごいの?それとも他にないからしょうがないって、実はオージーも思ってんのかしらー?」程度で終わっていた。

これが、あれほど叫ばれている場所か?みたいな。退屈だから来たけど、依然として退屈カテゴリー内で行き来してるだけだよなぁ・・・で終わっていた。


でもグランピアンズで、初めて「ここなら行く甲斐のある場所と名乗ってよろしい」と思ったよ~。

毎度毎度、持って行っては宝の持ち腐れだったフグのお気に入り双眼鏡も、今度こそはお役目を嬉々として果たしていた。


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小型飛行機に乗ってるみたーい。

私の手の先に見えるちょっと町みたいな部分が、Halls Gapの町(村)。


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さすが手も黒いなっ、インド人よ!

30分くらい、このBoroka Lookoutを楽しんだあと、次の展望ポイントへ向かう。

次の場所は


<Reed Lookout> 

ここも、車で行ける。Boroka Lookoutから車でまた10分か15分くらい。


g08.jpg 

ここからの眺めは、ユーカリの木の原生林、という感じ。

なんて手付かずな神聖な森なんだろう・・・と、ちょっとまた感動。

基本的にものすごく乾いた土地だし、木の種類がそんなに豊富でなく、ほとんどユーカリの模様。

ユーカリは季節感がない木で、いつでもカサっとした乾いた緑。だから日本などの「うっそうとした」というのとは違うんだけれど、

でも、すごく神秘的で深い、手付かずの森だというオーラに満ちていた。
アボリジニーの精神や、彼らが大切にした森の精などが、ひそんでいそうだった。


さて次は

<バルコニー「The Balconies」>

ここへは、このReed Lookoutから歩かなければいけない。


g09.jpg  
バルコニーへ、プチハイキング

歩かなければいけないといっても、片道1キロくらい。
行って、見て、戻って1時間くらいかな。

バルコニーは、もののけ姫のあの石の場所のモデルになったとかいうウワサ(こういうのはいつでもウサワですよね・・・、魔女の宅急便の町のモデルになった町、とか)の場所なので、日本人的にはけっこう知れていたりする。


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↑ これです、その「もののけ姫」な石のバルコニー・・・。

たしかに眺めもよくって雄大だったけど、この時には天気もずいぶんどんよりしており・・・写真がイマイチ。ネットなどで検索すると青空に映えたこの場所の写真が見れるので、興味ある人はそうしてくらさい・・。


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上の写真の石の向かいにもこういう石のバルコニーがある。
曇っててパっとしなくてすんませんね(かさねがさね)。

下に広がる森にはきっと、コアラが住んでいるんだろうね~。


さて、バルコニー見学も終えた私たち。

車を止めたReed Lookoutまで戻り、次の場所マッケンンジー滝に向かった。




つづく~
2012.06.17 / Top↑
この間の月曜はオーストラリアは休日だった。

なんの日かと思ったら、「エリザベス女王のお誕生日」。

ふーん、そう・・・・(これ以上の感想がない)。あえて言えば、そうか、ここはコモンウェルス(英連邦)な国だったねぇ、というくらいのもんですか。


さて、ひっさびさの3連休(フグが)。

ということで、去年6月のシドニー旅行からまる1年ぶりの豪国内泊りがけ旅行に行ってきたよ。
 
行き先はグランピアンズ国立公園(Grampians National park)。

メルボルンから北西に230キロほど行ったところにある岩山地帯。



今の時期は日がものすごく短いので(17時過ぎでとっぷり暮れる)、活用できる時間もすごく少ない。

だからがんばって、早朝6時40分に家を出た。まだ真っ暗。 いつものように、魔法瓶(言い方が古い・・?)にチャイを入れて出発(私は断然コーヒー派なんですが、フグがチャイ派なのデス)。

家を出てから数回道を曲がったら、あとはひたっすら、ひたっすらバララトロード(Ballarat Road)という道を行き・・・・その後も現地到着まで、道を間違うかもしれないポイントは2~3ヶ所くらい(よほどのオバカさんでないと間違えないと思うくらい単純だけれど) 。

オーストラリアでカーナビを持つほどの宝の持ちぐされってないと思ったり(もちろんうちは持っていない)。

道中のあまりにも見事な田舎ぶりに、ほんとうにまた、しみじみと悲喜こもごもなカルチャーショックを覚えるわたし(いいかげんに慣れろ)。

日本などにはない種類の田舎。
人間の気配が圧倒的なまでに少ない迫力。 
 
 
g04.jpg 
冬枯れが見事な木。
さかさまのホウキっぽいね。

「巨大な大地にあまりにも少ない人口密度」なことを感じるの豪でのドライブ。 
 
といっても、まだまだ「アウトバック(
クリック)」と呼ばれる地帯ではないのだと思う。ちらちら人家などもあるしね。


g03.jpg 

すがすがしいねぇ~。
空気もおいしい。  

ユーカリの木、好き(冬でも夏でも、葉の色とか量にほっとんど変化なくて季節感に欠けるけど・・)。

途中、ビューフォート(Beaufort)という街というか村?で、トイレ休憩&コーヒー休憩し、11時に現地に到着(段取りのいい人は3時間半で着く模様)。

道中では、遠くに風車発電の風車群も見えた。フグが見たがっていたけど、時間がないので却下。


g02.jpg 

 ↑ スティウェル(Stawell)という街から、ホールズギャップ(Hallsgap)というグランピアンズ国立公園内にある町(村)までは、25キロメートルずっと、このステキな道をまーーーーーーーっすぐ(空に映ってるものは、車のフロントガラスの反射・・・)。

両側には、羊かカンガルーかエミューのグループが草などを食む景色が。

それから・・・カンガルーの死体(車にはねられた)も、オーストラリアの道路にはつきもの。この日も3匹くらい見ました(ナムー。アーメン。)。
 
カンガルーを跳ねるとスピードによっては車側のダメージもけっこうすごいらしい。場合によってはこちらも死んじゃう。オーストラリア郊外のドライブは道も空いていてスイスイ~だけど、それが怖いところだな・・。


さて、着いたはいいが、着いた途端に妙な雲行き・・・。

みるみる曇ってしまった。


gaan.jpg 
あの青空はどこへ。ガクーン・・。

天気予報、しつこく確認したのになーーーーっ!
予報では晴れだったのになーっ。


さすが、世紀の大雨男フグ


これまでにも、いろいろあったなぁ・・・・・。
   ↓   ↓

・2人の初旅行で腰まで浸かる洪水、
・初旅行@オーストラリアで豪雨のため目的地の公園封鎖、
・初旅行@日本で台風など。

だいたいこの人、
世界一の豪雨地帯を誇るインドのメガーラヤ州(←クリック)育ちだし・・。

雨が多いメルボルンに住み着いたのも、その最強の雨運のせいじゃないのか?フグ君よ。


もともと晴れ女だったハズの私と足して2で割って、最近の私達の行楽は、どんより曇りが多い

ま、しょうがないか。
足して2で割る、それが結婚というものよ。フッ。 


11時に到着と言っても日が短いから、あまり時間はない、だからランチ抜き(途中の街でパンでも買えばよかった・・・)。


まずは、私たちは車でいける2箇所の展望ポイント(Lookout)に向かった。



つづく~
2012.06.16 / Top↑
なにしろ、ヒマなメルボルン。

原っぱとか河原とか緑の公園ならいくらでもあるけれど、街系は行く場所がなさすぎて、すぐにネタ切れになってしまう。

そこで、「そろそろ、ほんとにネタ切れ・・・」という気分になると、私達はカジノへ行く。


cas04.jpg
 
↑これを撮ったのは去年の夏・・・。


メルボルンにはクラウン・ホテル(Crown Hotel)という5スターホテルがあり、その一角にクラウン・カジノ(Crown Casino)という、ちょっと豪華なカジノがあるのだ。

このクラウン・ホテルのスイートルームには、トム・クルーズが泊まったことがあるんだとか。トム・クルーズがあるホテルに泊まったごとき件が、けっこう語り継がれるメルボルンなのであった・・(笑)。


クラウン・カジノは、メルボルン旅行者向けパンフなどには「南半球最大級」と書かれているらしいけれど、この「級」というのが、クセ者。シドニーに行ったときに、スターシティ・カジノに行ったけど、あれに比べたら全然小さいと思う。まして、北のラスベガスとかと比べてはいけないよ(ベガスはすごいよね)。あくまでも、南半球で最大「級」なだけよっ。


しかしとにかく、それでもこのクラウン・カジノは、カンガルーやエミューがのらりと暮らす、ねむいメルボルン界隈の中では、珍しくきらびやかな場所ではあるのだね~。

確かに、映画でよく見るカジノシーンの雰囲気はちゃんとある。

 
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このクラウン・カジノ、別名「チャイニーズ・エンバシー」と呼ばれていると聞いている。

行けばわかる。うなずける。

中国人だらけ!!!
あとは、ベトナム人と、そしてちょっとインド人と、アメリカあたりから来たらしい西洋人旅行者(だいたい老夫婦)。


ここにいると、私も中国人の一味だと見られてんだろうなーと思い、ちょっとイヤ。

(中国人のオバサンって、なんであんなに下品なんだろう・・・?)

高度経済成長めまぐるしいって只中のインド、デリーに住んでいたときもつくづく思っていたんだけど、人間、突然豊かになると、とりあえず一度は成金趣味になるらしいね。

フェラーリ集めるとか、金のライオンを玄関に置くとか、百万円の魚を水槽に買うとか、二百万円のクリスタルのイルカを飾るとか、庭にヴィーナスの噴水とか、もちろんグッチやヴィトンのバッグとか、アルマーニのスーツとか。そういうのを一度通過しないことには、落ち着かないらしい。

暗いからって、お札に火つけてあたりを照らす成金の風刺画あるでしょ?あれの感じのワールドを感じる、このカジノの光景。中国人富裕層、現在、そういう段階におられるようです。


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ポーカー台やら、ルーレットやら・・・・映画で見るカジノワールドそのもの。

 
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さて、私達がヒマつぶしにここで何をするかというと、茶をしばくだけである。

いやいや、まっさかー。バクチなんてしませんよっ、オクサン。

フグはバクチで金をするなどという事柄とは180度無縁。ここらへん、見事にケンジツ。

サザエさんの波平ばりに、そこんとこ、ケンジツだから(たとえがヘンか?)。


カジノの中にはフードコートなどもあって、そこで気軽にカジノな雰囲気に浸りながら休めるようになっているのである。

そのほか、ヌードルバーみたいなのもあるよ。


このフードコートではもちろん食事もできるけれど、これはちょっと・・・・筆舌に尽くしがたいまずさです!

それでも食べたい人はご自由に・・・。

私達も一度食べてみたんだけど・・・・・ほら・・・アメリカの田舎とかによくある・・・絶望的なマズさ?

ローストビーフ食べて悲しくなった。

何が悲しかったって、牛の命をここまで無駄にしないでくれって、ほんとそういう方向で悲しくなった。

どうしても・・・食べきり難いまずさで(しかも巨大で、どう考えても無駄が多い)、イチミクロンもおいしいと思ってあげられず・・・牛に本当に申し訳なくなった。

もうちょっと大切に思って扱ってよ、ある日生きてたものを殺したなら(ほんとに怒りが涌く)。


さて、そんなんであるから、私たちはここでコーヒーを飲んで、しばしぼーっとするのである。

それが街でネタ切れになった私達の、たまの気分転換。賞味40分くらい。


(言っとくけど、ここはコーヒーだってマズいよ。だけどまぁ、これは場所を楽しむために行ってるんだから、そこは無視。あ、それから、ワインなども飲めますよー)。


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↑ こんな感じで、カジノの中にフードコートエリアが。



メルボルン、たいてい寒い風が吹いているから、寒さしのぎに一服っていう使い方もできます。

カジノの中にはつめたい風入ってこないからね。

意外と、思ったより気楽に過ごせますわよ。


※カジノ内、基本的に写真撮影禁止の様子。私は撮っちゃったけど、このあと注意されました。でも、もう撮っちゃったもんねーっ(いつもの手段)。
2012.06.15 / Top↑
指輪物語のこの記事などにも書いたとおり、フグは本当にロマンチック度マイナス1350度な男である。


そういえば、私が始めてメルボルンに遊びに行ったとき。

それは、まだ「実際に会ったことがあるのは、5日間くらい」というくらいの、関係初期の段階だった。

普段はスカイプでやりとりしていた。

そこに、できたばかりのカノジョ(しかも忙しくて有名な日本人)がわざわざメルボルンくんだりまで会いに来るときた。


どう考えてもフグの立場としては、「ここでイッパツ、思いっきり自分を気に入ってもらって、関係を安定させるチャンスだ」と思ってしかるべき転機のはずである。

しかし、メルボルンに滞在中2週間もいたってあまりにもフツー。盛り上がるなんて、もってのほか。
私、もしかしてもう5年くらいここにいるんだっけ?と思うくらい、普通に扱われた。

かといって、私が嫌いなようでもまったくないのだけれど。
でも、私をぜひ捕まえたいというような意思もなんら示さず。
かといって、まったく遊び人というわけではなく、みたいな。

私としてはどうにも調子がつかめないと言うか、「いったいなんだろう・・・」と素朴に分析しつつ2週間が終わるほどであった。 「この人、いったい何・・・・?」度がすごすぎて。

そのうえ、このメルボルン行きの日程を決めるときに「あ、6月10日以降はちょっと無理。一大事が始まるから、それに集中したい」と言われ、なにかと言えばサッカーワールドカップ。
 
だから実際、私はワールドカップが始まる2日前にメルボルンを経つようなスケジュールにしたという具合。(なんか、振り回されてないか?と思いつつ)。

メルボルンを経つときには、「ワールドカップ中はオレ、うわの空になるし、寝不足になるからスカイプあまりできないから」と言われ、妙に積極的に空港で見送られた(笑)。

私は「そうは言っても、ここで関係をおざなりにしたら、フグの立場としてはよくないだろう。出来たばかりのカノジョがメルボルンに遊びに来て帰ったんだから、ここでその成果を確かなものにするためにも、なんだかんだ言って、スカイプくらいするに違いないさ」と踏んでいた。

しかし、驚いたことに、ワールドカップ中一ヶ月間、本当にろくに連絡が来ず、たまにスカイプしてもうわの空。一度ケンカになったら「だって、前もって宣言してあったじゃん(スカイプできないって)」だと。


かといって、お金持ちってわけでもないのに、私のメルボルン行きチケット代も出してくれたし、滞在中も私には一銭も払わせなかったり、なんということはなしにフツーの顔しながら約束どおりちゃんと2週間も休みをとって、日本に遊びに来たりして。

よく考えると、抑えるところはちゃんと抑えてたりする。


だから私も、「あれ・・・・?えーと、私が考えすぎ?冷静に考えたら意外にまっとう?」とか思って、ケム巻かれながら付き合いつづけ、気づいたらなぜだか結局ケッコンまでしてた(笑)。

でもやはり、この2年は「この人いったい・・・・」とフグ研究しているような2年であった(笑)。


本当によく分からない男なのである。
私の三十余年の人生で培ってきた人間関係マニュアルのどの例にもあてはまらん・・・・・・という感じ。


友達めっさ少ないし、基本的に冷たい感じだし、あっさりしすぎで、「人間味薄すぎ・・・!まさか、実は心病んでるとか?」と本気で思うこともあったり。

例えば、テレビで「誰かがさめざめと泣いている」とか「子を失ったらしい母親が涙を流しながら」とか、「ヨボヨボの老人が遠い目をしてしみじみと何かを語る」みたいな場面が出ると、私の場合「え?なになに?どうしたの?何があったの?」と興味が涌くというか気になって、前のめりになるんだけど

その瞬間に必ず、「けっ!くだらねぇ(Bullshit !)」と言って、フグは勝手にチャンネルを変える・・・。どうもフグは、人間模様全般に興味がないようで、人間ドラマに焦点を充てたりすることをやたら毛嫌いしているフシがある。

あの、誰しもが感動する宮崎駿シリーズ(ナウシカ、ラピュタ、もののけなど)は、「こんなにくだらない映画を見たのは初めてだ」くらいのことを言われ、機嫌まで悪くなられたし

こういうときは、「この人・・・・冷血人間・・・?心の殻、閉じてすぎない?貝?」と思う。


しかし、かと思うと「というわけでもないかなぁ・・・・」と思うこともいろいろあったりで、結局、よくわからない(笑)。


最近、やっと少し慣れてきたかなぁ・・というところである。

分からないなりに、まぁ、だんだんと「こういう人なんだ」と分かるところも出てきたというか。

別に病んでいるわけではなさそうだけど、フグの心のトビラが鋼鉄製なのは、たぶん本当。



でね、なんでこんな記事書いたかというと、

フグ、なぜか夕食後の皿洗ってくれるんだよね。

私が夕食後の皿洗うのは週1回くらいかも。

ほんと、不思議。


別に私が教育したわけでもないし、「皿洗ってくれる夫はすばらしい」みたいな会話もしたことないし。

だけど最初から、頼んだこともないのにフツーの顔してフツーに皿洗ってくれるわけ。


さもないと私が「明日洗おっと」とか言ってサボるからか?

とか、私はいろいろ考えてみてるんだけど、どうも・・・・・・よく分からないんだけれど・・・どうやらやはりあれは妻のために皿を洗ってくれているらしい

勝手に「結婚したら皿洗いはしよう」と自分で決めたらしく。
 
決めたらもう、「アイツ専業主婦のくせに」とかも思わないらしい。

「皿洗い係りは夫」とか決めたこともないので、とにかく勝手に自分で作った基準らしいのだ。



あと、なぜか土日の夕食は基本的には自分が料理するって決めてるらしいフシもある。

料理がけっこう好きというのもあるけれど、どうもパターンを観察して見ていると、あれは「土日は基本、オレが作ろうっと」と決めてるっぽいフシがある。

特に私が「料理めんどくさい」と言ったこととかないし、「土日は家事休みたい」とか言ったこともないんだけど(そもそも、今の私の生活は土日もなにもないしさ)。


だから、私は
 

・実はすっごいレディを大切にする、家庭内騎士道精神あふれてる男?

・もしかして、サムライ?サムライ目指してる?不言実行ってやつ?

実はなんだかんだ言って、すごい妻に優しいとか?


と思ったりするんだけれど、


そう思っている矢先、これまた、ズドーンと落とされるくらい冷たいことされたりとかして・・・・。
この男に心なんかないんだっ!とかいう気分になって、暗い1週間くらい過ごしたりとか。
 
どう公平に考えても、どうにもこうにも私は間違ってなくて、フグがおかしい!というようなことでも、フグは絶対にあやまらず、私が泣こうがおかまいなし。そのまま、私がいないかのように知らんぷりで1週間とか過ごされたりとか。

すると「やっぱ、心病んでる・・・?この人」と思ったり(笑)。


サムライか?、心病んでる?の繰り返しで(笑)、


結局最後は、よくわっかんないなぁ・・・・・・・この人・・
なるんだけど。


ま、珍種であることだけは、確かだね。


どんな辞典にも載っていない珍種の夫


ナゾだけど、皿洗いや料理はほんと、楽できて感謝してますよ。


2012.06.14 / Top↑

------「英語という名の苦労 Q&A編」のつづき-----


しかし、「あとは能動的訓練だ」つったって、いったいどこでそんな訓練できるだろう?

ここでのちゃんとした社会生活、ないのに(そんなんでいいのか・・・?)。

ということで、とうとう、とうとう、とうとう!

私は、フグと英語で会話してみようという試みを開始したのである。


実はこの試み、これまでにも2回くらい試しずみなのだけど、さっさと失敗に終わったという過去がある。

あまりにも心地悪いのだ。

これは、英語が苦手でつっかえつっかえになってしまうから、心地悪いのではない。

ヒンディー語を話さない人には説明しがたいんだけれど、ヒンディー語って驚くほど日本感覚でしゃべれるのだ。

だから仮にヒンディー語から日本語に切り替えるというような試みだったら、たとえものすごくたどたどしくても、心地悪くはないと思う。

例えば、英語しゃべるカップルがドイツ語に切り替えるとか、もうちょっと語群ぐるーぷ的に遠くてもイタリア語やフランス語に切り替えるのだったら、やはりそこまで心地悪くはないのではと思う。

だけど・・・

奇跡的な感覚の似てさの日本語とヒンディー語の感覚から、英語の感覚に切り替えるのって、ああ、なんと説明すればよいのやら。

人格とかキャラ、まるとっかえする感じなのである。

具体的にいうと、

英語でフグにしゃべりかけた途端、自分がものすごく高飛車な女になったように感じる。もうね、超自己中で、他人は他人よ風な女になった感じがしてならない。

私、私、私が、的な。あなたがやりなさいよ、的な。あら、わたし、知らないわよそんなの的な。浅知恵かざしていばってるような女になった気分。



逆にフグに話しかけられても、英語だとなんかすっごい嫌な性格の夫に見える。

おまえに言われたかねーよ!とか、言いたくなる感じ(笑)。

かといって、「Could you ~」みたいな丁寧な表現使われても、今度は慇懃無礼(インギンブレイ)に感じるという始末。


そんなこんなで、フグも同じように感じるらしく、なかなか「英語に切り替える」案は難しくて、それまで築いたお互いの距離感まで変えなければならない感じになるので、スムーズにいかず、頓挫で終わっていた。


だけど、そんなこと言ってられないと思い始めたわけだ。

それとともに、フグとの夫婦関係も、一緒に住み始めたばかりの当初よりはずいぶん安定してきているので、ヘンな気がしても、心地悪くても、この際やるしかないと、ついに思ったわけだ。

夫との会話が心地悪くったって別にいいじゃん(新婚期間の終結:笑)、それより私の人生を救わなきゃ!みたいな感じね。


というのも・・・・

英語の国に住んでいて、しかっも今後もたぶんずっとここで暮らすって分かってまでいるのに、「私、英語しゃべれないんですーぅ」っていつまでも言ってる女がいたら、それってそうとうウザくないですか?

しかも、理由を問うてみたならば、「うちではヒンディー語しゃべってるから」って。

ウザっ。

この女って客観的に描写してみると、最悪なメルボルンの気候よりもイケてない。ウザすぎて、メルボルン中の全員ひくわ。


例えば、うちではフランス語しゃべってるから、っていうようなのとも大差あるよね。単にオサレなイメージから言ってるんじゃないよ。なんというのかね、国の存在感とか、先進国であるとかないとか、そういうのも関係するよね。

そこを、ヒンディー語ときた、この女。

わたし、はっきりいって、「メルボルンで暮らしてて、英語しゃべれないって言ってて、家で例えばスワヒリ語とかモンゴル語だけしゃべってる日本人女」がいたら、凍えるわ。 一目散に逃げるね。


それに気づいて、とうとう私は3週間くらい前から、フグとできるだけ英語でしゃべるようにし始めたのであーる。今度こそ、すぐに頓挫しないと自分に言い聞かせて。


しかし・・・・・・。トホホ・・


つづく


※ヒンディー語はいくら日本感覚でしゃべれるからといっても、言語グループは全然違います。ヒンディー語はなんと、英語やイタリア語やロシア語なんかと同じ印欧語族に属します。でも、けっこう遠い親戚。

じゃぁなぜ、それほど日本感覚でしゃべれるのかといえば、語順がほとんど同じだからだと思います。そして語順が同じだと、いろいろな表現や発想が、驚くほど似る。同じ感覚でしゃべれることになる。語順が同じ、だけではすまされない、いろいろなことが似てくる気がします。

でも学べば、なぜ印欧語族なのかも、なんとなくわかりますよ。動詞の活用とかね、「ああ、これが印欧語族グループに属するアレか・・」というのが。

ちなみにヒンディー語は記事に書いたとおり、日本感覚でしゃべれていいんですが、これまた驚くほど役に立たない言葉です。はっきり言って、しゃべれて損。大損こきまろです。ほんと、我ながら呆れる。これについては、また。




2012.06.12 / Top↑
それはこの間の金曜日。

私は、PCルームでブログを書いたりしていた。

PCルームってのは、うちの2個あるベッドルームのうちの小さいほうの部屋で、そこはある意味、物置部屋。洗濯物もこの部屋で干しているので、しっちゃかめっちゃかな部屋なんだけれど、そこに一応、机を置いているわけ。

だからPCルームと呼んでいるだけであって、その響きから察せられる「書斎」的な雰囲気はなんらないのであるが、私は昼間、この部屋にこもっていることが多い。

と、最初から話が反れているんだけれど、この部屋の窓は東向き。

その窓に向かって座っていたら、クエー!クェェエェェェェ~!という、あの肉食鳥類プテラノドンみたいなすごい鳴き声が聞こえてきたと同時に、窓の外を、クッカトゥーが北方面に向かってたくさん飛んでいった。

ぬぬ!?さては・・・・っ。

私は予感がした。

予感にいざなわれ、すかさずリビングルームに出て、北向きのバルコニーに目をやった。

すると~、

ほらね、予感は正しかったじゃろう。

やつらの影がボンヤリとたくさん、閉じたブラインドのスキマから見え隠れしているではないですか。

あの、ボーリングのピンみたいなシェイプがたくさんっ!


以前も
この記事で書いたけれど、この鳥、ときどき群れで襲来してきて、うちのバルコニーでなぜかくつろいでいく(あ、このブログのトップ画像もその時のものです)。


「あそこで、茶しばこうぜ~」的に使われているらしいうちのバルコニー(笑)。


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こっそりブラインドをめくると・・・。
写っているのは5羽だけど、12-13羽いたと思う。

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クッカートゥー(cockatoo)というオウム。

デカいの、ほんと、デカいの。
写真で、このデカさがいまいち伝わらなくて残念。

そして、前にも書いたけど、白いの。新雪のように白いの。
まったくもって、汚れなし。不思議なほど白い。

クッカートゥーも空気の汚い場所で暮らせば汚れるのかしらー?


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せっかく作ったシェードがトランポリンになってるー。
ぜひとも、壊さないでくれたまえ、キミタチ。

シェード、こんだけで25ドルくらいしたんだから。
あんたたちにかかると、あっという間に穴開きそうだね・・・。

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このクッカートゥー、日本ではキバタン(黄芭旦)っていうらしい。

すると、なんでも金額換算するクセのあるうちの妹が、すかさず調べて、「日本では30-40万円だってよ!」と情報をよこしてきた。

たしかにー!いかにも売られてそう。ペットショップで、すっごい高級な鳥として売られてそう!(ん?このセリフ以前の記事にも書いたか?)

キバタンについては、詳しいこと知りたい人はウィキペディアを参考に。→ クリック


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このひとたちのくちばし、何かをかじる音を聞いているだけで、すごい破壊力があることがわかる。
 
働きも強さも、まさにペンチ。口がペンチのようなもの。

前回も、洗濯ばさみを砕かれ、物干しラックのコーティングを削られたことは、記事に書いたよね。

だから・・・・・やめてくれーーー!!!

左端のオマエ、シェードの部品をかじるの、やめろーーーっ。

その部品はね、わざわざ日本のジョイフルホンダ(日本版Bunnings)から買ってきたやつなんだからっ。


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背景が青空なら、「青・白・黄色」でさぞかし、さわやかな色合いのきれいな写真になることだろうね・・。

しかし、メルボルンときたら、ほんっとーにいつも、天気が悪い(メルボルンの天気については、あと500ページの文句が書ける私)。

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おっと~?
糞もされちまったよ。

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糞をしたあとは、全員でお隣さんのバルコニーに移動(うちはトイレだったのか?)。

お隣さんは、うちと全く同じ間取りでバルコニーも全く同じもの。

だから、うちも外から見ると、こんなだったと思う。

クッカトゥー茶屋。


視界に入ってるだけで、およそ9匹いますな。
ということは、1匹40万円として、これだけで360万円!!!

360万円の景色でございますよ、みなさんっ。


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わらわらわらわら・・・

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というか、上を見あげると、ここにもズラっと。

ここにも9匹。

360+360=720万円なり。


もちろん、写ってない場所にも更なる数がいたので、
少なく見積もっておよそ1千万円分の鳥が襲来ってことだね(笑)。

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黄色いトサカは、広がるとこんなふう。

なかなかカッコいいではないですか。

サイコーにとんがってるヤンキー風だね、昔の。


このクッカートゥー、メルボルン近郊でほんとによく飛んでいる。
ちょっと無理矢理言っちゃうと、スズメ的に普通の鳥。

でも、去年まで住んでいたエリアではさすがに、家には来なかった。

シティからの距離は変わらないんだけどね。

メルボルン、栄えていないウェスト方面は、野生的ですわ。
と改めて実感。




2012.06.12 / Top↑

■■ PHOTO で India ■■-------------------------------------------------------------------


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インドの庶民系の男は、なぜか友達と手をつなぎます。

庶民系の男に限ります。

それなりの経済レベルで、それなりの教育もある、いわゆる「お金持ち」な感じの階層になると、ほとんど見かけませんが、庶民系ではやたら見かける。


ホモではないんですよ。

でも、友達と手をつないで歩いてるし、しかも、ちょっと手をつなぐ程度ではなく、やたらベッタリした雰囲気で手をつないで歩いてます・・・。

暑いのに。クソ暑いのに(気温45度とか)。


それに、こういう庶民系の男の子たち、寝るときもやたらめったらくっつき合って、寝ています。

いたるところで誰かが寝ているインド、人が寝ているところも、あちらこちらで見れるんです。

特にこういう庶民系の男の子。

まず一人暮らしなんてしていないし、ものすごい人数で一部屋に住んでいたりする。
彼らは街中でもいろんなところで昼寝している。

折り重なって・・・。

ほんと、くっつき合って寝てるんですよ。一人がもう一人の背中に覆いかぶさるように、とか。

冬なんて、ひとつの毛布にくるまって、すごい親密さ(笑)。


それとか、じゃれあっているのもよく見かける。

寝そべりながら、手つないだまま、子猫みたいに(?)じゃれ合っている。
なぜ、手つないだまま・・・?


こればっかしは、「男同士で手をつないだり、じゃれあったり、添い寝することについて、どう思っているのか説明してください」とかインタビューしたことないんで(笑)、なぞなまま。

インドくされ縁が始まって10年経っても不思議な領域。

でほら、こうやってカメラ向けても、なんら臆することなく手つないだまま・・・・・。


言っておくけど、ホモじゃないんですよ?

なんというのか、未知の関係(笑)。

私は男の兄弟もいないし分からないんですが、男のみなさん、この感覚、実は少し分かったりとかします??



※右側に積んであるのは、象のフン。


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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。

2012.06.11 / Top↑
■■ PHOTO で India ■■-------------------------------------------------------------------


例えばバチカンにはシスティーナ礼拝堂とかがあって、天井にはすんばらすぃ天地創造の絵画が、これでもかとばかりに壮大に描かれておるわけですな。

ミケランジェロ様が、目の中に絵の具が垂れまくったために視力を弱め、ずっと上向いて描いていたために首の骨が曲がっちゃうなどという苦労を背負いながら描いた、あの天地創造の天井画。

あれには、マイナス100ミクロンも及ばないけど・・・・

イ、イ、インドにもあるよ・・・・・。あるよ・・。 よ・・・。

ヘンな天井画が。 


これは、インドの西ベンガル州のとあるド田舎の、とあるヒンドゥー寺院の天井です。

こういう、へんてこりん、でもけっこう大掛かり、派手のきわみ、みたいな寺院、インド中いたるところにあるので、特にこの天井画が有名だとか、特別だとか、そういうことはまったくありません。
 
テイストは、よくあるインドの寺のもの。

システィーナ礼拝堂の天地創造をはじめとするあの天井画との共通点は、「宗教教義に登場するシーンをドラマ仕立てに絵画で説明」ということのみ。。。


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どうですか、この、やたらめったらさ加減。
眼ん玉から炎吹いてるし。
これ、ヴィシュヌ神のストーリーです。

ヴィシュヌって、いろいろ化身するので、そういった化身としての姿やそのストーリーなどを全部無理やり、絵にしてあります。いわば「ヴィシュヌを分からせてやる画」。
 
(例えば、クリシュナ神はヴィシュヌの8番目の化身で・・、ナラシンハ神は4番目の化身で・・・とか、話のこんがらがりは無限・・・。化身は10番目まであるとか、22番目まであるとか、説もいろいろ。ある説だと、ブッダもヴィシュヌの化身なんだとかかんとか・・・etc)。

つる下がってるシャンデリアで、天井だってことがお分かりいただけるかな。 


 
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全員スゴいですが、左わきに登場してるカモ眉が豪傑な人に一票。 

絵、ヘタだよね・・・・。
左ななめ下の口から火吹いてる人なんて、大食い大会で激辛ラーメンすすってるように見えてくる・・。



 
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このヴィシュヌは涼しい顔して、目から光線?らしきものが・・・。

この額の白い縦線もヴィシュヌ派のもの(シヴァ派はいつでも、横線なのです)。

後ろにいる象は、聖仙(リシ)に挨拶しなかったために象の姿にさせられてしまったとかいう、インドラドゥムナ王。

という風に、んもう、話はとにかくややこしいのですが、いちいち絵の一個一個が一応、何かのストーリーを説明しているわけです。くどいまでに。

例えば、この場合、王冠みたいな(王じゃないから王冠じゃないけれど・・・)のが、鳥のモチーフになっている。というのも、インドの神様にはそれぞれ乗り物になる動物があって、ヴィシュヌの場合は、鳥の王ガルーダが乗り物だから。

でも、ちょっと乗り物描くスペースないから、ここにヒント描いちゃおっと、てな感じでかぶり物にガルーダデザイン入れ込んだとかじゃないでしょうかね。

という風に、そこかしこに「だからこれはヴィシュヌ」っていう絵の説明をくどいほどに入れてあるのが、インドのこういう絵。

ひとつひとつの化身やそれにまつわるエピソードの中に、いろいろなヒンドゥーの教義やありがたい教えがあるわけで、それらをできるだけ絵であらわそうとするから、てんこもり合戦みたいになる。しかも、これも重要あれも重要ってことで全部強調したいからどんどんド派手になる。らしい。

右上に垂れ下がっているのはシャンデリア。



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↑ わかりづらいので、写真の天地をわざと逆にしてあります。生えているように見えるのが、シャンデリア。



 
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ヴィシュヌの手は四本(つくづくクドい:笑)。

4本の手には、お決まりのものを持ってます。
蓮、ホラ貝、棒、回る輪(チャクラム)。「だからヴィシュヌ」。



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↑ ライオンはナラシンハ神。

ナラ=人間 シンハ=ライオン。
頭がライオンで体が人間。ヴィシュヌの4番目化身だとか。

柱が割れてそこから飛び出る、というのがナラシンハのいつもの登場の仕方。
 
イノシシは、ヴィシュヌの化身3番目、ヴァーラハ。海んい飛び込んでキバで大地を持ち上げるとかいう話なんだけど、地球持ち上げてる様子。

おさかなは、化身1番目のマツヤ。亀は化身2番目のクールマ・・・・・。

何度でも言いたくなる・・・クドい!!



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↑ あ、右下にちゃっかりブッダが。


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天井画は、このくらいのデカさ。
システィーナに比べれば、こじんまり。

でも、けっこう大きいか。


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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。



2012.06.10 / Top↑

-------「英語という名の苦労2 逆に困る編」のつづき------


ここで当然ながら、


①「じゃぁ、家では何語でしゃべってんですか?」
という質問が出ると思う(微々たる数の読者から:笑)。


なら言うけど、私、ヒンディー語ペラペラなのである。

ヒンディー語については、またいろいろあり、後日他の記事で書こうと思うけれど、私とフグは普段、ヒンディー語でしゃべっているのであるね。

フグはもちろん外では英語ペラペラだけど。

でも私は英語うまくしゃべれないし、ヒンディー語しゃべれるようになったのはフグに出会う以前だったので、フグとは出会った時から、私にとってしゃべりやすいヒンディー語のほうでしゃべることが定着してしまったのである。

出会った時にがんばって英語でしゃべる習慣にしておいていれば、いまごろ、私も英語をもっとしゃべれるようになっていたであろうな・・・(遠い目)。

ちなみに余談だけれど、ヒンディー語はフグの母語ではない。フグはヒンディー語も普通にしゃべるけれど、出身はインドのベンガル語圏なので、母語はベンガル語なのである。

別々の国からやってきた外国人2人が、その国の言語でもなければそれぞれの母語でもない言葉をしゃべって生きているわけだ。グローバル化とやらのせいで(?)世の中こんがらがったもんだな、と思わずにはいられない。


さて、次の質問が出ると思う。



② 何かの記事で、翻訳やってたって書いてませんでしたっけ?


ええ、やってましたさ。
英語→日本語翻訳ね(日→英は、百回生まれ変わったって無理)。

インド関連ニュースの翻訳と、天然ガス・石油関連ニュースの翻訳を少々。

インド時代、ほそぼそとやっていたライターの仕事だけじゃ、とても食っていけなかったので、無理やり翻訳の仕事を開拓していったのである。

だけど、翻訳ってある意味、技術。 
 
まずニュース的言い回し、ってのがある。

だから読解も、それを日本語化するのも、ニュース的独特のものがあるわけで、その習得はある意味、技術なのだ。

もちろん基本的読解力は必要だけれど、とにかくそれって、会話能力と驚くほど何も関係がない。


私は、ライター仕事のおかげで、日本語作文能力は少しはあった。
ニュース的言い回しを習得するにしても、そういうのはけっこう得意だった。

それから翻訳というのは、単なる文法的読解力だけではカバーしきれないことがある。

「そこらへんの事情に詳しい」、という前知識が必要になってくる。

インド関連ニュース翻訳にしても、インドのいろんなことを少しでも前知識として知っていて、やっと翻訳ができるのだ。私は「詳しい」とか言えるようなものは何もないけれど、でも、他の人に比べれば、インド関連のものごとの把握力があった。

インド関連ニュースはビジネス系のニュースが大半だったけれど、私はビジネス関連事項に関しては恐るべきシロウト。だから、そういうところはもちろん、詳しい仲間に確認したりしながら、だんだん覚えた。

こんな感じで、「翻訳がある程度できるようになる」には、英語力とは全然関係ない訓練のほうがよほど多い。

実際の作業も、英語力がどうのというあたりとは無関係なものごとが大半を占める。何しろニュースだから、情報が正確でなければ意味がない。だから、政府系HPとか企業の公式プレスリリースをひたすら訪ねて情報のウラをとる、ということに大半の時間をつぶすだけ。

翻訳にはものすごい時間がかかるし、天然ガス・石油ニュースの翻訳をやっていた一年なんて、赤修正だらけの一年で、知恵熱出しそうになりながらこなした。で、かかる時間に見合わなすぎて、やめた。

翻訳の仕事をしていて、かかる時間や苦労に見合った報酬が得られる人って、英語がネイティヴ級の人くらいだと思う。ウラをとったり、調べ物をしたりという英語能力とは関係のない部分の作業にけっこう時間をとられるからこそ、英語でつまづいている時間はないのだ。

私は、英語読解にもさらなる時間がかかっていたため、時給換算すると、まるでもとがとれない結果となってすっかり疲れた。

結局、翻訳の日々から英語関連で得たものは、語彙力くらいである。
オマケ程度に得ただけ。


へんに難しくって、「日常会話ではおよそ使わない語彙」ばかり、増えただけであった。
 
日本語を真面目にオベンキョーしたために、「アゴに米粒ついてるよ」というセリフを「あなたの下顎(カガク)には、朝食を食べた折に付着した米が一粒ついています」とか言っちゃう外人の「下顎」みたいな単語が増えてどうする?

翻訳することと、英語でペラペラスラスラとコミュニケーションができることは、想像以上に関係がないのである。

だから私は、日常会話の英語力となると「当たり前レベル」と言われるくらい基本的な言い回しすら、まじ、知らないのである。いや、ほんと。
 
getとか takeとか makeとか、それを使っていろんな表現をするでしょ?日常会話って。そのあたりなんて、もっとも苦手。
 
含まれてる単語は全部知っていても、とっさに言われて何がいいたいのか分からないことばかり。
逆に紛らわしゃー!といつも思う。

つまり、典型的な日本人なのだね、わたし。

I can read, but I can't speak. 
パ、Pardon?・・・・(聞き取れないので、うすら笑い)みたいな。


とっさに言われて何がいいたいのか分からないなんて、まだマシ。

だいたい、聞き取れないことがほとんどなんだから。



とまぁ、こんな感じなのだが、

こと、この「聞き取り能力の伸びなさ」については、わたし、本当にびっくりしている程。

英語って、日本人の耳には聞き取るのが難しい言葉だと思うんだけど、それにしても・・・・・、毎日こんなにニュース見てるのに(映像で内容判断:笑)、なぜこうも、聞き取り能力の進歩が感じられないんだろう?

週2ペースでDVDで映画見てるのに(耳が悪い人用の英語字幕つきで・・・)、聞き取り能力ときたら凍結状態


ま、薄々分かっているんだけど。
私、一応、ヒンディー語習得した者。
だから、語学で「ここから先」に行くのに何が必要か、体験的にわかる。

英語に比べて、ヒンディー語はほんっとーーーーに、簡単だったけどね!!!

あとは、能動的訓練なのだ。

聞いているだけ(受動的)の訓練では、どれだけ聞いても、もう伸びないのだと私はなんとなく知っている。

自分からしゃべる訓練をして、やっと、あら不思議、聞き取り訓練していなくとも同時に聞き取れるようになるものなのだ。


英語しゃべらずとも生活できるとはいえ、それではヤバいと思うのなら、そろそろ、しゃべる訓練をしないといけないのだな・・・・というところに来てしまった。


つづく


2012.06.09 / Top↑
■■ PHOTO で India ■■-------------------------------------------------------------------


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あらやだ、んまー、かわいい写真が撮れちゃったこと。

インド、路地探索すると、やたら動物に出会うんですが(というか、大通りでも出会うけど)、

仔牛ちゃんなんかに出会うと、さっき私からボッタくったみやげ物屋のおっさんのことも許してあげちゃう気になりますね(なんじゃそりゃ)。


そして、犬。

犬ファンとしては、犬見かけると撮らざるをえない。

素通りするなんて、むり。

インドの犬、だいたい無愛想なんですが、私は勝手に「オロロロロー、こっち見てー」とかいってカシャッ。

それでも見てねぇ、っていうこの犬のやろう。かわいいな!こいつめっ。

その耳の角度とかのかわいさに、私、勝手にやられるよ。


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仔牛ちゃん、アンタだけはインドに生まれてよかったよ、たぶん。

オーストラリアとかに生まれたら、食べられちゃって終わりだから。

インドは牛、大切にされるもんね。

太るほどは食べれないけれど、みんなが残飯くれて、飢えることもなし。


こっちでビーフステーキなど食べるとき、インドで出会ったたくさんの牛のつぶらな瞳を思い出し、ちょっとチクっと胸が痛むわたしです。



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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。


2012.06.08 / Top↑
■■ PHOTO で India ■■-------------------------------------------------------------------


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<ラジャスターン州、2006>


インドって、現在、高度経済成長時代っていうことになっていて、たしかにデリーなどを見ていると、変わる変わるどんどん変っていっています。少なくとも、表面上。

でも、あれだけ広くてこんがらがった国ですから、そう簡単に変化が末端に浸透するわけではない。

デリーから出てほんのちょっと行くと、あっとう間に、まだこの写真のような光景が普通に繰り広がっていたりします。

それでも細かいところを見ればいろいろ変っているんですが、こういうおっちゃんたちも、普通にいたり。
 
「背景にはピッカピカのショッピングモール、目の前には、こういうおっちゃんと牛」みたいな光景も、最近のインドではよく出会います。


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<ラジャスターン州、2006>


でも・・・・・若い人は、特に男はもう、みーんな洋服です。

女性は田舎へ行くと、若くてもサリーなど着てる場合が多いんですが、男は洋服化へ一直線。

だから、このおっちゃんの世代が最後なんじゃないですかねぇ・・・。こういう出で立ちは。


と思うと、旅行者としてはさびしい。とてもさびしい。

だから、つい写真とってしまいますね。消え行く光景を撮っておこうと。


デリーの西方面には砂漠地帯のラジャスターン州が広がっています。
この写真は、けっこう有名な観光地でもある州都ジャイプルで撮りました。

おっちゃんたち、正真正銘のラジャスターニー(ラジャスターン人)です。
生粋ラジャスターニー。


このターバンは、「外国にたっくさんいるターバン巻いたインド人=スィク教徒」のターバンとは別物ですよ。これは砂漠地帯の男のターバン。ラジャスターン州、グジャラート州あたりの男のもの。彼らは普通ヒンドゥー教徒です。


外国で見かけるインド人のターバンはスィク教徒のもの。(見慣れてくると、区別がつきます)。

このラジャスターニー・ターバンのまま外国にいるインド人はまずいません(なにかの余興以外)。

だから、「うちの国にもターバン巻いたインド人いっぱい見かけますよー」というのは、全部スィク教徒です。
「じゃがいもとスィク教徒は、世界中どこでも見かける」と言われてます。

生粋ラジャスターニーの男はたいてい、「ターバン、ひげ、ピアス」三拍子そろってます。


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※このコーナーは、当ブログの番外コーナーです。
インド時代の写真を地味に紹介していています。
当時のブログや仕事で紹介した写真もたまに出てきますが、あしからず。


2012.06.07 / Top↑
たまにはメルボルンに関連した話しでも・・・・。

私、
この記事で最初に書いたとおり、オーストラリアだけは本当に思いをはせたことがなかった。 
 
まさか、住むことになるなんて、思っていなかった×100。


でも、思い返せば、こんな本読んだことあったっけねぇ。


「恐るべき空白」アラン・ムーアヘッド( ハヤカワ文庫)

coopers creek


私は探検、冒険、山岳、遭難、漂流の実話ものの本を読むのが昔から好きで、エベレストやら、マッキンリーやら、アコンガグアやらの山岳系ものや、南極探検隊ものやらを、20代の頃にかなり読みあさっていた。

そういうと、悲惨な話ばっか?と思われるだろうけれど、そういうわけでもなく、トール・ヘイエルダールの「コンティキ号漂流記」なんかもワクワク読んだね。あの本は、面白かったなー。


そして、そのうちの一冊がこの「恐るべき空白」っていう本。(これは、ちょっと悲惨系かも・・)


といっても読んだのはたぶん12年くらい前で、本の題名なんかウロ覚えだったので、最近この本のことを思い出して、いろいろググってやっと題名がわかったのだけど。

なぜ最近、この本を思い出したかというと「あれ、オーストラリアの話だったなぁ」と思い出したから。



でも、題名は忘れていたとはいえ、この本はけっこう印象に残っていた本だった。

話の詳細はすべて忘れていたけれど、印象が比較的強く残っていた本だった。

なにやら「やたらめったら乾いた大地で、男がひどい目に見舞われながら悲惨な旅をつづけ、あげくの果てに、ひどく孤独な野たれ死にをしたんだったなぁ・・・」という風に漠然と覚えていた。 

そして、「とにかくすっごい酷な土地なんだよね」って印象が焼きついていた。

で、しかもその死が「あともうちょっとだったのに・・・!」という悲劇だったことも漠然と覚えていた。「てぇへんだったんだね、アンタ。そのあげくに死んじゃって、ほんとご苦労じゃった」というような印象が残っていた。
 
もちろん、実話ですよ。


何がどう悲惨で、どのようにあともうちょっとだったかについては、一応、この本を読みたい人へのネタバレ防止として書かないけれど。


で、思い出したからには、オーストラリアに縁が出来てしまったついでに再読しようと、この間の帰国時にまた買ったのである。この本。

そして、読み返した。


漠然と残っていた印象のとおり、面白かったですよ。

オーストラリア開拓時代の実話だから、オーストラリアに縁がある人は読むと面白いと思う。

大変だったんだなぁ、という開拓時代の苦労も伝わるし(そりゃ、土地を追われたアボリジニー側だって大変だったんだろうけれど)。

オーストラリアの乾ききったスーパー酷な自然のことが、よくわかる。

バークとウィルスって男の話です(Robert O'Hara Burk, William John Wills)。


あと面白いのは、当時(19世紀中ごろ)のメルボルンの様子がよく分かること。

男たちは、メルボルンを起点にして大陸縦断の探検に出かけるので、当時のメルボルンが出てくるのだ。

これは、メルボルンに関係のない人にとってはちょっと退屈な部分なのかもしれないけれど、メルボルン在住者としては面白かった。

当時、いかにメルボルンが荒れていて、ゴールドラッシュのさなか、いかに街のモラルがめちゃくちゃだったか、などが分かる。たった150-160年前のメルボルン、そんなことだったのか?と。

あとは、いまや増えすぎて問題になっているラクダだけど、これも西洋人が殖民とともに持ち込んだものなんだよね。

当時、オーストラリアにいなかったラクダが登場して人々の注目を浴びるシーンなどもあって、「ラクダ、ほんの150年の間に増えまくったんだね・・・・」ってことも分かったり。


とにかく、内容についてはあまり書かないことにしますが、オーストラリアに縁のなかった時代に読んでも印象に残っていたなかなかいい本。ヒマな人にはオススメです。文庫で出ているし。


※原題は「Cooper's Creek」だけれど、「恐るべき空白」という邦題、とても言い得ている。読めば、この邦題のうまさがわかると思う。


  ↓ 裏表紙説明

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2012.06.07 / Top↑

----「英語という名の苦労1 トミオ編」のつづき----


大学を卒業した頃から、十余年、「ああ、英語ができればなぁ」と思ったことは、100回以上ある。

つくづく真剣に思ったことさえ、5回以上はある。何かの大きな転機のとき(転職などなど)とか。 



「英語さえできれば、どれだけ人生スムーズに行くだろう」って思う瞬間、あれですよ、あれ。このグローバルな現代、人生の節々でこの瞬間が訪れる回数が本当に多い。 
 

例えば、英語さえできればなんつーことはない仕事でも、派遣の時給の差ってすごい。この例だけをとっても、「なんでこれまでに英語をできるようにしておかなかったんだろう・・・」と、3日間くらいズーンとした経験が何度もある。


しかし結局私は、そう思いつつ、何もしないままここまで来てしまった。

「マルタ島とかフィジーとかの英会話学校にちょっと留学!」(←けっこう有名ですよね)などをはじめとする「ここでイッパツ英語をモノに!」という機会になんとなーく横目で興味持ちつつ、行動まで行かず・・・・なんか金もないし・・・・みたいな感じできてしまった。
 
インドに行ってたしね・・・。

英語をできるようにしないままズルズル生きてきてしまったのであーる。


そこへ突然、キ~ッっと、我が人生が「国際結婚をし、相手の国に移住」という急カーブをきったのであった。
 
「あー、もうインドもインド人男もイヤ。日本で落ち着こうっと!」と思ってインドから東京に戻ったハズだったのに、それどころか、

「英語圏にたぶん永遠に移住」という晴天のヘキレキが我が人生に降りかかったわけだ。

けっこうへんな軌道を描いてきた我が人生だけど、この展開はほんとうに予想してなかった。
盲点を突かれた感じ。


「英語さえできれば」問題が、ついに私の人生で、本格化&深刻化してしまったのであるからして。


私に向かって、もう一人の自分が「それ見ろ、ほれ見ろ、あーあ、言わんこっちゃない。英語、どこかで一念発起、やっときゃよかったのにねー」と、親指を鼻の穴に突っ込み、手のひらヒラヒラさせながら言う。


で、メルボルンなんかに来てから、もう1年半が経とうとしているわけだけれど、

いやいやまったく、この一年で上達した英語、ゼロですわ。

だって、しゃべる機会もないんだもんね!


わりとよく聞くフレーズ⇒「だって、英語しゃべれなくても、生活できちゃうんだもん。だから、在住3年経とうが、しゃべれるようにならないままだよ」。

駐在妻とかがよく言うセリフだと思うけど、私もまさにこれ。

英語いっさいしゃべらずとも生活できちゃっているので、しゃべれるようにまったくならないのである。
ほんと、困った。 


駐妻は、いずれ日本に帰るのだからいいのだ、生活できちゃえばそれで。

だけど、ずっとここで生きていくんだよ、私。これでいいわけないと思う。

言葉ができなくても生活できちゃう状況が、逆に困る

その土地の言葉がしゃべれなくちゃ生きていけないほうが結果的にはかえって困らないとすら思ったり・・。

困らないと語学は伸びない。
「困るは、語学上達の母」だよね?


わたし、ほんとうに、英語いっさいしゃべらずに生きているのだ。

このままではヤバい。

「やっぱ英語圏にいるからって、息吸ってるだけでしゃべれるようにはならんわなー・・・」と思いつつ1年半を過ごし、とうとう私は、ほんとうにヤバいのではないだろうか?と最近思うようになった。



つづく
2012.06.06 / Top↑
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