国際結婚により、これまでダントツ興味のなかった国オーストラリアのメルボルンにやってきて人生ごと座礁中。

こんぬづは、みなさん。

無味無臭なメルボルンにやってきて、人生が五里霧中なパナッタレです。

インド単身在住4年の日々を終え、無事に日本に帰還して落ち着いた人生を歩もうとしていたのですが・・・、おっとどっこい、その後にうっかり出会った現夫の住むオーストラリアのメルボルンに移住することになってしまいました。

やっと2012年7月、配偶者ビザが下りました。早くPRが欲しいです。


番外編としてインド時代の写真をたまにランダムに紹介しています。

ブログを通じた出会いを楽しみにしていますっ。

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----*-----*----- ※インド時代にせっせと書いていたブログもオンライン空間のどこかに放置してあります。また、メルボルンに来た去年にもブログを立ち上げたんですが挫折したあげく、IDもパスワードも忘れてしまったまま放置・・。何が言いたいのかというと、「似た内容、どっかで読んだな。。」と思ったら、それ、たぶん私のインド時代ブログか、挫折したメルボルンブログです・・・・。あしからず~。

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今の世の中、国際化はすすむばかり。

そうなると、ちょっと具合が悪くなるものに、名前があるよね。

自分の国では、なんということはない名前でも、ある国ではすっごいヘンな響きに聞こえるとか、ズバリへんなものを表す単語だったりする。

インドでも、無視せずにスルーするにはあまりにもな名前があった。

その筆頭が、チンタマニ


チ、チンタマニって・・・。チンタマニって・・・チンタマニって・・・。

チーンチーンチーン・・・・タマータマータマー・・・・
(頭の中でエコー)。


日本に持ってきたら、すごい響きだ。
あのエリアに収まっているモノ、両方ともを絶妙に組み込んでる。

国際化って危険だっ・・・(笑)。


最初にこの名前を見かけてしまったのは、なんとスナック菓子の袋であった(まずそう!)。

chinta.jpg

↑日本のカルビーとか、せんべいのカメヤの感じで、チンタマニ。
子供が無邪気に笑っている絵がまたオツ。



チンタマニはインド人の苗字にも、下の名前にもあるらしい。

実際、インド人によくある下の名前、たとえば日本の「ヒロシ」にあたるような名前とチンタマニ姓でググってみると、たくさん出てくる。

つまり、苗字にあるということは、ヘタすればチンタマニさんと日本人の誰かが国際結婚しちゃうことだって、ありえるのである。

チンタマニ・ユミコさんとか、チンタマニ・ヒロミさんとか、もしかしたら既にいらっしゃるだろうか?ほら、国際化はすすむばかりだし・・。。

もしくは不幸中の幸い的に、チンタマニが国際結婚相手の苗字ではなく名前のほうであったとしても・・、

「この度、結婚いたしました。あ、こちらが夫のチンタマニです」とか知人に挨拶周りなどするのはあんまりだ。それとか、ユミコやヒロミさんのお父さんが、「チンタマニくん、どうだね、最近は」とか会話しながら晩酌をしているところなど、つい想像してしまう・・・。

もしくは、デパートや催し物会場などの迷子のアナウンスで呼び出してもらう、といういたずらをしてみたくなる衝動にかられる。「チンタマニ・ユミコさん、チンタマニ・ユミコさん、お連れ様がお待ちです。1階エスカレーター付近の案内カウンターまでお越しください」。



ちょっと調べたところ、チンタマニというのはもともとは、ヒンドゥー教や仏教でありあたがられる、ある宝石の名前らしい・・。日本語では、如意宝珠というらしいです。

「婚約指輪は20カラットのチンタマニさ」とか自慢げに言われてプロポーズとかされたらどうする?

いやー・・・どうしてもこの響きから連想してしまう「宝」は宝石ではなくて、田舎の観光地(熱海とか箱根あたりが有力)とかに忽然とある「秘宝館」(知ってますよねぇ?みなさん)の方だよね。



それから、インドには「チンマヤ」という名前もある。これも、苗字にも名前にもあるらしい。

チンマヤ。これもそうとう、どうかと思う響きだ。

場合によっては、ちょっと愛嬌がある(?)「チンタマニ」よりも下品な感じすらする。

なんというのか・・・、チンマ屋みたいな響きにも聞こえるし・・。

チンマって何なのかはわからないけど、「うちではチンマを売ってます」とか言われたら、それは隠れてコソコソと買わねばならないもののような気がする。


それと、インドでは女の子の名前で、「スマン」というのがある。

これまた、どうにも。

(なんか記事の方向がどんどんヘンなほうに・・)。

たぶん、インドには「スマン・チンタマニさん」とかいう名前の女の子、実際いるんだろうね。

このひとは、日本に来たりしないほうがいいと思う:笑。

おっさんたちに会えばニヤニヤされ、女性に会ってもつい吹き出されたりとかし、子供に会ったら大爆笑されるに違いない。美人だったら、おっさんたちは更にニヤニヤするだろうし、逆にものすごいアバタのブスだったら、なにやら得も言われぬヘンな存在感をかもし出すに違いない。


最後に。

うちの実家近辺(そんなに近くもないけれど)に、「珍宝楼」という中華料理屋がある。

チンポウロウ。チンポーロー。

この店に入ったことはないんだけれど、通りかかるとどうしても看板を見てしまう私。そして、まさか日本人がオーナーじゃないよね、どう考えても、この響きをヘンに感じない人=外人?(たぶん中国人)経営の店だよね・・?と思う。中国語でなんと読むのか知らないけれど、そうだとしたら、誰か教えてやってくれよ、「響きがちょっと・・あれなんです」って。


さらに言うと、この「珍宝楼」という看板を見ると、「宝」という字ズラが右脳に作用するからか、チンを宝として拝んでいる、というような感じが連想されてならなくて、(え?わたしだけ。またまた、やぁねぇ、おくさんだって、本当はそう思ってらっしゃるくせにー)、やはり、熱海などにありそうな秘宝館を連想してしまう。


あー、名前についての記事だたはずが、どちらかというとチンについての記事になってしまったよ。
いやだねぇ~。コラ!
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2012.04.29 / Top↑
ツクッテマッテル

今回の一時帰国の時、この言葉を何度も耳にした。

日本では、なんの深い考えもなく発せられているこの言葉。しかし、私はこの言葉に妙に違和感を覚え始め、もしかしてこれって、なんかすごい言葉じゃないの?と思うようになった。

ツクッテマッテル。

作って、待ってる んですよ?(日本人なら全員、この言葉の主語や目的語は自動的にわかるはず)。

(妻は)(夕食を) 作って 待ってる


なぜ、私が違和感を覚えはじめたかというと、それは、私が夕食を作って待ってなんかいないからである:笑。

そして、なぜ今回、日本で妙にこの言葉をよく聞いたかというと、それはたぶん、私がついに「結婚」をしたからであろう。

しかも、現在、専業主婦という座(だってビザもとれてないし)に座っているからであろうな。

パナッタレさんもついに結婚をし、しかも専業主婦ときた。

そうすると、会う女会う女が、みんな「じゃぁ、パナッタレちゃん、夕食作って待ってるの?」とか、ものすごく
当たり前のような感じで、いとも簡単にこの、ツクッテマッテルを言うのである。

「あら、じゃぁ、夕食作って待ってるのね~」と、最初から決めつける人もいるし(その人の発想の中では、かくもそれが当たり前らしく)。


私にだって、分かってはいる。
みんなだって、このツクッテマッテルを「夕食作って、そして待っている」という文字通りの意味で言ってなんかいないことを。

ツクッテマッテルは、「夫が帰る前に夕食を作って、夫が帰ったらすぐに食べられる状態にしておく」感じの事態に対して、自動的に言うことになっている単なるフレーズで、本当に「待って」(そういう人もいなくはないだろうけれど)なんかいないことくらい。


しかしながらだ。

そうは分かっていても、自分が「作って待って」いないのに、いざこの言葉を言われるようになって、逆にこの言葉を文字通りの意味を考えてしまうようになったのである。


だって、フグが帰宅するまでに夕食を作って待ってなんかないんだから、「いや、作ってないし、待ってないないです」って思っちゃうでしょ。

すると自動的に、「この、マッテル」って何?すごくない?「女たるもの、結婚したら家庭に入り、夫が帰る前に夕食を作って、夫が帰ったらすぐに食べられる状態にしておくべき」的時代の香りがプンプンするわ、っていう思いにいざなわれるわけ。


考えたんだけど、「夫の三歩後ろとかを歩いたりなんかしなくなった現代」になっても、このツクッテマッテル・フレーズがすたれないのは、こういうことだと思う。

日本では、夫の帰りが遅いのが普通だ。
20時なんてかなり早い、21時もけっこう普通。あら、22時や23時だってけっこう普通よ。って感じではなかろーか、日本の夫って。終電までに帰ってきさえすれば恩の字よ、的な繁忙期だって、けっこう定期的にやってくる感じだろうし。

だから、「夫が帰る前に夕食を作って、夫が帰ったらすぐに食べられる状態にしておく」ことが主婦の仕事たるべきだのなんだの、っていう以前に、どう考えても、夫が帰る前には夕食はだいたい出来上がってしまう事態だ。さもなければ、家事が深夜にまで及んでしまう。

だから、「別にツクッテ、そして、まさかマッテとかいうわけではないけれど、まぁ、夫が帰ってくるまでには夕食は出来ているわよ」ってことで、このフレーズはそのまま使われているのだろう。しかし、「女は家庭に入る」時代には、もしかしたら、家庭に入った妻たちは本当に、ポッカリ空いたヒマな時間として「待って」いたのかもしれない・・・。

少なくとも彼女たちの頭には「妻たるもの、夫が帰る前に夕食を作って、夫が帰ったらすぐに食べられる状態にしておく」べきというのが、社会からインストールされていたんだろうな。


だってね、わたし、日本に帰るとみんなが「ツクッテマッテル」って言うんです、って書いたけど、やっぱり世代間でけっこう差があるの。

私の友達は、どちらかというと「じゃ、もしかしてツクッテマッテルとか、してるの~?」みたいな、冷やかし系で言ってくる人が多い。ツクッテマッテルというフレーズの毒にちゃんと気づいている。だから「専業主婦だなんて、そんな時間あったら、夕食ツクッテマッチャいかねないねー」という感じで言ったり。

ところが、世代が離れていくに連れて、いとも自然に「ツクッテマッテル」を使う人が多くなる。

そこにはやはり、「専業主婦なら、夫が帰宅するまえに夕食作るなんて、当たり前すぎて疑問にも思ったことない」的なある意味の無邪気さがあって、私はなんだかちょっと、引いてしまう。

まして、私より20才位以上も年上の世代だと、つっかかってくるくらいなんだもん。「え?作ってないの?じゃぁ、ご主人どうするの?」「じゃぁ、その間なにしてるの?」とか。(ちょっと何やってんのパナッタレちゃん、みたいなニュアンスで)。

知らんわ。

ちなみに、私が夕食を作って待ってなんかいないのは、単に、フグの帰宅がものすごく早い(日本ものさしで言うと)からであーる。

フグは毎日きっかり、きっかり、きーーーっかり、17時にオフィスを出る。家につくのは18時ちょっと前。
この1年で5回くらい「ちょっと遅くなるかも」と電話があったけれど、いずれも遅くなった時間は1時間弱であった・・・・。オーストラリアのサラリーマンって、こんな感じである。

しかも、フグは「夕食は20時半くらい」と決めている(インド人は寝る直前くらいに夕食を食べる。だから、これでも早いくらいらしい・・)。たまに19時などに夕食の用意が出来てしまうと、「まだ早い」とか言われるくらいだ。

私が、夕食を「作って待って」いるわけがないことが、おわかりいただるでしょ?

「夫が帰ったらすぐに食べられる状態にしておくべき」のような考えは私の世代にはすでにほとんどないし、逆に「夫が帰る前に妻が夕食を作るとかいうのに対する反抗意識だって、特にないくらいだ。

フグの帰りが遅ければ作っておくだろうし、でも自分が忙しければわざわざ作っておかないかもしれないし、今はフグの帰りがすごく早いんで作って待ってなどいませんけど、まぁ、その時その時に合わせてやっていけばいいんじゃないでしょうかね。

と、こんな感じである。


昔の頭のままのおばさんたちに「え?作ってないの?じゃぁ、ご主人どうするの?」などと、「それって、ダメじゃない?」という感じのニュアンスで言われるから、彼女たちに向かって「知らんわ!」と言いたくなるだけであって、私が夕食作って待ってない理由にはなんら他意はないんである。

ま、でも、とにかく、ツクッテマッテルっていう何気ない言葉には、いつぞの時代の日本の夫婦の関係性が垣間見られますよね。



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オマケ写真(インド料理はフグ担当。魚をブツ切り中)
sakana.jpg
2012.04.26 / Top↑
みなさま。

みなさまは、南極と北極とシロクマとペンギンの関係について、明確に知っておられるでしょうか?

わたくし、つい先日まで、存じ上げておりませんでした。

というか、ぜんっぜん、ここらへんの知識、あやふやだった。
今まで、きちんと考えたこともなかったというか!

ペンギンって、南半球だけにいる動物(というか鳥)だったって、知ってた?
北極などにはいないんだってよ!
このあいだ、水族館のペンギンコーナーに、子供向け風の説明が書かれていたの。                               

「ペンギンは南半球にだけ生息しているんだよ」みたいにフレンドリーに書かれていて。
その隣の「生息域マップ」みたいなものにも、たしかに南半球にしか色が塗られていなくて。

で、わたし、それ見たとき「えぇ!?」って思ってしまったのですよ。
こっそり、ちょっとド肝を抜かれた。

といっても、全く知らなかったわけでもない気がするところが、またなんとも言えない。
「知ってたのか!?知らなかったのか!?」とか問われたらとても困るような、「うすら知り」。
そう言われると知っていた気もするんだけど、知らなかったとも言えるような。
それで、すごい剣幕で問いただされた私は、うっかり「知ってました」とかいう供述をし、有罪になったりしそうな(なんじゃそりゃ)。

いや、話がへんな妄想方向にいってしまった。。。スマン。

つまり、私、ペンギンは「すごい寒いあたり=地球の極付近にいる鳥」という感じでボンヤリ認識していたのであーる。たぶん。

動物の件に関しては、北極と南極の区別をあまりしていなかったのかも。南半球とか、南極だけ、とかしっかり考えたことなかった。「なんとなく」の認識だった。

「北極にはいなくて、南極だけなんだよ」ってハッキリ言われたら、「あー、そうだよね」と、「南半球だけ」という点を知っていた気もするんだけど、でも、「え?そうだっけ・・・?あれ・・・?なんか北極とかグリーンランドあたりにいなかったんだっけ・・?何かで見たような・・・」というようなおぼろげな記憶も甦る気がしなくもない。

あー、記憶ってあいまいなんだね。
オソロシイ。ペンギンは北半球にいない(動物園以外)ということをはっきりと知った今、では、あのおぼろげな「何かで北極などにもいるのを見たような気がする」という記憶らしきものは、いったい何?私の脳みそのねつ造ですかい?

で、この「何かで見たような気がする」で、私の頭の中に登場する映像なのだけど、それはなんと「ペンギンとシロクマ」なのである。

みなさん。
すごく寒いあたりの(南極や北極や、エスキモーのいるような土地など)ドキュメンタリー映像なんかでは、シロクマとペンギンがしょっちゅう同時に登場している気がしませんか?この2つ、「なにかとセット」っていう気すらしませんかね?

それが・・・・、なんと!みんなよく聞け

この2つ、一緒に登場するなんてありえないときたわけさ、アンタ!

だってね、シロクマって北半球にしかいないんだってよ!!

つまり、おふたかたのあの「セット感」、完全にマボロシってなわけ。
もうね、自分にたいする自信が思い切り揺らいだ、っていう事態。


ほら、一面真っ白な極寒の地で流氷とかが流れているような感じの海から、ひょっこりトドとかシャチが顔出したりするような場面満載なテレビ番組ですよ。あれに、シロクマとペンギンが同時に出ることなんて、ありえないんだってよ!

えぇーーーー・・・!?
この「シロクマ北半球限定の事実」はまさに、ペンギンが南半球限定のアニマルだったことをはっきり知ったときとまったく同じな盲点だった。

またもや私の脳内は、大混乱。

「はい、シロクマは北極あたりにしかいませんよね、そのとおりです・・・」
「ん?あれ?・・・・南極にもいなかったっけか・・・?」
「南極物語で、タロとジロが、シロクマと出くわしたりしていあかったか・・・・?」(すごくそんな気がする)
「でも、確かにシロクマってホッキョクグマとも言うな。いや、しかし英語ではPolar Bearで、特にどちらの極に限定してないし・・」
「というか、シロクマが出る映像って実際、背景にペンギンがよくいるよね・・・?(え?うそ?マボロシ!?)」

と、ひとりごとをつぶやきつつ、どうにもこうにも、シロクマとペンギンが一緒に登場するイメージが湧いて湧いて。

もしこれが誰かとのケンカだったら、証拠もないくせに「そういう映像、” 絶対” 見たことあるんで!」とかまで言いそうなくらい。
それくらい、私の頭の中のシロクマとペンギンのセット感は強い。


記憶とかって、ほんとに頼りにならないんだなーと、怖くなった。
思い込みというのは、どんなに本人が本気で思い込んでいても、本当に間違っている可能性がおおいにあるのでしょうね。

なんかわたし、ここで漠然といきなり反省。
拙者、これまで、いろいろと思い込んでた結果、なにかとご迷惑おかけしました。かたじけない。
あー、昔だったら切腹だ。(んなわけないだろう。すまん、また意味のない妄想してしまい・・・)


老人ホームのじぃさんなどが、若いころのありもしない「手柄」をドラマ仕立てにして周囲に語り、ホラ吹きと言われたりすることってよくあるらしいけれど、きっと本人は本当にホラ吹いてるつもりはないのかもねぇ。

若いころから何度も何度も何度も回想を繰り返す作業に付随してそこに妄想が徐々に徐々に練りこまれていって、それできっと、実際と妄想の区別が頭ん中の映像上でつかなくなるのであろうな。

こわー。わたし、自分で自分が信じられなくなりそー。


というか、

ペンギンとシロクマ、あんたたち、本当はどっちの極にも棲んでいるじゃろう?。白状せんか、コラァ!
(そして、机をひっくり返す剣幕で問いただされたペンギンとシロクマはつい「はい、どっちにも棲んでいます」と、間違った供述をしてしまうのであった。私の脳内で。)


2012.04.21 / Top↑
 「航空運賃の奴隷 前編」のつづき

しかしだ、 

子供が出来たらどうなってしまうのだろう・・・・。

それが目下、わたしの漠然とした将来の不安のひとつであーる。迫り来る苦労というか、いやおうなしにいずれはやってくる難題というか・・。

・子供がいれば、さらに航空運賃は嵩む。一家で移動するたびに「どっこらしょ!」くらいの大掛かりな金を使うことになる。

・子供がいれば、遠い2国にまたがるじぃさんばぁさんいに定期的に会わせなければならないだろうから、「たまには故郷に帰りたい」ではなく、「帰らねば」くらいの事態になってくると思う。

・子供がいたら、私が少しでも稼げるようになる可能性はもっと減る(特に子供が小さいうちは)。

・私は出産という観点からすると、もう崖っぷちのお年頃。一刻も早くしたほうがいいと言われる年齢なので、稼げるようになってから妊娠、、、などという暢気なことは言っていられない(今は、ビザが下りていないので、子作りを保留にしているのでございます)。

・しかし、子育てがひと段落ついたころには、それこそ「一度もオーストラリアや英語圏で働いた経験もなければ、なんの資格すら持っていない40代の女(その頃は40代であろう)」が、職を見つけるのはものすごく難しいに違いない。また、「どんな職でもいい、スーパーのレジ打ちでいいよ」などのような状況になるのもイヤすぎる。国際結婚をしたばっかりに、なんでそんなメにまで合わねばならんのだ・・・。



まぁ、これは、この年齢になって果たして健全な妊娠出産能力があった場合の話なんであるが~(←これ、けっこうポイント・・・)。


どうなってしまうんだろーか。
そんな金、捻出するなんて、たーいへん。
なんとか捻出するなら、そのかわり普段の生活を「貧困」なみに落とさなきゃ無理な香り。

このようにして、国際結婚のここらへんの苦労は、子供ができて数年経った頃から本格化するんだろうなぁ、と思う。国際結婚して、子供2人くらい産んだ妻たちは、それぞれ、けっこう苦労してんだろうなぁと思わずにはいられない。


それは、航空運賃の捻出が大変で・・・などという単なるお金だけの問題というよりは、「もう何年も日本に帰っていない」「親が年老いているのに、なかなか帰ってあげられない」「自分はこんなにも日本人なのに、子供は日本のことをぜんぜん知らないまま育っていってしまうのであろうか」というような、なんとなくズーンとくる割り切りがたい思いをいつも抱えることになる苦労。

でも、大変大変と暗くなりつづけていてもしょうがないから、だんだん明るく割り切るようになっていって・・・、

そして10年も経った頃には、あの独特の「外国にずっと住んでいるサバッ、カサッとした日本人女性(おまけに肌感でさえ、パサッ、ゴワッとしている)」が出来上がるのだろう。

私も、ああいう日本人女性の予備軍なのであろーか。オーマイガ。

(と、このあたりまで考えて、「うわ・・・暗!こんなこと考えてちゃ、障るわ。やめやめ~。先のことは何もわからないんだし、ま、運命に任せましょー」と思うことにしている私は、すでに充分に予備軍なのであろう:笑。はっはー。せめて、カサカサ肌にはなりたくないよ)

さて、こんなわけで、この2年は「最初の数年はとにかくお金がかかるんだ」と言い聞かせて、一番安いチケットを時間をかけて探しながら、えい!と購入するのを繰り返してきたのであるが・・・。



しかし、それを見て人々はいとも気軽に言うのである。

「あらぁ、けっこうお金あるのねー。うらやましいワ」

冗談じゃねぇぜ!コノヤロウ

旅行に行きまくってるなら、そう言ってくれたまえ。



また、人はこういうセリフも必ず言うんである。

「うちだって、お金がもうちょっとあったら海外旅行とか行きたいに決まってるけどさー」。

け!あんたたちも、それが「行かねばならない」となれば、なんとか捻出して、チケット買うくらいできんのさ。
言っておくけど、うちはこの2年で、貯金できた額が正真正銘の0円だからね(それまでの貯金はなんらかの機器のときのために凍結)。

あんたたち、こんなリスキーなことしたくないから、結局海外旅行行ってないんじゃろう?(すごむ私)

行けないんじゃなくて、たんに行ってないんだよ、あなたたちはっ。(息巻く私)

ふー(ため息)。


国際結婚。
これのせいで、余計にかかるヘンな金、旅行や習い事に使えたら、まるでセレブだよ。

私たちはたぶん、子供なんか生まれたあかつきには、純粋な「旅行」ってやつには、本当に無縁になってしまうのかもしれないな・・。やだな・・・それ。



ここでまた、こういうことを言う人がたまにいる(例えばうちの妹)→「もう外国に住んでいるんだから、ずっと旅行みたいってことでいいんじゃないの?」。。。アホか!そういうことにはならんのじゃ!それにそうだとしたら、もっと「ずっと旅行してる」甲斐のある国にいくわ!笑)

2012.04.08 / Top↑
私は国際結婚というもんをしてしまったわけだけれど、国際結婚というのは、実に余計な金がかかる。と、しみじみ感じる日々。

貧乏な人は国際結婚するべからず、となぜ、先人たちは教えてくれなっかのであろーか。義務教育で絶対に学ぶことになっている「枕草子」くらいの扱いで、教科書のどこかに書いておいてほしかったくらいだ(ちょっとおおげさ)。


たとえ自分は貧乏でも、相手の人にはけっこう稼ぐ能力があって、なおかつ、その彼がお金に関して基本的に気前がいい性質でないと、そうとうてぇへん。


遠距離時代(短かったけれども)→ 観光ビザでしばらくメルボルンに滞在 → 結婚までの約1年半、そしてそれから今日までがさらに半年。

この約2年ときたら、お札に羽がついて放たれた鳩みたいにどんどん飛んでってしまう、というくらい金がかかった。

しかもこれが、「節約をし、ぜいたくはぜず、結婚式も最低限費用でおさえ、新婚旅行も安旅(でも、旅は安旅が一番おもしろいからいいのだけれど)で済ます」ようなことをしていても、なのだ。

さて、何にそんなに金がかかるのか。ビザ関連、ライフスタイル関連などいろいろあるけれど、 その中でも特に今日は、国際結婚とは切っても切れないくされ縁、航空運賃についてじゃ!


ちまたでは、「国際遠距離恋愛は交通費がかかってたいへん!」というのが定着している。それは本当だ。

しかーし、「早く結婚して、一緒に住めるようになるといいね(ハート)」でなぜか締めくくられているフシがある。

いやいや、国際遠距離の苦労が、そんな簡単に幕を閉じるワケあるまいな。
交通費の苦労は一生続くのだよ、キミたち。

国際結婚なぞしてしまった私たちは一生、「航空運賃の奴隷」なのである。


夫婦のどちらか片方の国にどちらかが住む(たいていは、夫の国に妻が住むね)んだとしたって、妻の里帰りにはいちいち航空運賃や諸々の滞在費がかかる。何年かに一度は夫も一緒に妻の故郷に行ったりしたいはずで、そうなると、一気に2人分の航空運賃がかかる。

数年に一度、夫婦で海外に行っていたら、「あら、けっこういい暮らしね」てなイメージに映ると思うけれど、国際結婚の場合、そんな優雅なことではないのだ。


さらに、うちの場合なんて、夫婦二人ともが、それぞれ違う外国に故郷があるという大変さ。しかもそれは、「イギリスとフランスは違う国だよ」程度の外国ではない。もっとドッカーン!と航空運賃がむしりとられる本格的な外国なのであーる。

普段メルボルンに住んでいながら、フグの故郷はインドで、私の故郷は日本。
メルボルン、インドのジャルパイグリ(フグの実家のある場所)、私の実家の千葉を結ぶと、巨大な三角形。これら頂点をなす3地点、それぞれどこもどことも近くない。私たちは本格的国際運賃を払って、それぞれが自分の国に帰らなければならないのが一目でわかる三角形。

しかも、これがまた、メルボルンという場所が、思いきりインドや日本から遠いときていやがるのよ(というか、世界中から遠いのだよ)。


地球儀見てみぃや。
メルボルンって地球儀の下にありすぎて、かがみ込んで覗き込まないと、見えない位置にあるから。
どんな僻地まで征服しに行ったんだよ、イギリス人め。

例えば、ウィキペディアのメルボルンのページにだって、こんな風に書いてあるんですぜ。
うわ、遠! ご愁傷様!ってことがおわかりいただけるだろうかね?
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メルボルンを中心とした正距方位図法の世界地図を見ると、ロサンゼルス・シアトル・シカゴ・マイアミ・ニューヨーク・アンカレッジ・バンクーバー・トロント・アテネ・ローマ・ウィーン・ベルリン・フランクフルト・パリ・アムステルダム・ロンドンなどを含む「北半球のアメリカ本土(ハワイは除く)・アラスカ・カナダ・ヨーロッパ諸国」とはすべて12000km以上遠く離れている。

(中略)

この為、世界の航空業界では『国際線が超長距離便ばかりになるのはオーストラリアの宿命』と云われている。
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さらにうちの事情を付け加えると、メルボルンつぅ田舎ときたら、日本との直行便もなければ、フグの実家から最寄の国際空港(コルカタ)との直行便もないというけしからん状況。

しかしそれにもかかわらず。

なんと、私達にはそれぞれ、「最低一年に一回は自分の国に帰りたい」という希望があるのである。(私なんて、それを条件にメルボルンに来たくらいだ。この条件をフグがちゃんと覚えているかどうかは知らないけれど・・・)。

主な理由は、お互い晩婚というやつだから、親の余生がそんなにないように思われるからだ。わたしなんて母親はもういないので、日本にいるのは父親のみ。フグには両親ともいるが、父親のほうはけっこうヨボヨボしてきている(途上国の人は老化が早い)。

とりあえず、お互いの両親への挨拶などもしなくてはならなかったし、この1年半は私達2人でお互いの故郷を行き来した。フグは2度日本に来たし、私もインドに2度行った。そのうえ私はビザ関係のあれやこれやも含めると、この2年で日本とメルボルンを4往復もしている。毎月のクレジットカード(フグの)の支払い額はハンパではない。

ということで当初は、里帰りは毎年お互いの国に一緒に行ければいい、というのが希望というか理想だったけれど、やってみてわかってきた。

こりゃ、今後は無理だっぺ。
干からびちまうよ
(たびたび言葉遣いの品が悪くなるのは、つい、てやんでぃの気分が出てしまうからであーる、ほっといて)。


けっこう頑張っても「1年に一回一緒にお互いどちらかの国に行く(つまり自分の国は2年に1回」か、「1年に1回、夫婦別々に自分の故郷に行く」のどちらかがせいぜいだろう。

このへん、フグとハッキリ話し合ったりはしていないんだが、内心、私達2人とも無理だと気づき始めている。

そして私はできるだけ日本に行きたいし、できるだけインドの家族には会いたくないという本音もあるので、内心ひそかに「一年に一回、夫婦別々に自分の故郷に行く、になるのかな」と思っている。


しかしだ!



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次回につづく。。。
2012.04.05 / Top↑
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