国際結婚により、これまでダントツ興味のなかった国オーストラリアのメルボルンにやってきて人生ごと座礁中。

こんぬづは、みなさん。

無味無臭なメルボルンにやってきて、人生が五里霧中なパナッタレです。

インド単身在住4年の日々を終え、無事に日本に帰還して落ち着いた人生を歩もうとしていたのですが・・・、おっとどっこい、その後にうっかり出会った現夫の住むオーストラリアのメルボルンに移住することになってしまいました。

やっと2012年7月、配偶者ビザが下りました。早くPRが欲しいです。


番外編としてインド時代の写真をたまにランダムに紹介しています。

ブログを通じた出会いを楽しみにしていますっ。

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----*-----*----- ※インド時代にせっせと書いていたブログもオンライン空間のどこかに放置してあります。また、メルボルンに来た去年にもブログを立ち上げたんですが挫折したあげく、IDもパスワードも忘れてしまったまま放置・・。何が言いたいのかというと、「似た内容、どっかで読んだな。。」と思ったら、それ、たぶん私のインド時代ブログか、挫折したメルボルンブログです・・・・。あしからず~。

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あー、そうだそうだ!

江戸というか江戸っ子と言えば、寅さん(「男はつらいよ」)もあったよねぇ。

ということで、もちろん私は全作見てます!笑。

全48作中半分くらいは2度3度見ている。あれは子供時代から好きだったな。大ファンですわ。


といっても寅さん、もちろん江戸時代の話じゃぁないですけどね、でも、江戸の下町の雰囲気は濃厚に香っている。

サクラやヒロシが洋服だったり、テレビがあったり、タコ社長の工場(こうば)に機械があったりする以外は、江戸時代の一角ってあんなんだったんじゃないでしょうかねぇ。という部分がかなり濃厚にありますよねぇ。

それとかほら、あのフーテンライフスタイルとか、旅暮らしとか、テキ屋とか、テキ屋の口上、あれらは江戸っ子でしょ。何かにつけ刹那的というか、宵越しの金は持たないというところもね。

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特に寅さんシリーズでは、寅さんなどのセリフが好きです。

有名なのは「よぅ、相変わらず馬鹿か?」とか「てめぇ、さてはさしずめインテリだな?」とかですよね。


そのほか、うまいこというなっていうセリフも多いし、タコ社長に吐く暴言も絶妙。

タコ社長の零細印刷工場に就職のためにやってきた若い男に「あの人はね、近所の不良で気違いだからね、相手にしない方がいい」(つまりタコ社長のこと)とか言っちゃうしさ。

いろんなセリフの言い方がこれまたほんとにいいですよねぇ。

生みの母親に会ったときなんか、「オレゃてめぇなんかに産んでもらいたくなかったい。ひりっぱなしにしやがって、
ひとのことほったらかして雲隠れしやがって」とか言ってますよ。

ひりっぱなし・・・・・(笑)。

あと、一度、寅屋にアメリカ人が下宿してることがあったですよね。マイケルっていう。それをみんなで「マイコさん、マイコさん」て言ってたりしてたのも、ツボ(笑)。



で、その寅さんなんだが。思い出したことが・・・・。


わたし、大学では映像専攻でした。文学部芸術学科映像コースっていう、ナゾな学科でね。映像っていっても、実際に撮影とか映画作りとかするんじゃないんですよ、一応、文学部枠だから。美大とかじゃないから。

ひたすら映像や映画を見ては、分析だの評論だのするっていう学科。それと映像の歴史とか。映像が歴史の中でどんな役割を果たしてきたか、とか(例えばヒットラーは、民衆のマインドコントロールのために、映像やワーグナーの曲をおおいに利用した)。

といってもね、私、典型的な「日本の大学生」だったので、オベンキョーなんて驚くべきしなさぶりで、ろくに授業にも出ませんでした(オトーサンオカーサン、スミマセン。ガクヒハラッテクレテ、マコトニアリガトーゴザイマス)。

でも、いくつか印象に残っている授業もありまして、そのひとつがある日の「日本映画史」。


そこで・・・・・ある時先生が、「好きな日本の映画を一人づつ挙げていきなさい」みたいなこと言って、生徒一人づつ立たせて、好きな日本の映画を言わせたことがあったのよね。

それで前の席から順番に一人づつ「溝口健二のナントカ」とか「小津安二郎の東京物語」とか、「ボクは大島渚ですね、やっぱ」とか言っていたときです。

ある男の子が「山田洋次の男はつらいよ」と言ったんです。

私、内心「あ、同じだ」と思いました。

というか、「同じだ」と思うや否やですよ、先生が突然、キレた。んです。


「それ、本気で言ってんのか!」ばりに、本気で激怒。


はっきりいって、クラス全員が縮み上がったくらいの突然の激怒で、もちろん、なぜだか誰もさっぱりわからない。

訳わからないですよ。何がいけないのか。

二十歳そこそこのいたいけな私たち生徒にとっちゃ、「ねぇ、何があったの?な、な、なにが起きたの・・・・?」みたいな。


で、そこから延々、先生の怒りトークが始まってね・・・・。「男はつらいよ」って言って餌食となった男の子は立ったまま・・・。


かいつまむと、「男はつらいよ」がなぜそこまでイケないのか、という先生の理由は

「男はつらいよ」には思想がない!でした・・・・・・・。



で、この学科に入った以上「男はつらいよ」などという答えを言うのは、学生としての自覚がない!ばりのいいよう。わたしゃ内心、「私の順番が先じゃなくて、ほんとよかった・・・・。血祭りに挙げられるところだったわ・・」と思いましたさ。


「思想がない」という意味、ノータリン大学生だった当事ははっきりとは掴めませんでしたよ、もちろん。今でも、やっぱり完全にはよくわからない。

メッセージ性がない、問題提起がない、スタイル提案がない、革新性がない、というようなことでしょうかね・・・・?


でも・・・・別にいじゃないですかねぇ。いろいろあって。

寅さんだって、普遍的なことなら、山ほど教えてくれますよ。ねぇ。


その先生、けっこう映像研究では有名な人なんだけど、いつも基本ピリピリしてるというか、物腰が柔らかくない人だったんです。

だからその先生、当時、「離婚したばっかり」だか「離婚しそう」みたいなウワサが流れてて、生徒の中では「きっと幸せじゃないんだね」とか言われてました(笑)。若者は残酷

で、大島渚の「絞首刑」とかが大好きでね(「絞首刑」は、挑戦人差別とか死刑制度とか、国家という枠に関するテーマを描いている。はっきりいって重苦しい映画)。誰かが「大島渚が好きです」、とかいうと授業に熱が入っちゃって。


でも確かに、普段の授業は面白かったですけどね。ふぅん、こういう風に見るものなんだ、映画って。みたいなことがなんとなく分かったりして。 ある意味、先生自身のツボに入る映画に関してはとても熱い先生でした。



わたしゃー、寅さん大好きだけどねぇ~。

その後、渥美清も死んじゃったし、江戸の下町情緒が残る街角がますます減っていっている日本。いまや「男はつらいよ」って、けっこう貴重じゃないですか。下町情緒の名残を感じるにあたって。たそがれ時のような存在ですよ。


と、江戸といえば寅さん、寅さんと言えばあのナゾの先生の怒り・・・というふうに思い出したので書いてみた次第。でした。


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2012.12.13 / Top↑
「江戸ロマン2:古写真」のつづき


昨日は幕末写真などについて、私の勝手な趣味に関して一人で息巻きましたが。

そうそう、江戸と言えばやっぱりこの人ですよね、というのが杉浦日向子さん。

ですよね。


日向子さん、漫画家でもあるし江戸関係の楽しい本も書いてるし、時代考証家というような肩書きもあった気がする・・・・と思って、ちょっとウィキってみたら「漫画家、エッセイスト、江戸風俗研究家」となってました。

彼女の江戸風俗に関するエッセイと漫画、本当に面白い。

特にエッセイは、読めば誰でも江戸に興味が湧かずにはいられなくなると思うような内容です。

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エッセイは、日向子さんがイラスト付きで江戸時代に関するあれやこれ(男女のデート事情、食文化関連、おしゃれ事情、結婚離婚事情、師走の様子、色男とは、美女とはなどなどなどなど)について、すごく楽しく教えてくれるっていう感じ。対談集もある。

一番基本的なのはたぶん「一日江戸人」で、まずはこれ読むと江戸に行ってみたくなること間違いなしっ。

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↑浮世絵に見る「美人」の推移 (「一日江戸人」)

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「杉浦日向子の江戸塾」は対談集

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↑ 面白そうでしょ?


一方、マンガはなんとも独特の雰囲気があります。江戸時代は妖怪と共存していた時代。だから、時々妖怪がぬらっと登場したりしてね。

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私がメルボルンに持ってきている中では、一番上の写真の「二つ枕」と「百日紅 上・下」がマンガなんだけれど、特に「百日紅(さるすべり)」は、葛飾北斎と娘のお栄の話で面白い。

史実に基づいた何か、とかそんなんじゃないんですよ、彼女のマンガの目指してるところは。ただひたすら、なんだか江戸の空気感が心身に沁みるようなマンガ。


日向子さんのエッセイなんか読んでいると、さも江戸の人の人生は面白おかしかったんだろうって一瞬は思うんだけど、実は江戸時代っていうのは、平均寿命もめっさ低くて、みんな明日をも知れぬ儚い身だった。

そんな中、難しいこと言わずに、「あっけらかんとおめでたく生きていた」(←日向子さんの言葉)江戸の人々。

そういう江戸への思いをエッセイ「うつくしく、やさしく、おろかなり」で書いていて、これはひととおり江戸の楽しそうな風俗を知って楽しんだあとに読むと、実に心に沁みます。

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と・・・・・、こんなに本の中身の写真をペタペタ貼ってよいものか分からないんだけど、貼ってみた。

ちなみに日向子さん、2005年に病気で46歳でこの世を去ってしまいました。儚いですよねぇ・・・、江戸の如く。



あ、あとね、彼女の本「うつくしく、やさしく、おろかなり」の中で書いている粋(いき)と粋(すい)の違いに関する説明は特に印象に残っている。こればっかしは、なるほどな!!!!と目からウロコでした。

(日向子さんは他にもそこかしこで、江戸の「粋(いき)」について書いているけれど、本「うつくしく、やさしく、おろかなり」の中の、「江戸・遊里の粋と野暮」の章の後半にズバリ分かりやすく書いてあるのですよ)。


で、この辺から、日向子さんの言う「粋(いき)」だな、まさに!と私が思う勘三郎なんだけど。

私、演劇とかそこらへんは特にこれといって詳しくもなんともないんだけど、この江戸好きのせいで4~5回くらい勘三郎の芝居見に行ったんだよね、昔。

普通の歌舞伎じゃなくて、初めて見たのはあの、野田秀樹と勘三郎(当時は勘九郎だったけど)が組んで当時話題になった「野田版:研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)」(本当に面白かった)。

あれ見て、ものすごくハマって。そのあと、同じく「野田版:鼠小僧」とかいろいろ見に行きました。

といってもあの時期は10年以上前の話で、そのあと私はインドだのなんだの言い出し人生がヘンな方角に曲がっていったりしてたんで、すっかり忘れていたんだけど。 実を言うと、面白かったという事実だけ覚えていて、話の詳細も忘れてしまった。

でも、

勘三郎さんのオーラはよく覚えてるんだよね(あの時代、つまり勘九郎時代は普通に「カンクロー カンクロー」ってみんなから言われてたし、私は勘九郎時代しかよく見ていないので、どうしても勘三郎より勘九郎のほうがシックリくるんだけど・・)。

観客を驚かすために客席の後ろからいきなり登場したことがあって、そのとき、後ろの方に座っていた私は勘三郎から2メートルくらいの距離だったんだけど、なんといっても覚えているのはその顔のデカさ!と(笑)、

そして、あのオーラですよ。

んんんんんんものすごく、楽しそうなオーラ。 ザ・陽性!プラス!という感じの。

私たち観客も芝居見てすでにすっごく楽しかったんですけどね、勘三郎さんったらその百倍くらい楽しそうで、ひときわデカい顔が汗で光っているってのもあったけど(笑)、楽しすぎて仕方がないっって感じの目と顔の輝きがものすごい印象に残ってました。


こんなに楽しそうな人そうそう見ないよね、って感じだった。目、キラリンキラリンッなんだもん。

だから、「仕事が楽しくて仕方がない人」とか「まさに天職」などのフレーズを巷で聞くと、私の中で自動的に浮かぶイメージのひとつは勘三郎さんの顔でした。

だから、死んじゃったというニュースを聞いて、大大大衝撃受けましたよ。それで数日間、一日30回くらい勘三郎さんご逝去関連のニュースを見ていた感じ。

日本にいないので、各種の勘三郎さん追悼番組が見れないのが、非常に悔しい。


まぁでも・・・・・勘三郎さんはそりゃ無念だっただろうし、こんなところで私ごときが薄ら美しく話を締めくくるなんてほんと、おこがましいけど、


あんなに楽しそうで、好きなことがはっきり決まっていて(つまり芝居)、あんなにたくさん友達いて、みんなに好かれて、お酒飲みに飲みまくって・・・、そんな風にいたところ、ある日うっかり死んでしまった。そう、うっかり!


それって、チマチマぶつぶつみみっちくヘンに長生きするのに比べて、なんだか・・・江戸っぽい。

なんて、一観客としては思ったり。


袖触れ合うも他生の縁。

”楽しいオーラの威力”を知らしめてくれてありがとうと思います。と、本当に思います。



ところでなんですがねぇ。

「野田版 研辰の討たれ」とかはね、山田洋次監督の撮影で実際の劇をそのままカメラに収めて、「シネマ歌舞伎」として映画になっているのをご存知?

数々の歌舞伎の舞台をそのまま映画として見れるシネマ歌舞伎

http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/

(↑「野田版 研辰の討たれ」や「野田版 鼠小僧」などなどのトレーラーも見れます)


だけどね、DVD化されているのは「野田版 研辰の討たれ」だけで、ぜひ見直したい「野田版 鼠小僧」とか、ぜひ見たい宮藤官九郎演出の「大江戸リビングデッド」とか、ぜひ見たい「人情噺文七元結」などなど、DVDになっていないっていう話なんだよっ(なんつーこったい)。

私、外国にいるんですぅ。でも見たいんですぅ。貧乏だけどDVD出してくれたら買いたいんですぅ。

だ・か・ら松竹さん、DVD出してくれません!?
勘三郎さん追悼ってことで!!

ちなみに、ぜひともガイコクジンの夫にも見せたいので、英語字幕は不可欠デス!お願い~・・・・・。


庶民の嘆きを聞いておくんなましーーーー。
歌舞伎って、庶民の娯楽でっせー。


おわり

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2012.12.12 / Top↑
「江戸ロマン1:前置き」のつづき


さて、江戸好きなんだけど。

それはやっぱり、江戸時代の最後の最後、幕末時代の写真がわずかに残っている、という点がまず大きい。


「あんなにも昔っぽい時代なのに、実は写真が撮られた時代」ということが、「遠くて近い、近くて遠い」というもどかしさを、あおぐあおぐ。

幕末時代くらいのヨーロッパの写真に比べて、現在との違い度が甚だしいですよね。

ヨーロッパくらいだと、人々の服装、道路の舗装、車か馬車か、以外は現代とそんなに変わらない感じのする写真もよくある(なんせ、石造りの建物は強いというのもあるし)。洋服だってね、あの頃のドレスと今の洋服はやっぱりつながってますよね。

だけど、同じ頃の日本の写真を見ると・・・・、まるで違うワールド

だけど、それがかろうじて写真が撮られた時代なんだよ?ということは、そんなに昔じゃないんだよ?

そういうもどかしさとか、憧れとかが、こう渦巻いて渦巻いて。

だから、幕末写真とか明治の写真見ると、脳内からなにかがジュルっと出るくらいうっとりする。んです。


明治は江戸じゃない、とか屁理屈いわないように。

明治の写真に写ってるひとの多くは江戸時代生まれだし、明治写真の多くはまだまだ濃厚に江戸時代の雰囲気や名残が残っているわけで、それを一滴でも二滴でもいいから感じ取りたくて。

江戸つったって幕末写真以前は写真ないじゃないか、なんていわないように。幕末写真に写ってる老人ともなれば、そこからさらに80年とか昔の人なわけで。

それにね、江戸時代はたしかに長いけど、いわゆる江戸文化が華を咲かせたのは、どっちかっていうと中~後半だよね。写楽が活躍したのは1700年代後半だし、葛飾北斎が生きたのは1800年台だし、やじさんきたさんの東海道中膝栗毛だって、1800年代。


だから私、メルボルン行き荷物の中にも、これら本は重くともしっかり入れました。
 
IMG_1492.jpg 
重いのよ、これら。写真集だから。

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↑ 中はたとえばこんな感じです。

たとえば「幕末」とかいうと、司馬遼太郎の「飛ぶが如く」だの「竜馬がゆく」だののイメージがあって、あのへんの小説がやたら好きな男の人って一定量必ずいますよね。

でもわたし、わりとそんなんどうでもいいんです、政治っぽいなにかとか戦術がどうしたとか天皇譲位論がどうのとか。

そんなことどうでもよくて、ひたすら、その時代の人々の普段の暮らし、着てた物、考えてたこと、風俗などなどに興味があるわけですよ。

だから、日本の古写真の中でも特にヨダレが出るのが、女性の写真だよねやっぱり。

例えばこれなんかも、一日うっとり見てられる。
  ↓   ↓
 
http://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_geysha105.shtml

↑ これに載ってる写真はクリックすると拡大できるんだけど、これ、1895年に浅草で行われた美人コンテスト!



やっぱり日本人はひたすら着物と日本髪が似合うよね・・・って、思わずにはいられない。

たとえば私が持ってる写真集「幕末明治の女たち」では、時代的にペリーの黒船が来たちょっとあとくらいからの時代なわけで、ご婦人が洋服とか西洋ドレスにチャレンジし始めた時代なわけ。

着物だとすごい美人で「ああ、きれいだなぁ・・」って思える人が、ドレス着た途端にみんな「なんじゃ、このブサイクなオバハンは」ってな感じになっている。

たまーーに、洋装が似合ってる人もいたりして、「洋服が似合う人とは」というテーマで考えさせられちゃうんだけど(笑)、やっぱり日本髪と着物ってのはズバリ、私たちの顔カタチに似合うってのがよくわかるわけ。

というか誰でも魅力を持っているとして、日本人の場合、その魅力はやっぱり着物と日本髪のときに一番あぶりだされるんだな、というのが分かる。
 

で、うっとりするくらい可愛らしい彼女たちなんだけど、顔の本体だけ見ると、「あー、いるいる、この顔。普通にいるねぇ、今も。お隣さんにいそうだよ」ってな子ばかり。

そうするとね、ああ、やっぱり実はそんなに昔じゃないんだよなぁという思いが湧いて、またもどかしさに悶えるわけであります。

洋服で定着してしまった現代はやっぱり日本女にとってはハンデだよなー、なんて思ったりね ガイジンはずるい!)。


この本の中には、「明治の令嬢美人コンテスト」も紹介されててね、洋装和装が入り混じってて興味深い。江戸時代が終わったこと、江戸の雰囲気がまだ濃厚なこと、その両方が感じられてね。

ちなみにその明治の令嬢美人コンテストがこれまた、ほんとうにカワイ子ちゃんがいたりするかと思えば、なんでこんなサル顔が?というようなのもいたりして。

現代の美感覚とのギャップを感じると江戸や明治が遠のき、「今いても絶対ド美人!」というような美しい人がいると、江戸や明治が近づいてね。

そうやって、古写真に心をいたぶられるわたし。 


この間は、溝口健二監督の「近松物語」見たんだけど、着物姿の香川京子の常軌を逸した美しさにやられたね。なんでしょうね、あの美しさというか、「日本女性は着物と日本髪に限るのだ」という確信。1952年の映画だし、白黒だけど、メルボルン図書館で借りれるから見てみて。

着物女性の美しさ以外にも、近松門左衛門時代の暮らしとか印刷屋の様子とかが面白いから。

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「近松物語」


と、なんだか美人の話になってますが、そうやって江戸時代の雰囲気が少しでも感じたくて、わたしは必死なわけです(笑)。 人々の生活や文化をちょっとでも垣間見たくて。


あ、こんな本も持ってます。

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小さい本なんだけど、絵で江戸の人々の暮らしを事細かく楽しく紹介してあるの。

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江戸時代のあらゆる職業などが紹介されていて、飽きない。

あと、江戸と言えば「町火消し(つまり消防士軍団)」だけど(博物館で江戸時代の火消しの半纏やノボリを見ると、ウットリで気絶しそうになる)、その火消しについてイラストでこれまた、すごく丁寧に紹介してあってね。

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地区ごとに違っていた火消しの半纏とノボリのデザインが全部紹介されている。


それから、私、福沢諭吉の自伝「福翁自伝」も持ってたりするんだけど、あれもやっぱり、開国論がどうのこうのなんてどうでもよくってね、それより、当時の暮らしや雰囲気が垣間見たくて読みました。

あの人、なんというのか写真も普通に残ってるし、娘さん何人かは1960年代!まで生きてるし、いかにも現代にそのままつながっている昔の人のイメージあるけど、なんと!江戸時代が終わったときに既に34歳なわけ。

黒船が来ちゃった時にはすでに思いっきし20歳なわけ。びっくりでしょ?

で、オランダ語まじくそ勉強してたら、いつのまにか時代遅れになってて英語の勉強しなおさなきゃいけなくなったりとかしてたわけ(笑)。

福澤諭吉、真面目そうなイメージあるけど、読むと面白いです。かなーーーりフザけてて。現代と比較すると、ある意味「きわめてゆるかった時代」、本当に面白いね。人間が管理されすぎてなくて、窮屈なモラルに縛られてなくてね。

ユキチ、「ちょいと拝借してやった」みたいなノリで平気で盗みとか働いてるしさ。

火事、エンタメ的に楽しんじゃってるし。すっごい酒ばっか飲んでるし。危ない実験とかやっちゃってね。それで、「女に関してはオレ、すごい真面目。遊び人じゃない」みたいなアピールとかもチラチラ織り交ざってるし(笑)。
 
でね、初めてアメリカに行って絨毯に驚いたり、季節はずれの氷に関心したり、男が普通に家事して奥さんが客と一緒に座ってるといって驚いたり。

何もかも初めてで何もわからなくて、まるで「勝手の分からぬ家に嫁いだ花嫁のような気分」みたいなこと言ってたりしてます。

でさ、この「現代とかろうじてつながってるイメージがある一番昔の人」の一人、福澤諭吉だけど、あの葛飾北斎と生きた時代が20年くらいかぶってるわけですよ。

ね!?ロマンでしょ!!?(オタクの押し付け)。

ところで余談だけど、諭吉ったら1901年に死んだんだけどね(私のひぃおばぁさん「ミヨコさん」が生まれた年よ)、なんと1976年!になってひょんな事情から墓掘り返したら、埋めた場所が偶然うまい具合にミイラができる環境になっていたらしくミイラ化(死蝋化)してて、そのまんま「さっき死んだ」みたいな感じで出てきてしまったのよ。

といっても空気に触れた途端に、化学反応で全身緑色になったそうだけど・・・。


あ、話がそれて、なかなか勘三郎にたどり着かないんだけど。次は杉浦日向子さんの本などの話につづく・・・。


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2012.12.11 / Top↑
ちょっとご無沙汰してたら、あっつーまに2週間以上が経っていたという始末。

私、まんべんなく物事をこなす、ってのが全然できなくてね。何かを始めると他の何かのことがどうでもよくなるというか、そっちに手をつけられなくなるんです。

だいたいそれが2-3週間周期でローテーションしてて最近は、ヨガ期、ブログ期、絵描き期ってのがその周期で回ってるという感じ。

ヨガ期になると、ヨガたくさん行って、「ああ、ずっとこのペースで続けてたら今ごろどんなに健康で、ボディのシェイプもどんなにスッキリしていることだろう。なぜ1ヶ月もサボってしまったんだ、私」とかブツブツ言う。で、家でもちょっと開脚練習したりなんかしてね、この時期は美容モードにもなるので、フェイスパックしたり、朝からヨーグルト食べて健康に気を使ったりするというのがお決まり。

ヨガ期は、ヨガたくさん行くとやっぱり健康的に疲れるので、他の時間はついソファでうたた寝なんかして時間が過ぎてしまう危険性大。あ!もう夕方・・・みたいな。

でも、やっぱり2-3週間で必ず、このマイブームは去ってしまう。どんなに「今度こそずっと続けるぞ」と心から思っていても、ダメなんだよね。次にブームが訪れる1ヵ月後とか2ヶ月後とかまで、またヨガや健康や美容について、すっかり手抜き状態になるのが常でございます(笑)。


「周期」の例をヨガ期で説明してみたけど、他、ブログ(及び各種インターネット系活動)期、お絵かき期もだいたい同じような感じ。

この他、小さい周期(サブ周期)として「ああ、もうちょっと料理をちゃんとして、新しいレシピを作ってみたりしなきゃ、主婦なんだし」期とか、「掃除掃除、掃除してこそ生活全体が整うのよ」期とか、「英語よ、英語!掃除なんかしなくたって死にゃぁしないんだから、その時間はむしろ英語!毎日英語ニュース読まなきゃ!」期とかがクルクル訪れます。

だから、ずーーーっとコンスタントに同じ事をし続ける人とか、「まんべんなく”今日やるべきこと”を次から次へとサラっとこなせる人」を心の底から「すごいなぁ」と思ってきました。ある時期まで。私ってなんてダメなんだろうと。

でも、最近は自分の心身の赴くままにのほうがいいに決まってんじゃんと思うようになりまして。
 
人から見たら、さもメチャクチャで、さも非効率的に見えるみたいだけど、私にとってはそれが一番、最終的には効率がいい

ほら、一日の予定がめさくさ詰まってるのにヒマな人より何倍も仕事も趣味も盛りだくさんやってます的な多忙な人とかがよく言う、「けじめと気持ちの切り替えが大事」とかいうようなアレ、

日本社会にはびこっているああいう各種のプレッシャー?(ああいう見えないプレッシャーが自殺を増やすんであーる)に、私もいつのまにか毒されていたなぁと。

たとえば「子育てこなしながら働いてますが、家事にも手を抜きません。そのうえ、新しい資格に向けてお勉強もしてます。え、どこにそんな時間があるんですかぁ?!はい、集中するときとリラックスする時間の切り替えが大事なんです」み・た・い・な。

ああいうの、少なくとも私のとってはモラハラだったんだと、わりと最近はっきり気づいてね。

日本と言うのは、ほんとうにほんとうに、モラハラ社会だよね。ああするべき、こうするべき、人間としてどうだああだ、社会人としてなんだどうした、大人としてこうだああだ、こうするからにはどうしろ、ああしたからにはそうしろ・・・・・。しかもその恐ろしい圧力が存在するのが一見分かりにくい。みんな薄ら良い子ちゃんぶってて、嫌われ恐怖症だから。

で、気をつけなきゃ根から腐るわ、とか思ってても、日本にどっぷりいるとだね、いつのまにか蝕まれんだわ、あれ。 「こんなんでいいんだろうか、私」みたいなあの袋小路に迷い込んで茶色っぽいシケた日々送んのよね。

で、わたしなんだけど。やぱりオタク体質なんで、ある意味ヘンに濃くて偏っているわけですよ。だから「まんべんなく”今日やるべきこと”を次から次へとサラっとこなす」みたいには行かないわけ。サラサラしてないから(笑)。

切り替えなんか簡単にできんわけです。

だからね、周期が来たら「こんなことしてちゃいけないんじゃないだろうか」なんて思ってソワソワせずに、心身の赴くままに周期に没頭する、っていうやり方で行こうと決めたの。


だからうち、家が汚いときはずっと汚いし、妙に料理をかんばるかと思えば、ある週は「フグが作る⇒ピザ⇒冷凍してある何か⇒外食」みたいな感じで一週間終わったり。

妙にブログ更新したかと思えば、いきなり放りっぱなしとなり、今度はやたら絵描く3週間を過ごしたり、やたらストレッチしはじめたりと、そんな感じ。

フグは呆れてると思うけど。

そんなこんなでですね、かいつまむと周期性オタク体質のため、たまにブログから遠ざかってしまうんです。すくなくとも、コメント返しまで放置してしまう点だけは、一応反省しております・・。 まことに申し訳ございませんっ。



で、ここから今日の記事がはじまるんですが(え?今から!?)、わたし、この数日は中村勘三郎が死んじゃったというニュースにいたくショックを受けていましたわ。

わたし、クドいようだけどオタク体質なのでね、その延長線上として、歴史好きっていうのがあります・・。

古代遺跡好き、ヨーロッパ16-18世紀好き、ガンダーラ美術に萌える、クレタ島と聞くとアドレナリンがかすかに出る、などなどいろいろあるんですが、日本に関して言えば江戸好きなんです。

わたし、江戸時代というか、江戸文化?が大好きで。

そう、江戸はわたしのロマン。

その関係で、勘三郎も登場するわけだけれど、長くなったのでそれは次回の記事で。


つづく


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2012.12.10 / Top↑
「ミヨコさん 前編」の続き


9才くらいで奉公に出されて、おしんのような日々(おしんよりはもうちょっと都会だったらしいが)を送っていたミヨコさんだが、19歳頃に結婚することになったらしい。もちろん恋愛とかではなく、保護者のような人とか奉公先のご主人あたりが縁談をまとめたのだと思う。

それで、この写真(前編に掲載)を撮ったという。なので、ミヨコさんの若い頃の写真はこの他数枚しかないらしいし、私の手元には一枚もない。



嫁ぎ先は、静岡県の印刷屋(もしくは、嫁いでから家が印刷業を始めたのかもしれない・・・そこらへん、明確なことは知らない)。

印刷屋って、あれですよ。ちょうど「男はつらいよ」のトラさんちの裏に住む、タコ社長んちのような下町の印刷工場(コウジョウではなく、こういう場合はコウバと読む)

印刷屋はその後、息子の昭太郎(私の祖父)が継いだので、私の母は、印刷屋で育ったのである。
その頃の印刷屋というのは、一般的には「カッパン屋(活版印刷屋という意味)」と言われていたので、小さいころ母は(もちろんオカッパ)は、「カッパン屋んとこのクニコちゃん」と呼ばれていたらしい。

母は「男はつらいよ」のタコ社長のシーンを見るたびに、「そうそう、まさにこんな感じだったのよ!」と言っていたので、まさにあんな感じだったらしい。家の一角にせまぜまと刷り機などがあって、機械が一日中ギッタンバッタンとガナりたてていて、従業員やお客がひっきりなしに出入りしていて、家も工場(コウバ)も家族も工員もいっしょくた、みたいな昭和の下町のあれね。



さて、また話がそれてしまったがミヨコさんは嫁いだあとも、苦労は続いたらしい(明治生まれは、苦労した人が多いんだよね)。

最初の夫が結核で死んでしまい(あの時代の王道を行ってるよね、この辺・・)、その数年後に、亡き夫の弟と再婚したそうだ(亡夫の弟とは!あの時代の王道を行ってるよね again !!)。

実は、この最初の夫とその弟、どちらが私のひぃじいさんなのか・・・私知らない:笑。弟のほうも、結局は早く死んでしまったらしいので、ここら辺の詳細はすっかり歴史に埋もれてしまったようですわ。

人ってのは、ああだこうだと自分と他人の人間関係に悩んだり絶望したりするものだろうけれど、その人にとって大真面目だった人間模様も、世代を数代下った子孫にとっては、こんなにもどっちでもいいや的なものになってしまうのである。はかないものですなぁ。そう思うと、ウダウダ悩んだり眉間にシワよせて何かを力説するのは、真面目損じゃないかと思えてくる。やはり、人生って楽しんだもの勝ち?


で、ミヨコさんだけれど、夫が死んだり、その弟と再婚したりしている間にも、関東大震災のドサクサでいろいろ失い、その後世界大戦なども勃発し、それでもカッパン屋をなんとか続け、子供も5-6人くらい?産んだりしながら乳飲み子を亡くしたりもして、なんだかとにかく大変だったそうだ。



ミヨコさんは私が13歳のときに死んでしまったが、私が覚えているミヨコさんは、まさに典型的な絵に描いたような「おばぁちゃん」である(私がミヨコさんに会っていたのは年1回くらい)。


・普段着も着物(きれいな着物とかではなく、普段着!という感じのヨレた地味な着物。こういう普段着的着物も最近は見ないねぇ・・。着物といえば、晴れ着イメージですよね、今は)

・パンツ(下着)ははいていないので、着物の下はノーパン。

・足には靴下じゃなくて足袋。

・古い和箪笥(ミヨコさんにとっては、アンティーク趣味とかではなく、普通に若い頃から使っていた箪笥)のある部屋で、いつもいつでも、趣味の縫い物(和裁)をしていた。

・お針箱も、博物館にありそうな昔ながらのお針箱。


そんな感じ。



ミヨコさんは着物を縫う(もちろん手縫い)のがプロ級で、呉服屋に出す着物を縫う内職もしていたほどだった。

ミヨコさんは、特に初孫である私の母をかわいがったので、うちには着物がたくさんある。

今どきの大量生産っぽい着物ではなく、全部ミヨコさんが母のために作った手縫いの、明治時代に直結した着物たちだ。襦袢にいたるまで、ぜんぶミヨコ製のものがうちに眠っている。

私は七五三のハレ着も、成人式のまばゆい振袖も、ミヨコ製のホンモノを着た。

(しかし悔しいことに、ミヨコ製の着物、つまり昔の時代のフリーサイズの着物は、私と妹には小さすぎて、袖なんか手首から20センチくらいが出てしまうくらい短く、七部袖に近い。昔ながらの反物単位で現代人の着物を作ると小さすぎの着物が出来てしまい、かといって、大きく作るとなると、生地をたくさん無駄にすることになってしまうんだそうで、現在では、反物の単位を現代バージョンにしているそうだ)。



私の母は、典型的なおばぁちゃん子だったらしい。

「商売で忙しくて子供にほとんどかまわず、子供の目から見ても俗っぽい人たちだった両親(←by 母の発言)」よりも、よほど、「おばぁちゃん(ミヨコ)に育ててもらった」という実感を持っていたみたいだ。

だから母は、親との関係はあまりよくなかったらしく、いつもミヨコさんを慕っていた。そして、ミヨコ製着物は母の宝物のような位置づけだった(その割には、たいして着たりとかメンテしたりはしていなかったが・・・。そこが私の母のヌケたところでありまして・・・。)


今となっては、その母もこの世にいないし、私と妹も着物などとは無縁の人生を送っているので、着物は実家に眠ったままである。(いつか、少しは利用したいもんである)。


さて、そんな母と親との経緯もあってか、私も、その祖父祖母にはたいした思い入れも思い出もない(祖母のほうはまだ生きているが、もう8年くらい会っていないくらいだし、結婚式にも呼ばなかった。いろいろあるんですよ・・)。

そして父方の祖父母は、私が生まれるよりも前に死んでしまっているので、会ったことすらない。


そんなわけで、私にとっても「おばぁちゃん」というのは、唯一、ひぃばぁさんのミヨコさんのことである。
ミヨコさんこそが私のおばぁちゃん。

小さい頃にカキ氷を買ってくれたのも、お祭りでおもちゃを買ってくれたのもミヨコさん。
ちょっとでも危なっかしいことをすると、「おっかない おっかないよ。飴買ってやるから、降りてこい」と、言ってきたのもミヨコさん。

見かけがまるで御伽噺の中のおばぁちゃんそのものなのも、ミヨコさん。


ノーパン&着物だった私のおばぁちゃん、明治の女ミヨコさん。

いま生きていたら、明治、大正、昭和初期の話を根掘り葉掘り聞くのになー。


例えば、明治時代の美容法とか。明治時代のいい男の条件とか。
女友達との話とか。


※キリリ美人なミヨコさんだけれど、そのキリリ美は世代を下るごとにだんだん薄まっていき・・・、私や妹やイトコたちの世代ともなると、あまり面影もない・・・(泣)。
2012.05.14 / Top↑
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