国際結婚により、これまでダントツ興味のなかった国オーストラリアのメルボルンにやってきて人生ごと座礁中。

こんぬづは、みなさん。

無味無臭なメルボルンにやってきて、人生が五里霧中なパナッタレです。

インド単身在住4年の日々を終え、無事に日本に帰還して落ち着いた人生を歩もうとしていたのですが・・・、おっとどっこい、その後にうっかり出会った現夫の住むオーストラリアのメルボルンに移住することになってしまいました。

やっと2012年7月、配偶者ビザが下りました。早くPRが欲しいです。


番外編としてインド時代の写真をたまにランダムに紹介しています。

ブログを通じた出会いを楽しみにしていますっ。

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----*-----*----- ※インド時代にせっせと書いていたブログもオンライン空間のどこかに放置してあります。また、メルボルンに来た去年にもブログを立ち上げたんですが挫折したあげく、IDもパスワードも忘れてしまったまま放置・・。何が言いたいのかというと、「似た内容、どっかで読んだな。。」と思ったら、それ、たぶん私のインド時代ブログか、挫折したメルボルンブログです・・・・。あしからず~。

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国際結婚した友達に会うと、お仲間としていろいろ話の共通項があって楽しい。

そんな話題の中でも、これはけっこう永遠のテーマであーる。


なに?って、それは・・・

でさぁ、私たち、死んだらどーなるんだろうねぇ?

っていう。


これまでの人生のダイジェスト版を走馬灯のような感じで見て、その後、光のトンネルを抜けると、生前に親しかった人たちやあの世にいる親族がお迎えに来て・・・・・

とかいう、そういう観点の話じゃなくってですね、墓ですよ、墓。
この浮き世の最後の面倒事だよねこれ。


死んだらどこに埋まるの?墓どうすんの?どーなんの?って、すっごい国際結婚の盲点じゃないですか?



だいたい西洋では個人個人で墓があるけれど、日本などは一家揃って墓に入る。という時点ですでに話がこじれる香りがする。

まして、私なんてね、フグはインド人じゃないですか。

インド人というか、ヒンドゥー教徒って墓ないんですよ。

つまり、インドにはイスラム教徒とかクリスチャン用の墓地はありますけどね、人口の8割超してるヒンドゥー教徒には墓がない(ある意味、先見の明があったね、この風習。だってさ、人口11億超そうとしてるんだよ、インド。全員に墓用意しなきゃいけなかったら、今頃タイヘンなことになっちゃてたんじゃないの?)。

ヒンドゥー教徒は死んだら遺体を焼いて、遺灰をガンジス川(もしくは付近の川)に流して終わり。

日本のお盆に相当する「死んだご先祖様たちがちょっとだけ帰ってくる期間(ピトル・パクシャ Pitr Paksha)」ってのがあって、毎年(だいたい西洋カレンダーの秋頃の16日間)、その時期にご先祖様供養のような儀式をやったりするけれど、墓とか墓参りなんてもんは、ないんです。


まるで信心深くないフグとはいえ、一応ヒンドゥー教徒なんだから、フグが死んだら焼いて骨を川に流すのか??

え?どこの?わざわざ遺灰をインドに空輸?それか、まさかヤラ川(メルボルンに流れてる川)か(笑)?それとも、うちから5分のマリバーノン川とか(笑)!? (ヤラやマリバーノンはまさか冗談。だいたいからして、条例で禁止されてそう・・)。

つーか。フグだけの話なら、んなもんはどうでもいいんじゃ。 わたしゃ、海外在住インド人の死亡関係事情を心配しているのではにゃーーい。

フグの妻は日本人なわけだ。その日本人は、フグとの結婚のために異国の地に来たのじゃ。

それなのに、妻をさしおいて、勝手に自分だけ「あ、オレ、墓なしなんで」で済ませられたら、妻が死んだときにちょっと困るじゃないか。

しかも、いかにも「きみが死ぬ時には好きなようにしたらいいよ」という感じの、ズレた寛容(←世の男という男はこれが大得意だよね)を示されたりまでしそう。


<私は一人でこっちのどこかの墓地に埋まるのだろうか?>


というか、こっちでもよく墓地見かけるけど、あれらはなに?クリスチャンのための墓地なのか?それとも、宗教関係ないの? ほとんどの墓に十字架がデザインされている気がするけど。

それに基本、あれら墓地は、焼かないで埋まってるんだよねえ?

私、なんかやだな、そんなところに埋まるの。周囲と違って私だけ遺灰として埋まるにしても、お隣のウジ虫が私のエリアにやってきそうじゃないですか。

それに、いかにも寒そうだし。こんな寒いメルボルンの土葬衆にまぎれて、ポツネンと埋まりながら上から石乗っけられるなんてさ!

それに、フグはインド人だから墓なし。そのうえ、フグ以外は日本の家族もいないメルボルンに一人埋まるなんて、さびしすぎる。 

死後、孤独の淵に追いやられそう。


<それか、私は夫フグと一緒の方法に処されるのであろうか?>


例えば仮にフグの遺灰が、あまりの汚染度に大腸菌すら生息できない聖なる河であるガンジス川に流されるとしよう。

じゃ、その後、妻である私が死んだら、私の遺灰もガンジス河に流されるのか???

イヤ!それはとてもイヤです。あんな真っ茶色の河なんかに!しかもインドだなんて若者にはいいけど、あそこは老人にはキョーレツすぎる・・・。

死後、疲れそう・・・・。



<それか、私の遺灰は日本に送り返されるとか?>


まず、それは日本的には「出戻り」みたいですよねぇ?

そのうえ、うち、母の死後、まだ墓作ってないんすよ。

それにね、もともと親戚づきあいがろくになかった女が外国に嫁いでウン中年後に、いきなりその女の遺灰が送られてきても、そんなものをなんとかしてくれる人なんて、その頃にはおらんじゃろう。ある晴れた日に、そんなものがフイに届いたら、受け取った人にとっちゃ不気味事件だね、もはや。

あえて言えば老いた妹だと思うけど、あえて言っているだけで、絶対に面倒がられて終わるのが目に見える。

不気味事件になっちゃうなんて、浮かばれない。



<ずっとメルボルンに住んだので、フグと一緒にメルボルンに埋まる>


これなのか、やっぱり?

だけど、ヒンドゥー教徒でもともと墓がないはずの人に墓ができるのは、なんともヘンな気がする。

私がたまたまこちらの墓に埋まるよりもずっと、ヘンな気がする。

私たち二人とも、メルボルンに誰一人親族もいずに二人だけでいることについてたまに考えると、一抹の違和感を感じるんだが、それをそのまま墓まで持っていくってわけか。

死後も根無し草ということ?死後も帰郷に金がかかりそうだね・・・。



と、・・・・・・・・なんかここらへんまで考えて・・・、

でも死んだらもう、どうでもいっか。

と、思うわけだけど(さすがB型じゃろう?)。

死んだらもう、どうでもいいですよね、「こだわるかこだわらないか」のどちらかしかないなら。

もう、俗世とはおさらばなんだしさ。


でもね・・・・・・・「こだわらない」からって、やっぱり「メルボルンに一人ぼっちで埋まる」とか、「ガンジス河流しの刑」とか、「安易な判断されて、なぜだかベトナム人とかナニ人とかに紛れて埋まる」とか、やっぱりイヤな気が・・・。

こだわらないなら、「じゃ、墓なんていらない」方向のこだわりのなさのほうが、まだマシ。な気がする。

散骨とか。そんな感じ?

でもでも散骨っていっても例えばメルボルン沖の海とかに撒かれたら・・・・メルボルンの海は寒そうだし、海流に乗ってうっかり南極に流れ着いたら死後、もう一度寒さで死にそうだし・・・・ブツブツブツブツ(←結局こだわっている?笑)


ま、こればっかしは死んでみないと分からないけどさ!!!



国際結婚して異国で死んだ妻たち、どうしているんだろうね??既にたくさんいるだろうけれど。

特に、宗教がぜんぜん違う夫婦とか。生前、そんなに信心深くなくっても、死んだ時に宗教ってハッキリさせなくちゃならなくなるのが、この世の最後の面倒よね?しかも本人抜きで。

アジア人&西洋人は、個人墓か一族墓か、で必ずつまづくだろうし。

私たちが知らないだけで、もしかして「遺灰」って飛行機でけっこう行き来してんのかね??区アランティーン的には大丈夫なの?(笑)

一度生まれちゃうと、なかなか面倒ね~!この世ってばっ。


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2012.12.22 / Top↑
今日からフグは、一人でインドに里帰り。

お昼ごろ、車で空港に届けてきました。そろそろバンコクへ着くころかと(バンコク経由でコルカタへ行くので)。


よく分からないけど、人生初の「南半球一人ぼち子」でございます。

インド時代に、一人旅ってやつはイヤというほど、本当にイヤというほどした私。若者にとって見知らぬ国を一人旅っていうのは、本当に楽しい(当時、わたしは一応、若者でした)。

インドのクソぼろい夜行列車で一人寝た夜合計68泊(インドはどこへ行くのも20時間30時間電車に揺られるんであります)。

けれど、「そういうのは十分にやりました、もうけっこうです」と本気で言える今現在、すっかり「一人見知らぬ国」という状況に弱くなった。

おかしいなぁ・・・・オーストラリアに比べて500倍くらい不安要素があるはずのインドであんなにコワいもの知らずだった私なのに、いまや「一人」って聞くだけで心細い・・・・。お年頃か?


ってなことで、フグを空港に落として家に帰ってから、フグの飛行機が飛ぶ時間くらいまでの数時間、なんだかものすごくセンチメンタルな気分に・・。

うち、空港が近い上に、空港方向にバルコニーがあるので、離陸着陸の飛行機が見えるのよね。で、フグ機が離陸するくらいの時間に、飛行機探して空眺めちゃったりしてね。

キュゥン・・・・。


それから7時間ほどが経った・・・・・・現在、夜の10時半。

ムフフ。

ムフフフ。

ムフフフフフファッ ファッ ファッ ファッ~!!!

ヌッハッハッハッハッハーーーーー!


やはりあのセンチメンタル気分は、ほんの気まぐれの一過性のものだったらしい。

今オレ、一人晩酌! イェーーーーーーイ!


いやー、フグってさぁ、お酒、飲むと言えば少しは飲むけど、あんまり飲まない。

で、私が飲むお酒を勝手に制限するのじゃ、あヤツめ。

だから普段、うちは飲むとして「ワインをコップに一杯づつ」なのであります。というか、「夕食時にワインコップ一杯か、たまーにビールの小瓶一本づつ」という感じの、実に自制の効いた慎ましく清い生活を送っていたのであります。

しかーーーーし。現在、妊娠計画中なゆえ、最近はそれもナシ。

もしも妊娠したら私だって、お酒飲まないようにしようと思うけどさぁ、結局、毎月妊娠してないわーけー。

だけどフグがさ。飲むなと。いやね、ほんと、そういうところは実に「良き夫」なので、そうそう逆らうアレもないわけですよ、私も。

この間もテレビでちょうど「妊娠半年前から酒を控えるべし」的番組やってたし。

だから、最近は「また生理が来ちゃったら、次の排卵日まではちょっとなら飲んでもいいでしょ?」なんていう譲歩案を勝手に作ってね、わたし。

ほんとは、その期間ってタマゴを作ってる期間なんだろうから、まるで理屈が通らないんだけど。男って、女体についてそこまでよく知らないし、よく考えないから、

フグも「まぁ、じゃ、そのくらいなら」なんつってダマされてるわけだけど。

でもでも、「妊娠半年前から酒を控えるべし」的番組も見たことだし、最近は生理~排卵日の期間だって、飲むっったって、その期間(10日くらいとか)でコップ2杯くらいですよ・・。ちゃんと、極限まで自制しております。


だけど、フグが今日から、しばらくいない。


っふふっふっ・・・・。

カミサマ、決してたくさんは飲みません。

と誓いつつ・・・・・・飲むしかないだろう?ん?


というのも、結婚して以来、「夜中の一人晩酌」という楽しみを奪われたまま早1年以上。

そろそろ、夜の晩酌への焦がれが限界の達しようとしていた今日この頃。

(そう、私はそういう楽しみを捨てて滑り込みセーフ結婚を勝ち取ったのであーる)。

ま、そんなに「一人」にこだわってるわけでもないんだが、フグが「ごはんと一緒に飲む」とかじゃなくて、「純粋に酒とツマミを楽しむ」という文化から1億光年くらい遠い男なんでね。

「大人の晩酌」っていうんですかぁ?それをフグと楽しむってオプションはないわけです。

だから、「夜のしじまに晩酌」への焦がれは、自動的に「一人晩酌」という目的へと変身したわけなんですよ。

夜中っていうのもけっこうポイントでね。

いつかの記事に書いたけど、フグって「どんなに遅くとも夜11時過ぎにはお布団に入る。絶対入る」という、自律神経失調症にネヴァーなり得ない、正しき生活を送る民なので、

元スーパー夜型人間であった私は、あの深夜の濃密な時間(←これについては
この記事に詳しく書いた)への焦がれも同時に限界に達しようとしていたわけなの。


だから、

今現在わたくしは、ワイン片手に上機嫌にこれを書いているところ。

ツマミは、フグにキモがられるスモークオイスター(缶詰)。

さぁ、今からが本番よ。

今からよ、深夜の濃密時間の始まりは~。

ということで、今からワイン片手に楽しみます。みなさん、グッナイ。


カミサマ、すみません。良き夫フグが帰ったら、また真面目に生活いたす所存でございます。


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2012.12.12 / Top↑
まったくもって予想外に便秘の話が長引いてしまったんだが(ほんと、サラっと書くつもりでいたのに6話も書いてしまった・・・)、

その間に実は、AMEPの英語のクラスが始まっていたんであるね。月曜から4日続けて行ってまいりました。金曜は休み。


で、今日はホっとしてるところ。

週4日って、はっきりいってキツい・・・。

ここらへんの発言で早くも、日本で毎日普通に週5日働いている知人友人などの怒りを既に買う私なのであるが。だって、いいじゃん?あなたたち、働いてる分稼いでるんだから。悔しかったら無収入という状況に耐えてみてあそばして。


で、一年半ぶりの世の中デビューで週4日はほんとうにキツかったっす。

といっても一日4時間なので、午後2時には帰宅してるんだけど。でも、すっごい忙しかった・・・。だって夕方5時半とか6時には絶対に夫(フグ)が帰ってきてしまう国なわけですよ、ここ。

家帰ってお昼食べて、ちょっと家事とかやってたらもう3時半とか4時!!するとまもなくフグご帰宅!まもなくって程でもないかもしれないけれど、1時間半とか2時間じゃ、ろくなことできない。

で、フグが帰ってからいつものように過ごしていると、あっという間に寝る時間!


<いつものように過ごす>ってね、うちはこんな感じ。


一緒にチャイ飲んでニュース見ながらダラダラ
↓↓
18時半~19時になると夕食の準備に取り掛かる(ここでフグは週2でエクササイズを始める。エクササイズがない日はネット見たり雑用をしている)
↓↓
だいたいの夕食の準備が終えたら、いったんここで私は風呂に入る(所要時間約30分)。
↓↓
風呂を終えて、「あとは揚げるだけ」にしてある揚げ物をする等の夕食の最後の準備をし、だいたい20時半くらいが夕食。
↓↓
夕食が終わって後片付けなども終わり、次の日のフグの弁当を詰めたりなどし、食後のクッキーなど食べたりしていると、落ち着くのがだいたい21時半前後。
↓↓
ここでDVDが来ていればDVDで映画を見る(月6-8本ペース)。
↓↓
DVDが来ていない日は、フグはいきなり部屋の電気を消してベッドに直行してしまう。まだ寝るわけではないのだが、ネットをいじるんであれ、本を読むんであれ、全部ベッドの上でするのが好きなのだそうで。
↓↓
しかし、ベッドに中では読書もネットもお絵かきも落ち着いてできない私は(まったくもってベッドの上じゃ不可能!)、横においてある小さな机とイスに座って何かをする。
↓↓
23時半、電気消して就寝(DVDがある日でもない日でも、就寝23時半がフグの鉄則)。



そうするとあっという間!!

みなさんは、どんな「いつも」を過ごしてらっしゃるの?


ちなみに、「寝る時間は一緒」とか決めてあるわけではないんですよ。

でも・・・、

私はもともとめっさ夜型タイプで、独身時代は夜中の2時や3時なんて当たり前というか、そのくらいの時間が一番「人生が充実する時間」だった。夜9時過ぎた頃からやっと落ち着けるの。私の人生が佳境に入る時間。

だから、私、野放しにされるとあっという間に「夜中の3時に寝て、朝の10時とか11時に起きる。食べる時間も決まってなくて、腹が減ったら食う」というサイクルに入ってしまうのが目に見えている。

が、しかしこういう生活はイカンじゃろうと実は長らく思っていたのでありまして、いつも心なしか後ろめたかった。

だから、ご結婚を機に、長いこと思う存分満喫してきた夜型ライフをなおそうと思ったわけでありますな。ということでメルボルンに来てからは「夜遅くとも11時半には布団に入り、朝7時15分に起きる」というフグ式ハナマル健康生活に合わせているのです。

でも、そろそろ2年経つけれど、いまだに昼間は何に関しても集中することができない私。意味もなくソワソワする。昼間ずっと家にいるくせして、なにひとつ集中ができずにあっという間にフグの帰宅時間になるっていうパターンを2年も繰り返した。

時々、これがものすごくもったえない気がして、キーッ!となりそうになる。
 
あの、夜9時から夜中の2時くらいまでの黄金の濃密タイム(実にいろいろと集中でき、たいへん楽しい)が懐かしいというか、「時間はあるのに充実タイムが得られない」この状況に、この2年人生をひどく無駄にしているような気がしてならないのであーる。

でもやっぱりとりあえずは、フグに合わせて早寝早起きハナマル健康ライフを続けているけれど。

だって私、曲りなりにも自分と三十ウン年間付き合っているわけで、私が自分のペースで生活しだしたら歯止めが効かないことは容易に想像ができるから。

私たぶん、そうとうオタク体質。ひとたび「我がペース」が放たれてしまったら、毎晩夜な夜な何かに没頭し、本気で他のことがどうでもよくなるだろうことが自分で分かるのである。これって、ケツコン生活破綻街道ではなかろうか。

ましてフグって、ごく当たり前のように「昼型人間」。心身ともにそこらへんが、お病みになってない。 これはオージー全体がそうだけどね。

だからね、そんな生活して結婚生活に亀裂が入ったらヤバいし、「超夜型生活サイクルは若いうちはいいけれど、そんなことしてると自律神経あたりをおかしくして本気で身体に堪えるわー。あー、なんだかダルい」って年齢にもなってきたので、引き続きフグに合わせて早寝早起きハナマル健康ライフを続けているという次第でありますヨ。

で、そこに週4で学校なぞ行くようになったので、さらに時間のやりくりが難しいです。自分の集中タイムが無くて。

て、今週思いました。

超多忙の人が言う「時間のやりくり」とは違う種類だけど、こうも気ままな独身生活を長くしたあとの、共同生活の時間のやりくりがいまだにうまくできません・・・。



学校の感想はと申しますと・・・

かなーーり退屈でございます(これはまた、早くも危険な発言ですねぇ)。

この4日(16時間)で出会った知らない単語、2語のみ。

会話の練習がしたいのに、ほとんど会話の練習がない。

コーヒーブレイクの時間にちょっと他の生徒と話す機会があるけれど、そんなに会話の練習になるわけでは・・・。だって、みんなカタコトの英語なので、カタコトの人同士がしゃべる英語(単語のられつ)でこと済んでしまう。

使っている教材の読み物が簡単すぎてヒマでつらい。


気分転換にはなるけどね。週2くらいがいいなぁ・・・・。
たぶん、退屈であまり役に立ちそうもないから週4日が無駄な気がしちゃうんだよね・・・。

まぁ、もうちょっと様子見てみます。


クラスは15~20人くらいで、半分以上がムスリム。

シリア、エジプト、イラク、イランあたりのムスリムがやたらめったら多い!ムスタファだのファディだのイズマイルだの、「ザ・ムスリム」って名前だらけだよっ(笑)。数えてないけど、たぶん10人以上がそこらへんの国出身のムスリム勢(彼らの妻は、黒いチャドルかぶった人たちであろう)。

あとは、中国人2人、ベトナム人2人、韓国人2人、南インド人1人、日本人1人(私)、セルビア人1人。それから今、歯痛のためにお国に帰っているというコロンビア人がいるらしい。

超派手なベトナム人の女の子(昨日は爪が濃いピンクに黒いドットデザインだった)は、20歳年上のオージーのおっさんが夫だそう。

先生は、かなーり容姿を気にしていない55-60歳くらいと思われる女の先生。



続くかなぁー、AMEP。


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2012.10.12 / Top↑
とうとうメルボルンへ帰る日となってしまった。
帰りたくなひーーーーーーーーーー。ぐえーーーーっ!
明日の今頃はもうメルボルンにいるはず。あと一時間で家出ます。

無味無臭、始終寒くって、ろくなもんもがなくて、物価が無意味にバカ高くて、食べ物もまずいあんな場所へナゼ帰らなければならんのじゃ・・・と問えば問うほど、「夫がそこにいるからだ」という動かぬ理由に行きつくわけでありまして、フグを思い浮かべながら「あんた、何者・・・」と思わずにはいられませんな(笑:本気=5:5)。

19歳で家を出てからというもの、15回くらいに渡る引っ越しや移動にむしろ疲れ果てた「落ち着かぬ日々(そして引っ越し貧乏)」を送ってきたわたし。

別に引っ越し好きとかいうわけではまったくないんだけれど、結果的にそうやって根無し草的日々を送ってきたわけなので、今ここに来て「別のどこかに引越したりせずに、ある場所に居続けなければならん」というウソのような事実に慣れないというか、何度考えてもびっくりしてしまう。

本当にずっとここにいなきゃいけないというのは、本当にずっとここにいなきゃいけないという意味ですか?というような、ヘンな質問が思い浮かぶし、

「住む場所すら好きに選べないという事柄がこの世にあるだなんて!」ということが、不思議でならないというか、どうにもボー然としてしまう。「へぇー、ほんとにそうなんだー」と。


家族ができるっつーことは、てーへんなことなんですな。

でもさ、こうやって物理的な制約があるっていうのが、この世の醍醐味なんでしょ?死んで魂だけになったら、時間とか場所とか、そういう制約なくなるって話、よく聞く。

であるからしてーぇ、もうこれはーぁ、「しょーがないです」とサラっと行けってことなんですよね、どーせ。

メルボルンには、島流しにあったんだし(笑)。

というか、これって典型的な「自由気ままな独身生活が長すぎた年増女のボヤき(←世間からの冷たい風当たりがめっぽう強い)」ってやつですか。え!?


とにかく、「メルボルンに帰る」ってフレーズだけで、やたら「人生とか」を感じてしまいます。



あ、本当にビザ降りました!
サブクラス309。配偶者ビザ。

これも、なんだか「ふぅーん」という感じ。
なんの感慨もなく・・・「10か月もかかりやがって。チッ!」と思ったくらい。

やっぱり、個人的に欲してたビザってわけじゃないからかも。

おんボロ&定員200%オーバーなボートでアフガニスタンとかからやってきて、クリスマス島付近であっけなく難破して密入国者半分溺死、大悲劇に終わるあのボートピープルたちのニュースを見るにつけ(オーストラリアではこれ関連のニュースが尽きない)、「ほんと、人生いろいろだよなぁ」と思わずにはいられません。

どこかの誰かさんがあんなに欲しがった豪ビザを結局得られずに死ぬかと思えば、「別に私が欲しいってわけじゃないんだけど、結婚とかの成り行き上で必要なんでねぇ・・・」程度の私が豪ビザゲットに漕ぎ付く。

「なんだか私がもらっちゃって悪いわね」なんて、一瞬だけ思うけど、いやいやいや、そーいう考え方はおかしい。

別にオーストラリアビザが万人にとって良きものってわけじゃないんだし、しょうがないじゃないですか、何につけても、人それぞれの状況や事情がある途上で、偶然にもオーストラリアが人生に浮上した者同士っていうだけのことなんだからね。

捨てる神あれば拾う神ありというか、ところによって品変わるというか、隣の芝生は青いというか、なんだか例えがちょっとズレてる気がしますが、

人生って「これさえあれば・・」ってものが必ず一個欠けてたりしてて、その代わり、ほかの人が「これさえあれば」って思いながら持ってないものを、自分は最初から持ってたりとか、そういうもんですよねー。



というのが、ビザゲットに際しての感想というかボヤき。

つーことで、もうすぐ日本を発ちます。


2012.08.05 / Top↑

プ~ン・・・・(←匂いの音)


フフン・・・フフフン・・・フフフフフフン・・・(鼻の音)。

とうとう、とうとう、とうとう!

とうとーーーーーーーーう!(←しつこい)


香ってまいりました。

ビザが下りそうな気配が香ってまいりました。

ソウル方面から!

(日本から申請した豪ビザ、最近の管轄はソウルなのれす。日本人申請者は少ないからか、わざわざ日本には日本人専用の豪移民局は置いていないらしい。で、お隣ソウルの豪移民局が替わりにやっている模様・・・)。

ただでさえアホ遠いのに、日本→ソウル→オーストラリア という流れのおかげで、さらに時間かかるシステムなわけだ。


去年(2011年)10月に、私は日本から配偶者ビザ309を申請した。
(Spouse Visa Subclass 309)

配偶者ビザには、「豪国内から申請」と「豪国外から申請」の2種類あって、私のケースは後者のみ可能だった。

それまで持っていたビザとか、出身国とか、とにかく人によってケースバイケースなのだが(詳細説明省く)、残念なことに私の場合、豪国外からのみ申請可能なケースだったのだ。

豪国内からだと、ヘタすると数日で下りるらしい。

だけど、国外からの申請は本当にやっかい。

やっとこさ厚さ10センチくらいになったビザ申請書類を整え、10月に麻布の豪大使館で申請をした時に、


どんなにスムーズにいっても6ヶ月、今は平均10ヶ月かかっています。

と、むげに言われた。

だからジタバタせずに辛抱強く待つように、そこヨロシク。みたいな顔で言われた。



時間がかかるってウワサには聞いていたけど、大使館の人に直接そう言われて、かなりグワーンと来た。

でも、「とか言って、2ヶ月くらいで下りんじゃないの?」と心のどこかでは思ったりもしていたんだけれど、 あれは本当だったらしい(笑)。


ビザがないことには、何もできない。

働く権利、学校へ行く権利、医療の権利などなど・・・・なにも権利がない。(働く権利に関しては、そんな権利いただいたところで、働ける技能など何ももっていないんだけどさっ)

ビザが下りるまでは、とにかく大人しくしていたほうがいいということで、車の運転も最小限にしている。決まった場所数ヶ所以外は、車では「フラフラどこか行くな」とフグに禁止されている。

事故ったら、医療的にもたいへん困ることになるだろうし、事故の規模によっては、ビザの判断にひびきかねないんだろうから、私も大人しくしている。



申請してから8が月が経つ。

この8ヶ月、ただ待っていたわけではない。

3月にも一度、ビザ的事情で日本に帰ったし、「あれが足りてない」だのなんだのでソウルと何度もやりとりしてきた。

私の場合、いや~な予感通り、「インドな過去」に足を引っ張られて、そこでビザ手続きが停滞した。

インド時代のPCC(Police Clearance Certificate,無犯罪証明書)が必要だったのだ。

だけど、そんなもん入手不可能に近かった。私には、PCC発行申請にあたって必要な書類が用意できない事情があった。

そのためにいろいろ調べたし、何度も九段下のインド大使館に足を運んだけれど、「必要書類がないのならお手伝いしかねます」の一点張り。しかも、「お手伝いできません」というレターも発行しないと言う。

    (このインドPCCについては、あとで別の機会に詳しく書こうと思う)


だから、「インド時代のPCCが取得できなそうです」という旨と、「すべての手を尽くしました」という経緯を、正式なレターで宣誓し、麻布の豪大使館に行ってStatutory Declarationとして認めてもらい、それをソウルに送り・・・などしていた。

だけど今度は、そのStatutory Declarationの内容について、ソウルから不備を指摘され(これまた「あら捜ししてんですか?」っていうくらいの細かいこと)、

またもや、今度は「その内容の不備は決して故意のものではなかったこと、なぜその不備が生じたかについての詳しい説明、補足となる情報」を書いたStatutory Declarationを書き、また麻布の豪大使館に足を運び、認印をもらった。


それと同時に


3度目の正直で、また九段下のインド大使館に行ってねばりにねばって、「とにかく、私が用意できるだけの申請書類で、ダメもとでいいので、PCC発行の申請を受け付けてもらえませんかね?それでインドの警察のほうでダメだというなら、それでいいです。でも、申請はさせてください」とケンカばりに頼み倒した。

gussa.jpg 
 

(大使館の仕事はPCCの発行ではなく、その国のPCCが必要な人とその国の警察の間の橋渡しなのである)


そしてやっと「きっとダメだと思いますけど、わかりました。一ヶ月以内に警察から発行されなければNOということですので」と言わせた。

でも、いいのである。インド大使館の申請受付のレシートを手にさえすればすくなくとも「インドのPCCに関して、できることはすべてやった」という証明にはなるわけだから。


それで、先に述べた2度目のStatutory Declarationと、インド大使館のレシートをまたソウルに送った。 そして、私はまたメルボルンに戻った。


インドPCCの結果がでるまでの一ヶ月、ビザの進捗はさらに停滞。



そして、まもなく一ヶ月経つというころ、今度は「PCCが下りた」という。

ほらごらんよ、言わんこっちゃない。これがインドのお役所仕事。そんなことだと思ってた。

やたらめったらお役所的に融通が利かなくて大苦労するかと思えば、いきなりどこかでユルかったりする。


それで「すみまへんが」と実家に頼んで、その降りたというPCCをレジスターポストでこちらに送ってもらい、それをまた、ソウルに送った。


こんな感じで、この8ヶ月もほーんと、苦労した。


だけど、つい先日やっとソウルから

「インドのPCCが届きました。これで必要な書類は全部そろいました。ビザの受け取りは申請した場所(日本)のみですので、日本に帰らないとビザが下ろせません。日本に帰る予定をお知らせください」という連絡が来たのだ。

私は、今のビザの滞在期限が7月中旬で切れるので、もともと7月中旬に一度帰国の予定だった。

だから「7月中旬帰国予定です。チケットも買ってあります」と返信した。


どうやら、来月の帰国中にビザが下りるらしい。

yasu.jpg
待ったよ・・・・待ってたよ!



ビザを持って、メルボルンに戻ったら、とりあえず英語のクラスに通おうと検討中。

移民大国オーストラリア、AMES(Adult Migrant English Service 成人移住者英語プログラム) というのがあって、私の配偶者ビザもこれを受けられる。

520時間の英語教育が無料で受けられるのだ。

とにかくまずは英語をなんとかしないと、どうにもなんなそうなことが身にしみているので、これだな。

(フグよ、妻は引き続き稼がない様子なので、よろしく頼んだぞ。というか、引き続き私の節約生活にかかってんのね:泣。暖房費もケチって湯たんぽ抱く日々はつづく・・・)。


あー、やっと引きこもり すぎ 生活から抜け出せそうな、希望の光が差してきたわー。


2012.06.22 / Top↑
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